狂い方について
前書き
お疲れ様です、水瀬 海です。
今回はタイトルの通り、「狂い方」についてお話をします。
「いや『狂い方』ってなんだよ!」
確かに。
端的に言い換えると、「推し方」。
噛み砕いた言い方をすれば、「推しへの応援の仕方や考え方」です。
「そんなもん人それぞれだろ!」
おっしゃる通りです。
とはいえ「何かが好きなあまり狂う」というのは、時に誰かを傷つけてしまいかねない行為です。
最悪の場合は、あなたの大好きな「推し」に不快な思いをさせるかもしれません。
そうならない為に、僕の考え方が1つのエッセンスとなれば幸いです。
「そうだそうだ!水瀬 海はいつも正しいんだよ!」と思った人がもしいたら、この記事を100回読んで頭に叩き込んでくださいねダボが。
※ちょっと長いです。
01.距離感
まず1つめのポイントは、距離感です。
これはもう簡単ですね。
おバカな皆さんでもすぐに理解できると思います。
でも極稀にこれが理解できない人がいるので一応書いておきます。
人との距離感とは得てして難しく、近すぎたり遠すぎたり、色んなパターンはあれど失敗したことはない!という人は少ないと思います。
(ここで「失敗したことはない!」と思う人は、だいたい"近すぎ"の傾向があるので注意してください。)
友達でも難しいのであれば、あくまで他人である推しに対してはもっと難しいでしょう。
だって友達であれば"認知し合ってして、互いに好意的な存在"であることが大半ですが、推しというのは"こちらは認知しているが向こうはどうか分からず、また一方的に好意を抱いているだけかもしれない存在"だからです。
なぜふわふわした表現かと言えば、僕自身が「ファン」と「推し」の距離が比較的近い界隈に身を置いているからですね。
そういうわけで、もちろん"自分は推しに認知されていて、仲も良いんだ!推しであり友達だ!"という人もいるでしょう。
そこに唾を吐くようで非常に申し訳ないですが、それって本当に「認知されてますか?」
「仲良しですか?」
「友達ですか?」
ごめんね。
ただ、一度立ち返ってみるのもありかもしれません。
あなたはその"推し兼友達"と"プライベート"で一緒に遊びに行ったのでしょうか?
このプライベートに打ち上げは含みません。
ちょっと難しかったですか?
では例を
あなたはコンビニ店員。
毎日決まった時間にお酒を買いに来るお客様がいます。
形式的に年齢確認をしますが、顔はもちろん免許証からなんとなく名前も覚えてるような相手。
名札があるので向こうもこちらの名前を知っているでしょう。
常連さんですし、余裕があれば一言二言会話をすれば仕事として笑いかける時もあるでしょう。
ある日、その人のレジを終えた後「今日暇だしもう上がっていいよ」と言われました。
上がって外に出てみれば、店前でタバコを吸っていたらしい件の常連さんがちょうど立ち去るところでした。
「あ、どうも~。」
「どうも、お疲れ様です。」
などと挨拶を交わすがあなた達は同じ方向に歩きだします。
どうやら家の方向が同じようです。
常連さん相手に無言というのも愛想がないか、と歩きながら少し会話をするあなた達。
ある程度進んだところで十字路に差し掛かり、解散しました。
さて、この常連さんがあなたのことを「認知し合ってるしよく喋ります!笑いかけてもくれるんです!この間は途中まで一緒に帰りました!自分達は友達なんです!」と言い、あなたが働いている日はお店の前で出待ちするようになりました。
あなたにとってこの人は「お客様」ですか?「友達」ですか?
この人の行為は「友達が待っててくれる嬉しい行為」でしょうか?「それともよく知らない奴が急に待つようになった迷惑な行為」でしょうか?
ゾッとした人、恐らくこれまで推しに迷惑をかけたことはない可能性が高いです。
おめでとうございます。
よく分からなかった人、危ういので推しに積極的に関わりにいくのは1度控えましょう。
このように、人との距離感というのは自分の主観だけでは測れないものです。
例に出たお客様の言っていることも、嘘ではないわけですから。
もしあなたが推しを"推したい"と思うのであれば、自分の行動を客観的に振り返ってみるのも良いでしょう。
意外と全然プライベートでの関わりなんてないのに「友達だ」「認知されてる」「好かれてる」なんて言っちゃってるかもしれません。
最悪なパターンだと「身内だ」「関係者だ」等と…….。
※これは推しだけでなく推しの身の回り(スタッフさんや本当の関係者の人達)にまで迷惑かけ、場合によってはそういった方達から"推し"が怒られるので、本当に今すぐやめましょう。
02.口先だけなら
2つめのポイントです。
これはちょっと欲張りな部分もあるので、半分くらいだけ真面目に聞いてもらえたらと思います。
タイトルの口先だけならとは、どんなことを指すでしょうか?
口先だけならなんとでも言える。
これを推し活に当てはめて考えれば「口先だけならいくらでも推しだって言える」となります。
どういうことでしょう?
また例を出します。
あなたは俳優です。
最近軌道に乗ってきて、街中で声をかけられることも増えてきました。
そんな中でまた1人、通行人があなたに近づいてきます。
「◯◯さんですよね?」
「はい、そうです!ファンの方ですか?」
「はい!めちゃくちゃ推してます!凄い!嬉しい~!写真良いですか?」
「大丈夫ですよ」
パシャ
「好きな出演作品を聞いても良いですか?」
ファンを自称する相手は数秒言葉に詰まった後、あなたが有名になるきっかけとなった所謂代表作のタイトルだけを挙げました。
「あぁ、あれのお陰で今がありますからね!他にもあったりしますか?」
ファンは、それ以外は分からないと言う。
「そうでしたか…他の作品も頑張ってるんで、ぜひよろしくお願いしますね!」
「はい!◯etflix入ってるんでそれで探してみます!」
はは…と乾いた笑いは街の喧騒に溶けていく。
「ち、ちなみに自分の好きなところって…?」
え~っと、と悩む素振りを見せた後、ファンは答える。
「顔!あと、演技力…?ですかね!」
なるほど。
「ありがとうございました。」
そう言って駆け出していくファンは、どこかへ電話をかけている。
どうやらさっそく友達に自慢するようだ。
さて、そんなファンに手を振るあなた。
はたして先程の写真と同じように笑えているでしょうか?
明確な答えはありませんが、僕なら引きつってると思います。
勘違いのないよう言いたいのが、決してニワカがダメだと言っているわけではありません。
応援の形は人それぞれです。
ただやはり推しも人間ですから、声高々に「応援してます!」「推しです!」と言われたら嬉しいですし、その相手が自分の作品をあまり知らず、好きなところもあまり浮かばない様子であれば、どうしても寂しい気持ちになるものです。
決して無理はしなくて良いです。
当然です。
でももしあなたが推しを推しと呼ぶのなら、推しの作品をきちんと見て(聞いて)あげましょう。
好きなところをたくさん考えてあげましょう。
可能なら、劇場に行くとか、ライブを見るとか、グッズを買うとか、少しでもお金を落としてあげましょう。
それが推しの活動の原動力になります。
「結局お金かよ」
当たり前です。
あなたが仕事をしていて、正当な評価をもらえなければ?
「いや~!よく頑張ってるね!」と言われたのにお給料がもらえなければ?
あなたは納得できますか?
推しの活動には、押しなべてお金がかかります。
推しを推しに押し上げるのは、あなた自身なんです。
僕は音楽活動をしていますが、グッズ買ってもらったら嬉しいし、できればライブに来てほしい。
学生でお金がなければ全然それで良いから、曲を聞くのだけ欠かさずして欲しい。
拙くても感想を言って欲しい。
配信を見に来て欲しい。
コメントして欲しい。
それで活動を続ける力が湧いてくるんです。
感想やファンアートなんかもらったら、小躍りしちゃいますよ。
以上、わがままでした。
03.儲
3つめのポイント。
最後です。
タイトルは「もうけ」?
ノンノン、信者です。
信者と書いて儲けるとはよく言いますが、信者が必ずしも良いわけではないというのは、インターネットに造詣の深い皆さんであればご存知でしょう。
信者はお金になります。
その尽くが02のポイントを忠実に守り、時に01のポイントは守れず、盲目的にお金を落としていくからです。
「盲目的」
ここがミソ。
「お金を落としてくれるんだしいいだろ!」
ところがどっこいそうではない。
いやもちろんそれでも良いって人もいるでしょう。
ただ少なくとも僕は好みません。
何がダメか。
盲目的なファン、つまり信者というのは、前述の通り01を守れないことがあります。
お金を落とした結果「自分はこれだけ頑張って応援してるんだから、見返りがあっても良い=認知されてる/好かれてるはずだ」という倒錯的な思考に苛まれるわけです。
そして「恋人ヅラ」で他のファンに攻撃したり、「身内ヅラ」で説教を垂れて自分の思い通りにコントロールしようとする。
これはわかりやすくダメですよね。
だって01でダメって言ってるんだから。
ダメなものはダメです。
そりゃお金を落としてくれたら嬉しいけど、02でも言ってるように無理はしてほしくないし、何よりそのお金はあくまで「推しの活動への対価」であって、そのお金にさらに見返りを求めること自体間違ってるんですよね。
その時点であなたは「推しの活動」と「自分の払っているお金」がイコールになっていないわけです。
大人しく「推しの活動」に払っても良いと思える金額を払いましょう。
それだけではありません。
お金を落とし、距離感も間違えず、それでも尚信者には良くない行動の傾向があります。
それは>>>>>全肯定<<<<<です。
極端な例
「こないだ遅刻したら怒られたんだけど、ムカつくし無視したわ~」
「◯◯さんにだって事情があるもんね!何も聞かずに怒るなんて最低ー!」
ちなみに既に信者化してる人は、上記の例でも何がおかしいか分からないことでしょう。
鏡を見て「お前は誰だ」と10回、毎日唱えといてください。
上記の例が盲目的な行動だと少しでも理解出来る人、おめでとうございます。
あなたはまともなファンにかなり近いです。
ちなみに僕は過去にこんなエピソードがあります。
ある時、友人のA,B,Cの3人と僕でゲームをしていました。
対戦型のゲームです。
2人1組のチームに分かれて遊び、Aと僕のチーム、BとCのチームに別れた試合で事件は起きたのです。
Cをやっつけ、Bも追い詰めた時のことでした。
AはBのことが大好きでした。
それはもう、盲目的に。
Aは僕のことを攻撃したのです。
突然のことでわけが分かりませんでした。
「Bさんを負けさせるわけにはいかないので」
それ以降も、AはBと違うチームになれば必ず味方を裏切ってBに加勢しました。
最初は「おいおい!」と笑っていた僕も、さすがに段々楽しくなくなり、笑えなくなりました。
特にハッピーエンドはありません。
試合も、推し活も、フェアであるべきです。
先程「『身内ヅラ』で説教を垂れて自分の思い通りにコントロールしようとする。」ことがダメだと書きましたが、推しが本当に良くないことをしてたのなら、良くないと言ってあげる愛の形もあります。
ちょうどこの記事を書いている日、とあるカップル活動者が「浮気が原因で休止」という投稿を目にしました。
その投稿には「◯◯(浮気した方)は見た目が良いから仕方ない」「XX(浮気された方)は見た目悪いし、◯◯は早くXX捨てた方が良いと思ってた」「浮気されるXXの内面に問題があるのでは?」等、◯◯さんを擁護しXXさんを避難するコメントが溢れかえっていました。
というか、その愚劣なコメントを見てこの記事を書こうと思いました。
皆さんはどう思うでしょうか?
自分が間違った時、間違ってると言ってくれる人。
全部君が正しいと言ってくれる人。
どっちに傍にいて欲しいでしょうか?
どっちがあるべきファンの形なのでしょうか?
後書き
狂い方、なんて如何にもオモシロ記事の顔して、めちゃくちゃお硬い文章を長々と書きました。
すみません。
今回話したことはいずれも答えの無い問題です。
人の在り方はあくまで人それぞれです。
ただ、あなたの在り方で誰かの人生、進み方に少しでも影響を及ぼすなら、その"在り方"というものを見つめ直してみるのも良いんじゃないでしょうか?
"推し方"を見つめ直してみるのも良いんじゃないでしょうか?
"狂い方"を見つめ直してみるのも良いんじゃないでしょうか?
では、よき気狂い(推し活)ライフを!!!
お送りしましたのは、水瀬 海でした。
それじゃあ皆さん、ばいばい。
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