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包括的に望む②

↑こちらの続き。

昨日は書けなかったけど、やっぱり書いておく。
気づきが起きてからは
新鮮さがどんどん失われていってしまって
「当たり前」になるスピードが異様に早い。

焦る。笑


私は「個」の意識が強いんだと思う。

自分は自分の人生の創造主。


だからその考えは間違ってないけど

自分の人生と他人の人生を
はっきり分けて考えるからこそ
自分が影響を及ぼす(と思ってる)世界の範囲も
自分と家族に限定
していたように思う。

そうするべき、という義務感すらあった。

だってその人の人生はその人のもので、
その人の自由だから。

だけどhappyちゃんの話を聞いて、
「自分が観測する世界」については
もっと望んでもいい
ことに気づいた。

つまり「自分が観測する世界」の中に
もっとたくさんの人を入れてもいいんじゃないかと思えた。

例えば自分の生み出したものの先にいる人に
何を受け取ってもらって、
受け取った様子を見て「私が何を感じるか」
という部分については、「私の世界」の話。

ということ。

実際にはその人たちが
何を受け取るかということについては
介入できないけど
その様子から私が感じることについては
意図設定できる


引きこもり生活で、
家族とのコミュニケーションと
仕事のやりとりと
ごくたまに(笑)限られた友達との
コミュニケーションの中で
なんとなくこれ以上の
人生の広がりを感じるのが
難しいような気がしていた。

だからといって新しいコミュニティに入ったり
人に会いにいきたいわけでもないのは確かだった。

だから仕事が増えて収入が増えていけば
物理的にできることも増えるし
人生に広がりが出てくるのかもしれないと
漠然と思っていた。

でもそんな回りくどいことをしなくても
今この瞬間からできることがある。

自分が世界に提供したものの先に
受け取ってくれた人が何を感じ、
それを通して私は何を感じたいのか?


これについて
意識的に意図設定できるようになれば
世界が広がっていくような気がした。

相変わらず
自己完結的な生き方に変わりはないけど
もっと広く喜びを享受できると思った。

このブログだって
始めた当初はとにかく『書く』ことを
目的にしてきたけど、

意図設定する場所を
どんどん遠くに伸ばしていけば
世界が広がる気がした。

人生の楽しみ方に
深みが増す、
嬉しい気づきだった。

そして気づいたので、
今関わっているお仕事で
試しに1つ 意図設定させてもらった。

渦のようなエネルギーを感じたい

そしたら渦ができた。
私の視点の、私の世界の話。

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