見出し画像

【無料】養魚秘録『海を拓く安戸池』(27)~養魚再開~

野網 和三郎 著

〈注意事項〉
・文章、写真の説明文(キャプション)などは明らかな誤字脱字を除き、原文の通りとしております。ただし、著者略歴については、西暦を加筆、死去された年に関する記述を追加しました。
・敬称は原文に即して省略させていただきました。
・現在では差別的表現として、みなと新聞で使用していない表現についても、原文の表記をそのまま記載しております。あらかじめご了承ください。
・本書原本の貸与や販売は在庫がないため行っておりません。ご了承ください。

(27)~養魚再開~

 昭和二十五年施設復旧について、水産庁に陳情傍ら、応急の措置を講じつつ、諸準備を進めていたが、とりあえず網区画の養魚にて再開を決行、浜島から、ハマチ稚魚五万尾の購入から始まり戦後初めてのハマチ養魚が決行されることになった。一方では広川農林大臣の拍車もあって、家坂水産庁長官も訪問、その了解も得た。そしてこの予算の出所について、長官を交えての関係係官との、交渉に入ったのである。

  浅海増殖関係事業については当時、調整第二課がこれを担当し、課長に某技官、その下に黒田竹弥、小関信章、土屋各技官が、それぞれの部所を受け持ち仕事をしていた。

  課長の某技官を除いた各技官は、いずれも学生時代堀重蔵氏と共に安戸池に視察、研究に来られた技官ばかりで、よく話もあい、かん水養魚についての認識も十分にもっていた。

  課長の某技官は、内水面増殖面については相当の専門家のようにも受けとれ、かん水養魚については、どうも乗り気薄のように見え、長官室での課長の意見は、今この三百万をかん水養魚にとられたら、内水面及び浅海増殖の事業面が、にっちもさっちもならなくなってしまう!と、頑として肯えんじない。

  日曜日を期して、遠い課長の自宅を訪問し、面談してもう一度開眼させる決意で行ったが、病気と言ってついに門前払いを喰わされたのである。これほど不誠実な応待に会ったのは、始めてであった。淡水養殖とかん水養殖の闘いを露骨にあらわした一面である。

  ここで書きそえて置きたいことは、当時、土屋技官が取り組んでいた事業は、トラクターで堅くなっている海底を耕して、アサリ、ハマグリの増殖をするということで、千何百万かの予算を要求して、盛んに頭をひねっていたので、私は不思議なことをするものだと前提して、そんなことをしても全く無駄な予算だと言ったのである。土屋技官は、けげんな顔をしてじっと私を見つめながら、なぜですか?……。私は安戸池を例にとってそれを話した。

  昭和二年九月、安戸池養魚を始めるそれ以前は、周辺の海底は堅く、アサリも全くといってよいほど、発生を見なかった。然し養魚を始めて一年、二年、三年と年を経るに従って、種苗もまかないのに周辺一帯に夥だしくアサリ、その他の貝類が発生して、誰しも不思議な現象として驚き、最初堅かった砂地が、本当に耕やしたように、深く柔らぎ、両手を差し入れると両手一杯にアサリが採集できる状態となり、それが昭和十八年を最後に、戦争で休業するまで続いたのである。ところが十九年、二十年に至り、ぴったりとさしもの発生を見たアサリがぽつぽつという程度に急減し、深く柔らいでいた海底は、着業以前の状態となって堅く引き締ってしまった。

  アサリに限らず沢山棲息しているチヌもボラもやせこけて、全くまずくて食べられなくなったのである。このアサリにしてもチヌ、ボラにしても、これは養魚を中止し且つ投餌をしなくなったための現象で、養魚を続行しておればチヌ、ボラ等は、残り餌を食ってもいるし、また投餌による餌粕、魚糞、ガス発生等によってプランクトンの発生が旺盛となりエビ類、虫貝、アサリその他の水棲動植物が繁殖して餌料となり、肥満し美味となるので、またアサリの場合は、養魚と投餌が中止された結果、そのプランクトンの発生が急激に低下し、ために栄養不良で、死滅してしまい、稀少のプランクトンの発生状況に応じた程度の、アサリしか発生生存出来なくなったのであって、何の不思議でもなく、ごく自然なことを、貝や魚が教えてくれたのだと話し、如何に広大な砂漠といえども食物も何も出来ない土地では人間が生活出来ないのと同じで、もしやるとしてもトラクターで、耕して種苗を蒔くだけでは、それは型ばかりで、餌料となる水中微生物(プランクトン)の発生を促す条件とを、かみ合わせた施行がなされなければ、もとのもくあみとなるのがおちだと言ったのだが、どの博士の提案であったかは、はっきりとは訊かなかったが、それは一、二年程度は全国各地で実施されたが、何時の間にかやらなくなってしまった……。

  私は、この様な予算の無駄使いにまわすほどの余裕の中から大臣や、長官が示す、かん水養魚への呼び水程度を、所管の課長としての決断がなぜつかなかったかを、沿岸漁民とともに責めたいのである。

  当の土屋技官は、なるほどと私の説にはうなずいたのではあるが、民間人と違う所が、官僚主義の意気地なさで、予算通りに押し切ってしまったが……無駄足を踏むのにも程度があると思った。しかし黒田、小関両技官は面識もあり、私の主張にも同調され、これから後にも話に出てくると思うが、かん水養殖事業発展のために、大活躍されたことを、ここに附言しておきたい。

 養魚秘録『海を拓く安戸池』(27)~養魚再開~〈了〉

養魚秘録『海を拓く安戸池』(28)


ここから先は

0字
世界で初めてハマチ養殖に成功したワーサンの物語を読んでみませんか?

ハマチ養殖のパイオニア、ワーサンこと故野網和三郎さんの自伝です。世界で初めてハマチの養殖に成功したワーサンの人生を懸けたノンフィクション物…