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うつ病の正体

僕はうつ病を経験したことがある。

というか、いまでも自分から消え去ったと思っていないし、別に一緒にいてもいいよと手名付けている。


はじまりは会社員時代。激務が続いていて、ある日会社に向かう途中のバスに乗りこむことが出来なくなり、会社を休んだことからだった。

はじめはよく分からぬまま医者にとりあえず2ヶ月休みなさいと言われ、休職することになった。

休んで気分が向上したと思い、部署も変えてもらって3年位は調子よく仕事をしていた。


だけど、またうつになった。

年始に帰省していた実家から一人暮らしの自宅へ戻り、新年一発目の出社をしようとするも今度はベッドから起き上がれず、再び実家へ行くことになった。


それじゃあ今度はしっかりと長めに休職しようということになり、ひたすらのんびり過ごした。

そうして休んでいると今度はヒマ過ぎて何かやりたくなってくるもんで。

近くのゲストハウスがスタッフを募集していたからやってみようかなと思い仙台のゲストハウスに飛び込んだ。そして自分でもやってみたいと思い、今ゲストハウスのオーナーをしている。


現在は、精神安定剤などの薬は服薬していない。

となると、一般的に見れば"うつを抜けた状態"ということになるだろうか。

僕はうつ病が治ったとは思っていない。

考え方のクセは残っているし、考え過ぎて発想が悪い方向へ行くこともある。

ただ、以前と違うのは第一感情としてネガティブな気持ちが生じたとしても、それに引きづり込まれないようになったというところだ。


僕なりの持論だけど、うつ状態とかうつ症状って誰にでも起こり得るものであって、うつ病まで行かない人はどこかで思考が引きずり落とされてしまわないようなブレーキだったり、支えだったりを持っているんだと思う。

そういうものの存在が見えていないような人たちが、自分を客観視できなくなって思考の渦の中に飲み込まれていってしまうんではないかと思っている。

少なくとも僕はそうだった。

脳内のセロトニンがどうとか良く聞くけど、その支えだとかすがるようなものがあれば回復させられるような気がする。


で、そうなってしまう原因は何かというと、人間関係に尽きる。

ただ、僕の捉え方の中では、単純に一緒に仕事してる仲間や上司と、学校の友達や先輩と、とかそういう次元ではない。

何かの本で読んだことがあるのだけど、人間は常に承認欲求があって、より良い自分を認められたい願望があるようだ。

そしてそれは周りの人を比較対象としてみてしまう。

そこが落とし穴だった。


地球上に全く同じ人間なんて一人としていないのだから、自分と自分の周りの人は違って当たり前なのだ。比較するまでは良いとして、そこに優劣をつけるのはおかしいだろうということ。

あくまで向上して乗り越えるべきは過去の自分であって、他人ではない。

だから、他人との関係でうつ病を抱えているならば、その考えを一切捨てるのがいいのではないかと思う。


でもなかなか、そうは言っても簡単に思考を切り替えられないのがうつ病の難しいところだと思う。

僕は徐々にだけど、そんな自分を客観視するようなクセをつけはじめた。

「あー今ネガティブモード入っちゃってんなー」とか

「これ今日一日は頭切り替えられなさそうだなー」とか。

もうそうなったら休むことにしている。あまり自分の気持ちに逆らわずに、ダラダラしてみたり寝てみたり。

そんなの全く無駄なことじゃないから、焦らず休めばいいと思う。


他人に対しては、何かを求めたり助けてもらうというのでなく、ただ単純に感謝の気持ちだけ持っていればいいんじゃないか。

くさい言い方すると、地球上にいる全ての人間が愛すべき人間で、自分もその中の一人。

全ての人がそう思える世の中ならコミュニティとか組織なんて無くても成り立つような気もするけどなあ。


僕個人的にはうつ病は治さなきゃって思う必要はないと思っている。

それよりかは自分の人生見つめてみて、自分が成長していけるように、それが少しでも周りの人の助けになるように、自分なりに行ける道を進んでいくのがいいんじゃないかと思う。

僕はそうして会社員の道から個人事業の道へ踏み出したわけだけど、出足が悪く冬眠中。

また時期が来たらガツっと動き出そうと思っている。


大丈夫、なるよーになるから。

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