宇佐原市役所危険対策課の終焉
一
今日も敵は機嫌よく暴れていた。
ビルの横っ腹に穴を開け、信号をなぎ倒し、車をぺしゃんこに押しつぶし……。
正式名称は舌を噛みそうに長ったらしい横文字なのだが、舌を噛むと痛いから誰も正式名称は使わず、「パトリック」と呼んでいる。アニメの『スポンジ・ボブ』に出てくるパトリック・スターに形態が似ているからだ。
五本の足(または腕)から触手を伸ばし、それらを鞭みたいに振り回して暴れるパトリック。
「きゃっ」
危うく触手の一撃を逃れたピンクのボディスーツのリカが、体勢を崩して尻餅を突く。
「リカ、大丈夫か!」
レッドのボディスーツのユウトが、すばやくリカのサポートに向かう。
不思議なのは、男性用ボディスーツは手足がぴっちり覆われる形なのに、女性用はなぜか太腿剥き出しでノースリーブ。おかげでわたしなど生傷が絶えない。この女性用ボディスーツのデザインはセクハラだという趣旨の意見書を提出したことがあるのだが、あっさり握りつぶされた。地方公務員の仕事がここまでブラックとは知らなかった。
それにしても、リカは弱い。
なにしろ悲鳴を上げて逃げまどうばかりなので、思い切りチームの足を引っ張っている。なんでこんなやつが採用されたのか不思議でならず、一度遠回しに本人に訊いてみたことがある。すると、
「わたしのパパって、ここのボディスーツを開発したナンボ博士なのよ」
と涼しい顔で宣った。
親の七光りのコネ採用をまったく隠さない堂々とした態度に毒気を抜かれ、わたしは「そうなんだ」としかいえなかった。それにしても、自分の娘が着るボディスーツをこんなデザインにするとは、ナンボ博士とやらは相当なヘンタイに違いない。
リカとできてるらしいユウトは、「子供の頃からジャンプを読んでジャンプヒーローに憧れて本当にヒーローになったオレ」という熱血根性バカ。あんた、どんだけジャンプ好きなのよ。
「しまった!」
余計なことを考えていたせいで、後ろから伸びてきた触手に絡め取られ、わたしの身体は逆さづりにされる。
「くっ、うぅ……」
ボディスーツに防護機能があるとはいえ、締め上げられるとかなりの苦痛だ。思わず口から悲鳴が洩れてしまうが、それでもわたしは冷静にタイミングを計り、わたしの武器である月之剣で一気に触手を切り裂く。瞬間、身体に巻きついていた触手が緩み、わたしは空中で一回転すると、すたっと地に降り立つ。
触手の一本が切断されたことでモチベがダダ下がりしたのか、パトリックは地底に逃げていった。もっとも息の根を止めたわけではないから、どうせまた出てくるのだが……。
「ルミ、すっごーい!」
リカが走り寄ってきて、恋人つなぎみたいにわたしの両手に指を絡め、左右に振り回す。
「腕を上げたな、ルミ!」
ユウトが熱血根性バカな声を出す。リカを守ってばっかで敵にまともな打撃ひとつ与えてないくせになんで上からくんのよ、と内心思うけど、わたしはにっこり笑って「ありがとう、みんな」という。
ちらっと、視線を少し離れたところに立つブルーのボディスーツの男に走らせる。
シュウ。
わたしが自分で触手を切り離せなかったら、きっとシュウが助けてくれたはず。特に根拠はないのだが、わたしはこの寡黙な男の目を見て、そう確信するのだ。
二
最近、地上は暑い日が続くせいか、パトリックは鳴りを潜めている。
出動がないからといって、ダラダラしているわけにはいかない。わたしたちは宇佐原市役所内基地のトレーニングルームで汗を流していた。
トレーニングルームには、超高性能のトレーニングマシーンが揃っている。
不思議な話なのだが、パトリックが暴れれば暴れるほど宇佐原市は豊かになっていく。今では宇佐原市役所の外観は東京都庁と見まごうほどだし、基地だって戦隊シリーズのそれというより、ハリウッドの超大作映画に出てくるような佇まいだ。
宇佐原市には、政府から多額の補助金が支給されている。おかげで人口僅か五万人の小さな市は潤い、パトリックがいくら派手に町を破壊しても、市民からはやんちゃ坊主を見守るような生暖かい空気が漂う。
被害額については、見積りを提出すれば補助金とは別に政府が全額負担してくれる。その見積りにしても、かなりどんぶり勘定でいいらしく、おかげで地元の建設業者は大喜びらしい。
「よし、勝負だぜ、シュウ!」
ユウトがいかにも頭の悪そうな声で叫ぶと、ランニングマシーンの速度をどんどん上げていく。そんな挑戦なんて無視すればいいのに、シュウもユウトと競い合って速度を上げる。「うおおお!」とか吠えているユウトはバカ丸出しだが、男らしいきりっとした眉を少し顰めて黙々と走るシュウには、心の中でつい声援を送りたくなる。
――はい。
わたしは缶ジュースのタブに指をかけて開け、信号待ちをしているシュウに笑顔で差しだす。
――サンキュ。
アメリカ生活が長かったシュウは、こんなさりげない一言でも発音が普通の日本人とは違っていて、なんかカッコいい。
運転席の男の人に飲み物の世話を焼いたり、ナビを見たりするのは助手席の彼女の仕事よね、と思いながら、わたしは鼻筋の通ったシュウの横顔をうっとりと眺める。オーディオからは素敵な音楽が流れ、海まではもう少し……
「わたし、みんなのドリンク持ってくるね」
いきなり耳元でリカの声がして、シュウとふたりでドライブにいく妄想に浸っていたわたしは、どきっとする。
「男の人って、いくつになっても子供みたいだよね」
リカがくすくす笑う。
「そうだよねえ」といいながら、リカの顔の近さにわたしはちょっと戸惑う。あ、わたしもドリンク持ってくるの手伝うよ。いいよ、ルミはトレーニング続けていて。
(またサボるつもりね)
軽く手を振って遠ざかるリカの、そのさらさらロングヘアが背中で揺れるのを見つめながら、わたしは心の中で呟く。そもそもあんなに長い髪を結びもしないのが、真面目にトレーニングなんかする気のない証拠。
ふと思いついたことがあって、わたしもそっとトレーニングルームを出た。
案の定、ドリンクバーにリカの姿はなかった。
(やっぱり……)
ユウトとリカはカップルのはずだが、最近のリカのユウトに対する態度には微妙な変化が生じているとわたしは感じていた。
実はわたしたちのチームは元々四人ではなく、五人だった。ボディスーツの色でいえば、ユウトがレッド、シュウがブルー、リカがピンク、わたしがホワイト。そしてもう一人、グリーンのシノハラさんがいた。
シノハラさんはオタクっぽい小男で、年も三十に近く、リカ以上に強烈な場違い感を振りまいていた。この人だけ下の名前でなく苗字を「さん付け」で呼ばれていることからも、チームメイトとの距離がわかる。リカなんか、シノハラさんなど眼中にないという感じを全身で露骨に示していたものだ。
ところが、自衛官上がりだという初代隊長が宇佐原市役所市民課戸籍係に左遷されるや、その後釜に座ったのがなんとシノハラさんだったのだ。
リカのシノハラさんに対する態度が変わったのはその時からで、特に用もないのに隊長室を頻繁に訪れていることをわたしは知っている。
やっぱり手伝おうと思って追いかけたんだけど、ドリンクバーにリカいなかったんだよね、どこいってたの、と訊いたらあの女はどんな顔をするのかと思いながら、わたしはとりあえずトレーニングルームに戻ることにした。リカが隊長室にいるかどうかより、シュウとユウトの勝負の行方が気になったから。
……なにげなくトレーニングルームを覗いたわたしは、身体に電流が走ったような衝撃を覚えた。
とっさにドアの外の壁に身を隠し、なんとか息を整える。
わたしが見てしまったもの――
それは、汗びっしょりの身体で抱き合うふたりの男だった。
三
「あれ、なんで外にいるの」
はっと振り返ると、いつの間に用意したのか、トレーに四人分のドリンクを載せてリカが立っていた。
「だめよ、リカ。今入っちゃだめ!」
「何するの、ルミ。ドリンクがこぼれちゃう」
わたしはトレーをリカの手からひったくると、近くにあった台の上に放り出し、リカの腕を取った。とにかくこの場から離れなきゃ!
「どうしたっていうの」
「いいから!」
ジャンプと思って読んでいたら、ハニーミルクコミックスだったなんていえるわけない。
「ああ」
合点がいったという声が、リカの唇から洩れた。
「いいのよ、ルミ。わたし、知ってるから」
わたしは思わず、まじまじとリカの顔を見つめてしまう。
「ユウトとシュウの関係でしょ。わたし、前から気づいてたよ」
「えええっ」
「鈍いのね、ルミって」
わたしの両手の指に、さりげなくリカの指が絡んできた。
「だから、わたしの気持ちにも気づいてなかったんでしょう」
リカの顔が近い。近すぎる。
「あ、あなたの気持ち?」
思わず後退ろうとしたわたしの背が、壁に当たって止まる。
リカの吐く息が、ふわっとわたしの耳を湿らせた。
「わたし、ずっと見つめていたよ、ルミのこと」
「か、からかわないで! だって、リカはユウトと……」
「あんな暑苦しい男、むしろ苦手なタイプ」
「う、うそ……」
「でも、ユウトはわたしとシュウの二股だから、それを利用して戦闘中ずっとわたしの方に引き止めておいたの。わざとルミを窮地に陥らせるためにね。シュウはユウト愛一途だから、ユウトのいいなり。ねえ、ヘンだと思わなかった? いつもあなただけパトリックの触手に捉えられて、ひどい目にあうことを。あれ、全部わたしのせいなのよ。わたし、苦悶に顔を歪めているルミを見るとぞくぞくしちゃうの……」
「は、はあ?」
リカの眸を見返したわたしは、秒で理解した。これ、マジやばいやつ。
「さ、最近のリカ……た、隊長とも仲良しみたいだけど……」
「だって隊長には権限があるから、取り入っておけば何かと便利でしょ。実はルミにもっと露出度の高い新ボディスーツを着せるよう交渉中なの。隊長がうまく上に掛け合ってくれれば、開発するのはわたしのパパだもん。ふふ」
ふふ、じゃないわよ、このサイコパス女! わたしが怒鳴りかけた時、警報音が鳴り響いた。
パトリック、襲来!
よりによってこんな時に?
ユウトとシュウがのろのろとトレーニングルームから出てきたが、ふたりの方へ視線を向けられないほど、まったりした空気を発散している。
リカはリカで、わたしの手を握って離さない。
どうすんのよ、この状況!
「おい、何やってんだ。警報音が聞こえないのか、はやく出動しろ」
シノハラさんが血相を変えて走ってきた。
「うるせーよ、元グリーンのくせに」
人の恋路を邪魔する奴はパトリックに喰われろ、とばかりユウトが口を尖らす。
「なんだ、隊長に向かってその態度は!」
「隊長なら、たまには自分で出動して戦えよ。いつもオレらばっかり危険な目にあわせやがって」
シュウもユウトを見ながら頷く。ああ、シュウ……。
「ふざけるな!」
シノハラさんが激昂した。「私を誰だと思ってるんだ。私の正体は中央官庁から派遣されてきたエリート官僚なんだぞ。パトリックをこの田舎に足止めしておき、間違ってもゴジラみたいに東京に出現させないことが私の仕事なんだ。東京の平和と安全のために地方が犠牲になるのが、昔からこの国の構造だからな! お前らの代わりなんていくらでもいるんだ、クビになりたくなければさっさと出動しろ!」
「ひでえな、なんだよそれ」
ユウトがぶつくさいったが、先ほどの勢いはない。男というのは権威と権力に弱いのだ。シュウも、シノハラさんがエリート官僚だと知ってから、明らかにおどおどと視線を泳がせている。
「ねえ、出動しましょうよ。それでルミ、あのパトリックの嫌らしい粘液に塗れた触手でめちゃくちゃにされて!」
リカの眸が興奮のあまり、じっとりと潤んでいる。
この時、わたしの中で何かが弾けた。
わたしはリカの手を振りほどくと、全員の顔をねめつけながら叫んだ。
「ええかげんにせーよ、お前ら!」
その日、わたしの怒りの月之剣によってパトリックは完全に消滅した。
敵がいなくなったので、宇佐原市役所危険対策課チームも解散することになったが、わたしはこの課に関わった全ての人を、セクハラとパワハラで告訴することにした。
(了)
※表紙イラスト/ノーコピーライトガール