【再開】連載SF小説『少年トマと氷の惑星』Ⅵ.惑星の記憶
Ⅵ.惑星の記憶
トマの指さす方角に目を凝らすと、白い靄のかかった地平線に、ざわざわと黒い影がうごめいている。
その影は、氷の大地を素早く覆うようにして、ものすごいスピードでトマやカイムの方へと近づいてきた。
トマとティエラがカイムの元に駆け寄ると、カイムはふたりを守るように翼で力強く抱きしめる。
その瞬間、生ぬるい突風が、氷の舞台をなぎ倒し、カイムから抜け落ちた黒い羽根を空高く舞いあげた。そして、突風とともにやってきた何かが、目にもとまらぬ早さで三人の足元を走り抜けていった。
やがて──。
硬い氷にかじかんでいた足裏を、柔らかなものが跳ね返す。
凛然とした空気が緩み、若葉の爽やかな香りと、蜂蜜のような甘い香りが混じった心地よい香気が辺りに漂う。
トマが、カイムの翼から顔を出して外の様子を覗き見ると、そこには初めて見る緑色の大地が果てしなく広がっていた。
「わあー!!」
トマは声を上げて駆け出すと、柔らかい大地に思い切り寝そべった。
上半身だけ上げて周りを見回すと、泡立つ様に咲いた無数の花が土の香りを巻き上げながらそよ風に揺れている。氷の神殿のあった場所には、背の高い木がだんだんと集まって森ができた。遠くの方では、三角形の山がふたつみっつと連なって、やがて山脈を成すのが見えた。トマの目の前では、たった今、小さな川が生まれた。
「これは、どういうこと……? 私の知っている何百年も前のこの惑星だわ」
ティエラもカイムの翼から抜け出し、数百年ぶりに触れる土と緑の大地に目を丸くする。
「きっと、お前さんの歌に触発されたんだろうよ。それにしても、花ってのはいいにおいだな」
カイムは特に驚く様子もなく、花のにおいを思い切り吸い込んで堪能しているようだ。
「私が歌ったからと言って、植物が蘇ったことなんて一度もないわ。不思議な力があるとすれば、きっとシュウのこの曲よ。歌詞の『彼ら』がこの惑星の植物だとすると、その『友』は誰なのかしら。もしかしたら、シュウは植物の声を聞くことができたのかしら」
ティエラは、手に持った楽譜をじっくりと見つめて言った。
「さあ。それはあいつ本人にしか分からんよ。俺に分かるのは、植物が知っているのはこの惑星の『過去』か『未来』ってことさ。この景色も、奴らの古い記憶かもしれないし、いつかの未来の幻かもしれない。でも、きっとすぐに消えちまうよ。太陽なしでは、奴らは姿を保てない」
カイムは素っ気なく答えると、蒲公英の綿毛に息を吹きかけて種を遠くまで飛ばした。
暫くすると、地平線から再び白い靄が押し寄せて、カイムの言った通り、惑星はあっという間に氷で覆われた以前の世界を取り戻した。
その晩、トマはカイムの翼の中で眠ることはせず、窓からずっと地平線を眺めていた。
あの柔らかく暖かい大地が、良い香りのする緑の植物たちが、もう一度自分の元にやっては来ないかと、期待をせずにはいられなかったのだ。
トマは、カイムとティエラと、そしてまだよく思い出せぬ祖父と一緒に、緑で覆われた大地の上で暮らす姿をイメージした。
この小屋で皆と朝を迎え、そして、大地を踏みしめながらここからどこか遠くまで歩いて行く。それは、トマが人としてまだ知らない何かに触れる旅だ。
あの世界に触れることができたのは、たった一時であったが、トマは、この惑星に大昔にいた人が肌に風を感じ、揺れる草花や美しい景色に心を震わせて生きていたことを知った。「生きる」とは、そういうことなのだと本能で感じた。
「じいちゃん、早く帰って来ておくれよ。じいちゃんの『大切なもの』って、いったい何なの? 僕も、もっと色々なものを知りたい。『大切なもの』を見つけたいよ」
トマは、目からこぼれた涙を指で掬って、星の光に照らす。
寂しいのか、悲しいのか、なぜ泣いているのか、自分でもよく分からなかったが、涙を流すことは素晴らしいことだと、トマは思う。
しかし、いくら自分の涙を星で照らしてみても、それがいつか見たティエラの涙よりも美しいとは思えなかった。
少年はまだ、愛を知らない。
(つづく)
暫く連載をお休みしてしまい、すみません🙇♀
マイペースではありますが、少しずつnoteを再開していきますので、よろしくお願いします☺️🌸
🌟つづきは、こちらから↓