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【歌舞伎鳩:番外編】日高川入相花王・鷺娘(六月シネマ歌舞伎)

今回は二本立て。
鷺娘のビジュアルに惹かれて見に行きました。



日高川入相花王ひだかがわいりあいざくら

ざっくりとしたあらすじ:都からの追手を逃れて真那古庄司まなごのしょうじの館に宿を求める安珍(桜木親王)。
庄司の娘・清姫は安珍が都で見初めた人物だと気づく。
追手が迫った安珍を、庄司が「娘(清姫)の許嫁」だと偽りその場を逃れるものの、清姫はその言葉を間に受けてしまう。
追手から逃れるべくすぐに出立する安珍。
この時、館には安珍の恋人・おだまき姫も居合わせており、清姫が旅支度をしている間に二人は道成寺へと向かってしまう。
清姫はそれを追い、日高川に差し掛かるも、船頭が川を渡してくれない。
船頭を問い詰めると、安珍から「(清姫を)渡さないように」と金をもらっていると言う……。
きちんとしたあらすじはこちら

元は人形浄瑠璃の同一の演目「渡し場の段」という場面で、それをそのまま歌舞伎に落とし込んだもの。
そのまま、というのは、字の如くそのままで、役者が浄瑠璃人形や、人形使いをそのまま演じています。


清姫:坂東玉三郎
人形使い:尾上菊之助
船頭:坂東薪車


「鷺娘」の方ばかり気にかけていたので、こちらの演目のことを何も知らずに見たのですが、趣向がとても面白かった。
これは生の舞台を見てみたかったな。
まるで人形のよう、というよりも、人形そのものの動きと言って差し支えないほど洗練された動きをしていた。
清姫や船頭のような実際のお人形の役もさることながら、清姫(の人形)を操る「人形使い」の役もまた素晴らしく、この役があることで、一気に目の前にある人間が「人形」へと変化する。
また「人形使い」とは別に黒子さんもほぼ常時いるのだけれど、こちらも完璧な補佐役で、見ているうちに視認されなくなっていくのがすごい。

川の表現や、変わっていく表情の表現(あのなんというのだろう、お人形の頭が変わるような/清姫の表情を面で変えたり、船頭の眉の部分だけが面になっていて、自在に動いたり)、蛇の尾の方など衣装の表現、全てが面白かった。
全編を通して、人形浄瑠璃の世界を、人間が演じるようにどう表現しなおしていくか、というところの工夫が見えるのが素晴らしい。

お話の内容的にずっと夜なので暗い舞台の中、ラストの朝日を迎える清姫のあまりに美しい情景よ。
絵画的構図として完璧だった。
まあこの後の展開を考えると全く清々しい景色ではないのですが……。

お話の内容としては元々知っていたので、どうという感想も……と思いますが、いつ見てもなんというか安珍が不憫なようなそうでないような……それにしても清姫があまりに情熱的(良い言い方)で、これは好かれる方も困ろうな……と思われますね。

他の人形浄瑠璃の作品もこの形式で上演されるのを見てみたいと思えるほど、面白い試みだと思いました。
そして、本物の人形浄瑠璃を見たことがないので、こちらも見てみたい。
映像ではYouTubeに上がっているものがあるようです。


鷺娘さぎむすめ

おおまかな内容:道ならぬ恋に悩む白鷺の精。
叶わぬ恋に苦しみ悩み、ありし日の幸せだった思い出を振り返ったり、心が離れてしまった男をなじるように、娘姿で舞い踊る。
恋のために堕ちた地獄の苦しみにもがき、いつしか白鷺の姿に戻った娘は、降り頻る雪の中で息絶えるのだった。
詳しい内容はこちら


鷺の精:坂東玉三郎


素晴らしかった。
劇場を出たあとぼんやりしてしまい、何を良いと思ったのか、感想の言語化が疎かになるほど。
端的に言えば見惚れてしまったのだと思う。
あまりに美しく、素晴らしかった。

全編台詞なく舞う、舞踊の舞台(所作事)なので、初心者が細かな情報を拾うにはイヤホンガイド必携かも(長唄をきちんと聞き取れれば必要ないのかもしれない)。

恋に思い悩む姿、恋の嬉しさ、その心躍る気持ち、恋にやぶれるやるせなさ、恋に執着したことで受ける「地獄の責め」の苦しさ、すべてがこの演目で一同に見られる。
しかも舞踊という表現の中で。情感の表現の豊かさたるや。
また、舞台上の景色の表現、照明、小道具、すべてが調和していて、一体感を持って鷺の精を包むようにそこにただあり、実際の風景として見えるような完成度を持っているのが素晴らしかった。
あの舞台上はもう、雪の降る水辺であり、そこに佇むのは、悲しみに暮れた娘だった。

「鷺」の精だという表現に、「足」を使うのが印象的だった。
もちろん袖を使った「羽ばたき」のような表現もあったけれど、つ、と伸ばす足先を鳥に見立てるというのは、やはり暮らしの近くに鷺が存在していたからこそであろうなと思う。
細かな観察が支える、表現の説得力。

坂東玉三郎はもうこれを踊らない、と明言しているそうだけれども、それも納得というか、このひとつの演目を舞うためには、舞うという体力だけでなく、この世界を作り上げる精神力や、それに付随するあらゆる気遣いを完璧にやりこなせるコンディションが揃わないと、決して完成しないのだと思う。

映像として編集されているので、表情やこまかな動き・舞の表現が見られたのもとても良かったし、あますところなく全ての素晴らしい瞬間を捉えている。
一度は生で、舞台全体を眺めてみたいと思った。

シネマ歌舞伎っておそらく、数年単位で同じ上映をしてくれている? ような気がするので、次上映がある際は、この「日高川入相花王 / 鷺娘」の回はぜひ見てほしい。


ちなみにヘッダーの画像は「鷺娘」のものではありません。。。
坂東玉三郎 衣装展「四季・自然・生命~時の移ろいと自然美~」(セイコーハウス銀座ホール)に展示されていたもの。

黒繻子地雪持ち枝垂れ柳に流水鷺縫裲襠
(廓文章 / 扇屋夕霧)

この裲襠うちかけ、鷺のふっくらとした羽根や生き物としての刺繍(縫い?)の表現も良いと思ったけれど、柳の幹の表現も好き。
木の幹を描くときの定石のようなものとも思えるけれども、これも観察からくる説得力だよね。
そしてそれと、流水文の単純化されたデザイン的な柄が調和しているのも良い。

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