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無心になれなくてもいい、邪念を面白がる「ゆる禅」
無心になれないといけない?ゆるゆると坐禅を続けること約5年、ますます坐禅が楽しい。
何がそんなに楽しいのか...。
それは、じっとすることで「今日の私は内側で何が起こっているんだろうか?今から何が起こるんだろうか?」と拾い上げていくのが楽しい。
一番初めに坐禅をしたときは「無心になりたい!」と意気込んで坐禅をしていたし、あれこれと思い浮かんではそれを祓おうとしていたように思う。でも今では、何
「あわい」に気づく坐禅のすすめ
「あわい」とは…
「間」と書いて「あわい」。物と物のあいだ。時間的なあいだ。人と人とのあいだがら。この世とあの世をつなぐ境界。
こーさんのこの言葉は、わたしがこれまで坐禅をしてきた中で、とても核となるお話だと思っているし、わかりやすい言葉のように見えて、実は簡単に解釈できるお話ではないと思っている。
「過去を大事にしてきた」という言葉をすっと受け入れられるひとは、周囲に感謝をする才能があると思
悟りの存在について考える
みなと坐禅は坐禅案内人こーさんと一緒に不定期で坐禅会を開催しています。この世界の日常はあまりに頭使うことが多すぎて、ふと心地よくないことに囚われそうになってしまいます。そんなとき、心身を繋げてバランスを取る場が必要です。
悟りの存在はまるで新月のよう
こーさんの言葉、何度読み返しても、意味がわかるようでわからなかった。その場にいたときは、ほほう…とわかった気になっていたのに。それでも10回ぐらい
“being”を見直す坐禅のすすめ
こんにちは。月1回の坐禅会とnote投稿をゆるやかにしています。前回の記事から溢れ出てしまった内容を載せたいと思います。スピンオフのような話題だったので、別立てで書くことにしました。
自分は“being”より?それとも“doing”より?みなと坐禅では、最後に今日の坐禅はどうだったかのシェアをする。あるとき、“being”と“doing”について話題が出た。わたし自身、日常でこの言葉をあまり使わ
オンラインで坐禅をする世界
オンラインで坐禅をするってイメージできるでしょうか...。
世界のオンライン化がどんどん進んでいる。「究極の何もしない」を味わうみなと坐禅も、Zoomを使ってオンライン開催を2回行った。今思えば、vol.1開催時はまだまだ社会がオンラインにも外出自粛が続く日々にも今ほど慣れていなくて、新しい世界が始まったようなまるでSFみたいな空気感だった。vol.2では「Zoom疲れ」という言葉が出てくるぐら
「何もしない」が価値になる
いま世界の境界線が強くなっている。そして感染という側面から信頼できない関係が呼び起こされてしまった。命を落としてしまう可能性もあるから、それはやむを得ない。近づかない、集まらないことが、いまわたしたちにできること。でも心の距離までとらなくてもいい。もし今後パンデミックが収束したとして、経済活動が回復できたとして、世界が信頼を取り戻すのに、心の距離を近づけるのにどれほどの時間がかかるのだろうか。
究極の何もしないを味わう
坐禅とは何だろう。何のためにするのだろう……。
無心、悟り、瞑想、心身を整える、自分と向き合うetc、坐禅は、お釈迦様から始まり今日に至るまで様変わりしながら私たちに伝わっているけれど、みなと坐禅は、冒頭の一説を踏まえ「究極の何もしない」をゆるやかに味わう会として生まれました。東京都港区内を中心に、場所を変えながら、だいたい月1回のペース(現在お休み中)で開いていきます。また、ここでは「分け与え