レビュー:アンナ・レンブケ『ドーパミン中毒』(新潮社、恩蔵絢子訳、2022年)
タイトル、表紙、帯の惹句のセンスから想像されるよりもずっと良い本だった。多くの依存症患者を診察してきた著者が、具体的な事例と科学の知見、そして著者の経験と人間観・社会観に基づいて、依存を生み出す生理的、心理的、社会的要因と、依存を断つ方法について解説する。
現代の文明は私たちを豊かにし、そして私たちの周りを心地よいもの、刺激的なもので溢れさせた。一方で私たちの多くは不安やストレスや孤独や欲求不満を抱えている。そんな中で私たちはわずかな苦痛も厭い、すぐに得られる快楽を求めるようになってしまった。
そのような快楽の中には私たちを依存させるものがある。アルコールや煙草、鎮痛剤、麻薬などの様々な薬物だけでなく、ポルノや性的行動なども依存を引き起こしうるし、普通の食べ物や読書や運動も場合によっては依存の対象になる(著者自身も一時期、「月並みなエロ小説」を読みふけることがやめられなかったという)。
著者は快楽と苦痛の関係に注目する。快楽に関連する脳の部位はまた苦痛を感じることにも関係している。そして苦痛と快楽はシーソーのように、一方に傾くとその後は他方に傾くように調整されると著者は言う。要するに感覚や情動において中立的な状態から長く繰り返し逸脱することにはコストがある。手っ取り早く快楽や興奮を与えてくれるもので不安や痛みを解消しているうちに、それらが欠如したときにさらに大きな不安や苦痛を感じるようになってしまう。そしてその不安や苦痛から逃れるためにますますその物質や行動に依存する。
では依存を断つにはどうしたらよいか。著者は彼女が「DOPAMINE」と名付ける以下の方法を勧める。
Data: 対象の摂取行動について詳しいデータを集める。
Objects: 自分が何を目的にそれを摂取するのかを問う。
Problems: 摂取することでどのような問題が生じるかを考える。
Abstinence: 対象を断つ、あるいは節制する。
Mindfulness: 対象を断つことからくる不安から目をそらず自分を見つめる。その際には自分を裁かないことが重要。
Insight: 摂取を控え、自分を見つめることで自分の行動の原因や苦しみの源に思い至る。
Next steps: 対象をさらに断ち続けるか、あるいは節制しながら付き合っていくかを考える。
Experiment: 試行錯誤をしながら何がうまくいくかを見極める。
人々が依存に陥る要因は複雑であるが、著者は「アクセスのしやすさ」が特に重要であるという。したがって依存を断つためにはその対象が手に入らないような状況を意識して作ること、すなわち「セルフバインディング」が重要である。そうして過剰に追及していた快楽からしばらく距離を取るとシーソーのバランス、ホメオスタシスが次第に落ち着いてくる。著者が多くの患者を見てきた経験では通常それには2週間から1か月くらいかかる。
著者が勧めるユニークな方法の一つがシーソーをあえて苦痛の側に傾けるということである。コントロールされた苦痛によって、それが取り除かれたときに快を得ようということである。現代の文明人は苦痛を回避することに重きを置きすぎている。しかし実際には苦痛はその後の快楽をもたらすものでもある。冷水浴や運動などの苦しみの後には健康的な快楽が得られる(ただしこれもやりすぎると依存になりかねないので注意は必要である)。より重要なのは自分の不安や苦痛の源になっているものから逃げるのではなく、あえてそれに向き合うことである。それは最初は非常に苦しい経験かもしれない。しかし真直ぐに向き合ってみれば、それは逃げていた時に思っていたほどの苦痛はもたらさないかもしれない。また繰り返しそれに向き合うことでやがて克服できるかもしれない。その一方で一時的な快楽によって不安や苦痛の源から目をそらすことは根本的な解決にはならず、かえって不安や苦痛を増すことがおおい。
もう一つ筆者が勧めるユニークな方法は「徹底的な正直さ」である。自分の振る舞いや考えについて正直であることは難しい。人はほとんど無意識のうちにさまざまな嘘をついている。徹底して真実を語ろうとすることは自分の経験の全体をよく観察することにつながり、それはまた自分の欠点を見つめること、自分自身に責任を持つこと、自分と他者との関係をとらえ直すこと、自分自身の行動を変えることにもつながると著者は考える。また自分について真実を語ることは他者との間に親密な関係を作ることに役立つ。
他者との良い関係も依存症患者にとっては非常に重要である。周りの人間が信用できない、世界が不安定な場所だと感じている時、人は長期的な利益よりも短期的な利益を好むようになる。逆に周りの人間が信頼でき、世界が満ち足りていると思っているならば短期的な利益を追い求めないでいられる。これは依存症に陥ることを防ぐマインドセットだと著者は言う。
正直であることが難しいのは、自分が間違ったことをしたり考えたりしていることを正直に告白することは恥をもたらすからだ。恥の感覚は人を破滅に向かわせることもあれば、人がよりよい方向に向かうことを促すこともある。著者は前者を「破壊的恥」、後者を「向社会的恥」と呼んでいる。依存症患者には破壊的恥ではなく向社会的恥を持たせなければならない。そのためには周囲の人間が患者の正直な告白を敬遠するのではなく、共感をもって受容しなければならない。自分には居場所があると感じさせなければならない。同時に周囲の人間も自分の欠点や過ちについて正直でなければならない。互いの欠点を認め合い間違いを共に直してより良い方向に向かうような関係性が望ましい。
ざっと要約すると、なんとなくありきたりなことを書いているように思えるが、著者の豊富な臨床経験、彼女が接してきた患者たちの生々しい体験、そして彼女の人間観などが重なった、非常に読み応えのある本だった。