【文楽鳩】和田合戦女舞鶴ほか(令和6年4月文楽公演 / 国立文楽劇場)
ちょうどよい時間で見られそうだったので、見てきました。大阪・国立文楽劇場。劇場に入ると、でっかいお人形の首にお出迎えされます。
奥の方にちょっとした資料展示室があり、こちらも面白かった。あまり余裕を持って入らなかったので時間が足りなかったのが悔やまれます。次行く時はもうちょっとちゃんと見たい。
団子売
団子売りの夫婦が、お団子を売りつつめでたく踊るわけですが、見ていて明るくて楽しかった。昨年歌舞伎座でかかっていたのも見ておけば良かったかな。
お人形が踊る、というのはどういう感じなんだろう?と開演前は思っていました(今まで見たことがある演目が「曽根崎心中(国立劇場・BUNRAKU 1st SESSION)」しかないため)が、本当にお人形が踊っている……。
お人形使いの人が三人いるにも関わらず、それぞれまったく気にならないほどに一つの人体としてお人形が自然に動く。すごい。これはお人形が踊っているとしか言いようがないので、ぜひ実際に見てみてください。
最近、「めでたい踊り」というジャンルの演目が結構あるらしいということがわかってきました。舞踊と祈り、まじないみたいなものはやはり近しいところにあるのだろうなあ。
歌舞伎だろうと文楽だろうと「めでたい踊り」的なものは見ていて楽しいから単純に良い。めでたくて健康に良い感じがあります。
和田合戦女舞鶴
ざっくりとしたあらすじ:
(藤沢入道館門外の段)荏柄の平太が、源実朝の妹・斎姫を恋の恨みから討った。その事件を調べるため浅利与一とその妻・板額は北条の館に急行する。板額が荏柄の平太の縁戚であったことから屋敷には入れられないというので、与一は板額と離縁する。それでも疑われることに板額は怒り、持ち前の大力をもって、城門を薙刀で破り、与一を中へ入れるのであった。
(市若初陣の段)その後、離縁された板額は、北条の館に身を寄せている。そこには荏柄の平太の妻子が匿われていた。源実朝から、荏柄の平太の息子・公暁丸を逆臣の子として首を討って差し出すよう求められているのに対して、事情があると言って屋敷のものが応じず、板額は釈然としない。そこに、板額の息子・市若が館にやってきて、公暁丸の首を討ちに来たと名乗りをあげる。息子に手柄を取らせたい板額は、公暁丸の首を市若に取らせたいと北条政子に頼むが、実は公暁丸は、源頼家の実子・善哉丸なのだと告げられる。先ほど、与一に「兜の緒を母に結んでもらえ」と言われたといって送り出されてきた市若。板額が結ぼうとした兜の緒が切れた(忍びの緒が切れるのは討死の暗示)ことの意味を板額はここで悟り……。
きちんとしたあらすじはこちら。
ひどいよ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜😭😭😭 そんなことせんでもよくない!?!?!?!?!?なんでそんなことすると!?!?!?もうその本人突き出しちまえ!!!!!!!!!になりました(お話に向いていない)(でも泣く)。全員今すぐに顔を突き合わせてお話し合いをしろ。平和的解決は対話からですよ。
息子が「母に兜の緒を締めてもらえと言われた」と言って、その兜の緒が切れたときに、(息子を何かの身代わりにしろって言ってる……)とは直感が働いたわけですが、まさか子供が自ら腹を切るように母が仕向けるとは思わないじゃないですか。夜闇に紛れて板額が息子を殺すのかと思ったのに。一人芝居を始めたあたりで勘付いてしまって、やめろ〜〜〜〜!!!!!!!!になりました。もうこんなもん見せられたら鳩は客席に一羽で心内ひっちゃかめっちゃかですよ。
しかしこの場面、暗闇の中で行われているということではあるものの、この一人芝居は居合わせた全ての人が聞いているはずなのに、誰も止めんのかい。何わからんフリしとるんじゃ。
いくら将軍のご落胤だろうと、孫を殺すなら自分も死ぬと言える北条政子にしても、そんなこと言えるくらいなら、子を身代わりにする母の業もわかるのでは???いくら血筋が大切とはいえ、他人の子供をその手で殺させるの、傲慢じゃないんですか?????????
板額の息子も息子で、自分の状況を分かっているのだか分かっていないのだかという感じなので、これがまた大変不憫……。
というか!!!そもそも!!!このご落胤、このあと出家するんですか? 何かあった時の世継ぎだから大切、だから板額の息子を身代わりにするという話なのに、出家されたら元も子もなくない……? もし立場が必要になったら還俗するのか? それとも何かあってももう跡は継がないんですか? 継がないなら継がないで、板額の息子、死に損じゃん? 騒動をおさめるためだけに殺されたようなものじゃん。どうなってんの……。
っていうかだいたい、自分で自分の子供の首を討って、それを将軍家の姫を殺した男の息子(ということになっている)の身代わりにするの嫌すぎる……世間的には、自分の息子の首が、逆賊の息子ってことになるんですよね。己の息子の首が、無根拠に貶められる……嫌すぎる……。
※たいがい内容につっこんでいますが、納得していないわけではないし嫌いなわけでもないです。こういうお話見ていると端から突っ込みたくなるだけで……。
そのほか細かいこと
板額は、このあとどうするんですか。夫には離縁され息子は死んで……。それこそ仏門に入るんですか? 板額、何も悪くないじゃん……。あんな強くて格好良い女を悲しませるな。
板額の夫もきちんと子を案じて、すぐそこまで来ているということはまあ良かった。何もできないけど……。
板額のお人形のお顔は目を瞑るもので、悲しむ、悲しみに耐える、というような表情に瞬きが付けられており、瞬きって表情の大切な要素なのだなあと思った。夫の方は瞬きしないお顔だったけれども、俯けると目を閉じるように見えるのが妙だった。
裾の方で子供武者がわちゃわちゃしているのは可愛かった(主役でないお人形は一人で遣うんですね)。しかしどのお人形も当然ですが、必ず人が遣っているのが面白い。
背景がレイヤー上になっていて、一枚ずつ動かして場面転換しているのが面白かった。大道具の知恵。
文楽は義太夫も重要な役割だと思うのですが、まだ物珍しくてお人形ばかり見てしまう。あとやはりなかなか言葉が聞き取れない。文楽は字幕がつくのでありがたいですね。
なんかふと思ったけれど、「ひょっこりひょうたん島」とかのお人形劇も、元々のルーツを辿っていくと文楽とかに行き着くんだろうか……。
これは国立文楽劇場が出しているコラム。参考にぜひ。
釣女
ざっくりとしたあらすじ:
戎神社へ、縁結びの参詣をする大名と太郎冠者。夢のお告げに従って釣竿をさげると、大名は美しい上臈を釣り上げる。それに倣い、同じような美しい女を得ようと、太郎冠者も釣竿を下げるが……。
きちんとしたあらすじはこちら。
先に歌舞伎座で見ておりましたから、歌舞伎と文楽という表現方法の違いはあれども、だいぶ分かりやすかった。
お人形なので、お人形自体の表情に変化があるわけではないけれども、どういう感情なのかというところを、仕草で表現することができるんだなあ。太郎冠者が醜女のことをたいへん嫌がっていることもわかるし、醜女が太郎冠者を大好きなのもわかる。
歌舞伎の醜女はお顔の作り方からユーモラスに振り切っているのでどう動いても笑っちゃう感じがあるのですが、文楽の醜女はどことなく可愛らしい。悔しがって泣いたり、太郎冠者を追いかけるのが愛らしく見えました。たぶん可愛らしい女性なので、太郎冠者はちゃんと嫁にしてあげてください。
というか、大変今更なんですが、恵比寿様に参ったから釣竿なんですね……!? 気づいていなかった……。
公演概要
国立文楽劇場開場40周年記念 4月文楽公演
2024年4月6日(土)~4月29日(月)
第一部:絵本太功記
第二部:団子売・和田合戦女舞鶴・釣女
第三部:御所桜堀川夜討・増補大江山
国立文楽劇場