僕の小規模な退職 その7
退職を決めてからというものの、ほぼ毎日定時退社をしている。
入社以来、連日定時退社するのは初めての事じゃなかろうか。
連続定時退社の記録更新だ。
退社目前で連続定時退社の新記録を更新し続ける事ができたのだ。
貴重な経験だ。
さて定時退社の記録更新中。
通勤には公共交通を利用しているのだが、ふと家まで歩いて帰ってみようじゃないかと思い立った。
そう春らしくなってきたこの頃。
何か新しい発見があるかもしれない。
小さい春を見つけるかもしれない。
会社を出た瞬間にそういう考えが降りてきたので実行している。
今住んでいる土地は冬が長いのだが2週間ほど前くらいから雪解けも進み春らしさを感じるようになった。
いや、正確には春らしさは無い。
生まれ育った土地や10年前には住んでいた首都圏に比べると春の気配は感じられない。
風は冷たく気温も低い。
末端冷え性の身としては鼻や耳、手指といった体の先がまだまだこわばる。
それでももう6年も住んでいると可笑しなものでこの時期になると春を感じている。
体内時計的なものが季節を察知するのか。
日の長さ、太陽の角度がそう感じさせるのか。
真冬の厳しさとの対比による気温差がそう感じさせるのか。
この土地に来るまでは植物が芽吹きだしたり花が咲いたり。
温かい風が体に当たったり桜が咲いたり。そう桜が咲いたり。
そういったもので春を感じていた。
「小さい春見つけた」
ってヤツだ。
しかしどうだ。
日当たりの悪い路肩にはまだまだ氷塊に変化した雪の残骸が残っている。
よおく目を凝らせば木々にも新しい芽が芽吹いているかもしれないが、どうしてみても葉を落とした冬の木から変化を感じられない。
雪解けの道路にはその役割を終えたであろう滑り止めの砂利や、雪の中に隠されていたであろうゴミの一部達が幅を利かせている。
たまにどこかのご家庭の愛玩動物の残しものであろうか。はたまた酔っぱらいの落とし物か。コールドスリープから目を覚ました彼らが本領を発揮して異臭を放っている事もある。
とてもじゃないが雪解けした街の様相はおよそ景観の良いものでは無い。
それでは一体現地生まれの人は何で春を感じるのだろう。
まさか砂利やゴミを見て「小さい春見つけた」となるわけでもあるまい。
だが、道行く人々の服装は冬の装いから春の装いへと変わっている。
気温はまだまだひと桁代だ。
冬の装いでもおかしく無い気温。
風は冷たく底冷えする。
それでも冬物コートや冬靴を脱ぎ捨て、皆一様に春仕様にクラスチェンジしている。
という事はだ。
春を感じているということなのだ。
どこに感じている。
わからない。
歩いて帰る道すがら、そんな事を考えていたらあっという間に家に着いた。
小さい春を見つけるつもりが、またしょうもない事を考えてしまった。
かくいう自分も完全防寒の冬の装いではない。
まだまだ春物とまではいかないが歩いて帰ると冬物では暑すぎる。
来たばかりの頃、この時期はまだまだ冬と感じていた。
1年の半分くらい春なんじゃないかと思っていたくらいだ。
桜の咲く5月になっても春の陽気は感じられなかった。
桜が咲いているのに冬?
そう感じていたくらいだ。
しかし6年も過ごすと感じ方が変わる。
今の時期に春を感じている。
慣れなのか。
順応したのか。
知らない間にバージョンアップしたのだろうか。
バージョンアップ?
仕様変更だ。
とにかくそんな変化が自分の中で知らず知らずに行われていたのだろう。
無意識での変化。
自分を形成するいくつもの細胞のおかげ。
細胞様々。
細胞すごい。
細胞に感謝。
さぁ細胞よ。
推定無職の私に叡智を授けてくれ。
私を導いてくれ。
44歳。推定無職。小さい春見つけたい。