フェティシズムについての考察と定義の拡充、そして弁明
世の中には様々なフェチを持つ人がいますね。うなじフェチ、脚フェチ、指フェチ、ホクロフェチなどなど。
10人いれば10個のフェチがあると言われるくらい人の趣味嗜好性癖というものは様々です。そして、どんな立場であるにせよそれを世間に表明してしまうと気持ち悪がられること請け合いです。
今回僕はそんな気持ち悪い行動に出ようとしています。自分のパーソナルな部分を世間に晒すっていう意味では露出狂と変わらないです。公序良俗に反しまくってます。変態です。はい。
しかし、僕にだって人権があるし他者から気持ち悪いと思われたいとなんてこれっぽっちも思っていないので、今回は最初から有料にしたいと思います。有料にする事で読者の数は減るし、その読者も"他人の趣味嗜好性癖を金を出してまで見たいと思う変態"という汚名を被せられるので周りに言いふらしにくくなり、僕の社会的名誉もある程度保障されます。
まず、自分のフェチを発表する前に、フェチそのものについて考えたいと思います。
広辞苑によると、
フェチとは、「フェティシズムの略。また一般に、特定のものに異常な愛着を示すこと。」とあります。
男性が女性の女性らしい部分に惹かれる際に、その女性のどこに性的な魅力を見出すかは人によって異なります。この差がフェチというものです。またこれは女性が男性の男性らしさに惹かれる場合も同じです。
だから、ネットでフェチというものについて調べてみると、フェチにも男女の違いが見受けられます。
そして、ここからは僕の意見ですが、このフェチを異性ではなく同性に感じる人、あるいは両方の性別に感じる人、どちらの性別にも感じない人が世間一般的にはLGBTと呼ばれる人々なのではないでしょうか。こう言われるとなんだか「そんなの当たり前じゃないか」と思われるかもしれませんが、僕は今までフェチとLGBTが同じ土俵で語られている所を見たことがありません。フェチという言葉をLGBTの人々にも適応させる事で今まで見えてこなかったものが見えてくるかも知れません。
今や同性愛者や両性愛者、トランスジェンダーな人々は世界に認知、理解されてきていて、性的マイノリティという言葉も使われなくなってきましたが、これらの問題はまだ世界中で話し合われています。性的マイノリティに権利を!というような意見はテレビやネットを通して毎日主張されています。
こういった人々がより生きやすい社会を目指して権利を主張している一方で、一部改善が見られるものの、社会では未だに差別が見られます。
では、なぜこのような差別が生じるんでしょうか。理由は大きくわけて2つあると僕は考えます。1つは、人間は自分にとって理解できないものを、心の平穏の為に排除したくなるという性質をもつからです。(勉強をしていてわからない問題があるともういい!って言って勉強したくなくなりますよね。基本的にはあれと同じです。)
もう1つは、生物学的には男と女の2種類しかない区分を、思想信条という別の尺度で区分し直さなければならないからです。この思想信条による男女の再区分は目に見えない尺度で行われ、そして、どのように再区分したとしても、これで区分しきったというような確信を得られない。この思想信条による再区分と生物学的な区分との間に齟齬が生じます。こういった理由から、思想信条で性別を区分するのは煩雑なのでこれまで通りの男女の区分だけでいいではないかという人々が出てきます。(もともと人は赤の他人の性癖なんて興味ないし、知ることを不快だと思う人もいるでしょう。)
そして、この生物学的な男女という区分のみでいいではないかと言う考えが、LGBTの人々を抑圧し、反発させてしまうのです。
ひとつ上の段落で思想信条による区分だと全ての性的指向性を区分しきれないという話をしましたが、これはフェチととてもよく似ています。
そんなフェチもあるのかよ!という際限のなさは上でも言ったようにフェチの1つの側面です。
ただのフェチならば男女の生物学的区分の中でも問題なく生きられます。しかし、LGBTの人々は同性の人々に性的な魅力を見出すので、生物学的な区分と思想信条による再区分の齟齬に悩みます。そういった際に人間は天から与えられた生物学的な区分よりも、自身の思想信条を尊重します。自身の指向性と社会への反発をこめて思想信条による性別の再区分を優先してしまうのです。
そして「私が生きにくいのは社会が悪い。」というふうに自身の思想信条の自由と権利を主張するのです。(僕は僕自身のフェチを公言するのを恥ずかしいと思う人間ですが、それは生活するのに支障をきたさないようなものであるからそう思うのであって、もしそういった思想信条で差別を受けてしまったら、LGBTの人々のように意見を主張するかもしれません。)
また、自身の性的指向性と生物学的区分の齟齬は自身のアイデンティティを揺さぶります。この際に、上でも言ったように、人は天に与えられた性別よりも、自身の思想信条を優先的に考えます。だから、身体が男でも男に性的な魅力を感じるので、自分は心の中では女である!という性別の倒錯が生じるパターンもあるのではないでしょうか。
結局何が言いたかったかというと、フェチとLGBTは対象が異性か同性かというだけでほとんど同じようなものです。しかし、フェチは生きるのに差し支えない思想信条であるのに対し、LGBTは生きるのに支障をきたすような周りからの差別や環境の中で生きているので、フェチは隠したいものだが、LGBTの人々は権利を主張しがちなのではないかということです。
ここまでの意見はあくまで個人の仮説なので意見や反論、補足、感想、思ったことなど、あれば是非コメントして欲しいです。
自分が思っていたよりも論が大きくなってしまい、この後で自分のフェチについて述べるとどうも尻すぼみな文章になりそうなのでやめておきます。
いずれ話したくなったらその時に。
自分のフェチの話もそこそこ面白いことを話そうと思っているので、その時は是非読んでみて欲しいです。(その際は有料にしますが。)