連載SF小説『少年トマと氷の惑星』Ⅱ.少女ティエラ
Ⅱ.少女ティエラ
トマの前に現れたのは、ひとりの少女であった。
容姿は十三・四の年頃と見えるが、なにせ人は好きな時に身体の変化を止めることができるから、実際に生きている年月は分からない。
肌も腰まで届く長い髪も透き通るように白く、トマは氷の精がやって来たのかと思ったが、少女の手に触れると柔く温かで、人と分かると安心した。
「君は誰? 名前は何て言うの?」
「はじめまして。私は、ティエラっていうの。よろしくね」
「ティエラ、いい名前だね。僕は、トマっていうの。こっちは、ツグミのカイムだよ。ああ、初めてのお客さんって何を話したらいいんだろう」
トマが手を握ったまま、ティエラの周りをくるくると踊りまわると、ティエラもくすくすと笑いながら一緒に踊り始めた。
トマは、生まれて初めてする誰かとのダンスに舞い上がり、ステップに合わせて心臓も飛び跳ねる。
「わあ、幸せってこういうことなのかな。カイムは、一緒にダンスを踊ってはくれないんだもの」
「私、音楽は得意なの。これからたくさん、ダンスを踊ったり、歌を聴かせるわ」
「本当? 僕、音楽って聞いたことないんだ。カイムは歌を歌ってはくれないんだもの」
「悪かったな。俺は歌もダンスも嫌いだよ」
ふたりが楽しそうに踊っていると、カイムは溜息をつきながらそう言って、寝室に入ろうとした。トマは、すかさずカイムの背中に飛びつく。
「カイム、嘘だよ。このふかふかの背中の羽も、カイムの作ってくれるスープも、カイムのことも大好きだよ」
「はいはい、そうかい。わかったよ」
カイムは、振り返ってから両方の翼を大きく広げると、トマの身体をすっぽり包んだ。
カイムに抱きしめられると、トマはいつもなぜだか懐かしい心地がする。
その夜から、トマとティエラは、カイムの翼に包まれながら、みんなで一緒に眠るようになった。
*
ティエラがやって来てから、十年が経つ。
その間、トマはティエラにたくさんの、様々な歌を教わった。
昔から伝わる民謡を聞き、この世界には季節があったこと、山や川があったこと、朝というもの人にとってがかけがえのないものであったことを知った。
昔々から始まる物語の歌を聞き、ものごとには順序があり、理由があり、人には色々な思いがあることを知った。
トマは、この惑星にいた「人」が何を見て、何を感じていたのか知るたびに、彼らの生活に憧れた。
「ねえ、ティエラ。ティエラはなんで、僕のところに来たの?」
トマはいつもと同じ様に窓から流れ星を見つめながら、隣で肘をついて空を見上げているティエラに尋ねる。
「出た、トマの『なんで』。最近、いつも口を開けば『なんで』って聞いてばかりじゃない」
「だって、ものごとには理由があるって教えてくれたの、ティエラじゃないか。僕はずっと、カイムとここでふたりきりだったから、知らないことばかりなんだ」
「ふふ。考えることは大切なことよ。答えは、いつもすぐに現れるものではないの」
「じゃあ、いつ誰が教えてくれるのさ。なんでティエラがやって来たのかなんて、ティエラにしか分からないよ。それに、なんでじいちゃんが帰ってこないのかなんて、いつか分かる日がくるの?」
トマは、変わらず無垢な少年のままだ。
しかし、ティエラがやって来てから、少しずつ変わり始めている。
トマは、カイムとの暮らしの中で「寂しい」とは一度も思わなかった。それは、カイムがいつも側にいて、百年も間、毎日変わらない日が続いていたからだ。つまり、この暮らし以外のものを何も知らなかったのだ。
歳を取らないのは当たり前で、誰もやって来ないのも当たり前、空模様も氷の大地も何も変わらないのが当たり前。心を刺激したり満たすものが、この世に存在することなど、トマは知る由もなかった。
トマはカイムに不満があるわけではない。むしろ、側にいる唯一の家族であるカイムのことが大好きだ。
しかし、ティエラがやって来たあの日、自分と同じ体温を持った人を知った。十年間で聴いたティエラの歌から、自分と同じ人が自分とは比べものにならないくらい多くのものを見聞きし、感じていることを知った。
どこからともなく、初めての感情がトマの心の内から湧き出てくる。
それは、最初、「寂しい、寂しい」と心の中で呟くだけであったが、やがて大きなトマの歌声に変わっていくと、歌とともに流れ出す思いを止めることができなくなった。
そして、トマはついに思い出したのだ。
幼い頃に抱かれた祖父の体温を。赤ん坊のころ、祖父が歌ってくれた子守歌を。
「じいちゃんに会いたいよ!」
箱の鍵を開けてもらうためではなく、ただ、祖父に会いたい。その手の温度を感じたい。
トマが心の中で、強く叫んだその時──。
──ガチャリ。
胸に抱きしめていた小箱の鍵が、音を立てて開いた。
(つづく)
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