養魚秘録『海を拓く安戸池』(21)~養魚放送~
野網 和三郎 著
(21)~養魚放送~
「かん水養殖事業の将来」というテーマで、東京から香川県を通じ、産業講座にラジオ講演をしてくれという、依頼があったのは、昭和十四年の十一月の終りであった。
昭和六年に端を発した、支那事変の戦況が年毎に深淵にはいり込み、戦況は南京陥落に続いて、徐州占領、広東占領、武漢三鎮占領、海南島上陸など目まぐるしい報道が新聞、ラジオを通じて国民に知らされていた頃で、その頃すでに若い現役軍人の殆んどは出征し、これらの兵士達は広大な中国大陸のどこかで、あるいは泥にまみれ、草に伏し、み国のためにとはげしい戦闘を展開し輝やかしい戦果が引っ切りなく伝えられていた。
正に軍国日本の真膸を謳歌する旗の波とどよめきは、日本の津々浦々まであまねくそれを満喫し、それと同時に国民等しくはり切って、銃後の守りに歯を喰いしばり、国家総動員法の厳しい掟の中に、お互い同志を戒めあい、困苦欠乏とのたたかいが、何の不平もゆるされず続けられていた頃である。
日本は開闢以来、端穂の国と言われて、気候、風土に恵まれ、農産物は狭い国土ながらも、明治の終りから大正頃までは、外国からの食料輸入の必要もなく、六千万国民の主食料を賄うことができた。もちろんそれは水産物による動物蛋白源とも相まっての事ではあるが、それが人口増加、西洋文化の流入から受ける、新らしい工業国日本の息吹きが始まり、それが物凄い勢いで台頭し、興隆につぐ繁栄となって、昭和世代を迎え、アジヤ第一の文化国家に、のしあがってきた。