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優しい人

綺麗事だと思うことも、
「だって、あなた優しいんでしょ?」
と、当たる理由をそこに求めることも、
人の自然な心なのかもしれない。


けれど、
優しさとは曖昧なものではなく、
「選択」という意思なのだと
私は思う。


優しい物語を描くことのできる人は、
日常や 自分自身と真剣に向き合うことを
それだけ積み重ねてきた人、
ということではないか。


誰かから見たら、
それは「闘いの放棄」や
怠惰に見えるのだろう。


けれど、「平和を願う」とは
そういうことではないと、
私は思う。


優しさを選ぶことのできる人を、
私は尊敬する。



―――


世界と身近なところで起きている問題では、
規模や深刻度に大きな違いがある。

かなりの違いがあっても、実際には
自分に近いものほど大きく、深刻に思えてしまうものなのかもしれない。

けれども、
世界と身近な問題・状態には
思っている以上に共通項があるのではないか、
と感じることがある。

とすると、
身近な問題を捉えることは大切で、
自分にできることの一つなのかもしれない。



個人的な嗜好もあり、
日常や心理に向き合う作品に多く触れる中で、

自分自身が目の前の物語を
単なる「ほっこり」でまとめてしまうこと、
優しさを無意識的に侮ってしまうこと

時々、危機感を覚える。


小説や物語に対して色々な見方や考えが生まれることは当然だけれど、
果たして、私はそれで良いのだろうか。

小さな日常に目を向け、身近なものや出来事を捉えること。
自分自身の心を見つめること。

それは、
日々多くのものと向き合いながら「選択」を繰り返しているということだ。

つまり、
優しさとは「人生と選択の積み重ね」。

それはきっと、
当たり前のものでもなければ、
誰かが無闇に傷つけてもよいものでも
ない。




争いが溢れる世界の中で
今、私が求めてしまう物語は、
誰かの日常であったり、優しい世界だ。

そこに書かれているものが個性的な文体でなくとも、
知的で巧妙な仕掛けのあるミステリーでなくとも、

一番「強さ」をくれるものだから。





今回は、優しさや優しい物語について個人的に感じてきたことを「言葉のカケラ」として並べてみました。
他の作風などを批判する意図は全くありません(他の作風のものも好き)。

小説や物語のジャンルにヒエラルキーのようなものがあるとは思いたくないけれど、
誰かの言葉の中に感じたり、自分の無意識下のバイアスに疑問を持ったりすることはあります。


※ヘッダーのイラストは、モリコハルさんの作品をお借りしました。


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みなとせ はる
いつも応援ありがとうございます🌸 いただいたサポートは、今後の活動に役立てていきます。 現在の目標は、「小説を冊子にしてネット上で小説を読む機会の少ない方々に知ってもらう機会を作る!」ということです。 ☆アイコンイラストは、秋月林檎さんの作品です。