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雪が雨に変わったら。

雨水の日は、1年で1番好きな日にするって決めている。だけど、今年の雨水は好きな人に会えたのに、ちっとも好きになれそうにない。雪のような雨が都会に降り注いでいた。彼の家に向かう途中、綺麗なパンプスが水たまりに触れた。ビニール傘は濡れた街を透かしていて、イヤホンからは泣きたくなるほど愛しい歌が流れていた。

彼の部屋で雨の音を聴きながら、先ほどまで浸っていた湿った空気を探した。彼の空気に包まれて、呟いてみたくなった。

「雨水は1番好きな季節なんです。雪が雨に変わる日で」

これから暖かくなるね、と言う彼の声を背に、春を少し嫌った。春になる頃、この関係に名前はつくのだろうか。この関係は終わってしまったりしないか。もしかして、これが最後になったりするかな。降り積もったままの小さな雪は、温かな彼との空間でぐっしょりと溶け始めた。不意に何かこぼしそうになる息と彼の言葉が重なって口を閉ざした。

「好きだよ」

「うん、好き。あの、」

言い返しかけた言葉は雨の音でかき消されて、ぼやけた余韻だけがふたりの間をすり抜けていった。

好きなんて言いたくなかった。言われたくもなかった。好きって言われた後に可愛く微笑んで、気持ちと一緒に飲み込んでおけばよかった。口に出してしまったからには、もう気持ちは止められない。だけど、不器用な私たちはこの関係を上手に確かめられなくて、怯えるように触れては、確かめるように輪郭をなぞって、その先へ進めないでいる。

お互いに好きと言い合っても付き合わないこの関係を、私たちはいつまで続けられるのだろう。


この関係がもどかしくて、時々ふいにぎゅっと抱きしめたくなる気持ちを、いつになったら言えるのだろう。

それでも、こんな不安定な関係でも、今はこのままでいたい。愛しさが溢れて抱きしめたくなっても、その強さでこの関係を壊してしまうことがこわいから、今はまだこの空間に包まれていたい。今は、それだけでいい。きっといつか、いつかは離れてしまうのだから。

雨の音にかき消されたままで、よかった。

雨水らしい涙だった。

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