永遠のゆく先へ #3「サラダチキン5個」

静寂の中で、マリは目を覚ました。 直後、マリは見渡すかぎり何もない、真っ白な空間で横たわっていることに気づいた。

いったい、何が起こってしまったの? マリは地面に手をついて起き上がった。その手には感触がない。視界の中からは、いっさいの「モノ」が見てとれない。どこが地面でどこが壁なのか、まったくわからないので、まともに歩くことさえできない。

音もしない。人間、本当に静かなときは、自分の心臓の音や耳鳴りが大きく聞こえるというけど、それすらも聞こえない。味もない。においもない。全ての感覚が薄い。そんな空間のなかで、自分自身の身体だけが、やけに重たい。

目を閉じると、真っ暗。目を開けると、真っ白。ここは、白と黒と、自分しかいない空間。マリは急に寂しさを感じて、鼻の奥のほうから、つんとした何かが上がってくるのを感じた。


マリは散らかった部屋のベッドで目覚めた。カーテンの隙間からは朝の陽がにわかに射し込み、部屋をほんのりと照らす。まどろみの中で、よれた布団の感触が手や体に伝わる。
「やっぱり、夢だったか」
マリはしばらく呆然したまま、ベッドの上に正座で座り込んだ。今しがたまで自分が頭をくっつけていた枕の、すみっこのほうの一点をぼうっと眺めていた。

まだ寝ていてもいい時間だった。いつもなら、どんなにうるさい目覚ましをいくつ置いても起きられないのに、今日はセットした時間より先に目が覚めてしまった。二度寝してもよかったが、どうせ10分もせずに起きる羽目になるからと、まだ重い頭を持ち上げて、マリはゆっくりとベッドから降りた。

「あらマリちゃん、今日は早いの」
 狭い廊下を歩いた先、リビングにいた母は、ソファに座ってニュース番組を見ていた。
「何があったの? 隕石でも落ちてくるのかしら。やーね」そう言って、母はちょっとにやっとした。そんな言い方はないじゃないか。早く起きた甲斐がない。明日からはもっと遅く起きてやろうか。

しばらくしたら、朝食が出てきた。いつもはトーストだけだが、今日は目玉焼きとサラダが追加されている。ご丁寧にサラダチキンもついている。マリは椅子に座り、それらの料理が乗せられたテーブルに向かった。食べながら片手間にスマホを見ていたら、意外と時間が経ってしまった。そのせいで、結局出発は急ぐことになってしまった。


6時間目のチャイムが鳴った。今日は授業で当てられたけどスムーズに答えられたし、結構いい日だったな、などと思いながら、マリは帰路についた。

帰り道、市民公園のそばを通った。そういえばちょっと前、ここで不思議な体験をしたような気がする。いやでもあれは結局夢だったんだっけな。と思いつつも、足は自然と公園の中に向かっていた。

あれから、ことあるごとにマリは公園に通っていた。その理由は自分でもよくわからなかった。単に退屈な日常への抵抗だったのかもしれない。だが、あの日のことがやけに気になって、柄でもないが、あの日の追憶を追い求めていたのかもしれない。

真冬だから、外はだいぶ暗くなっていた。マリは、気の向くままに林の中に入っていった。木々の間の開けた場所に、それはいた。

「……わあ」

そこには、見覚えのある少女が横たわっていた。頬はやつれていて、顔はひどく青ざめていた。
「……もし……かして……あの時の……」

「……だ、大丈夫!?」
マリは少女のもとへと駆けた。間違いない、あの時の。私を、私たちをあの岩だらけの場所へと連れて行った、あの少女だ。そう言うと人聞きの悪い感じがするが、対照的に、マリは少しの高揚感を感じていた。

「……ありがとう……ございます……私……長いこと……何も……食べてなくて……」
少女はつぶれた声で言った。食べてないってまさか、あの日から? とりあえず、助けないと。そう思ったが、マリは病人を介護した経験などない。
「ど、どうしよう……」

マリは遠くを見た。そこには、ちょうどよく、何か大きな荷物を持った人が通りかかっていた。ちょっと挙動不審にも見えた。やがてマリはその人と目が合った。その顔は、見覚えのあるものだった。

「あっ! ……」
というような声しか、双方とも出なかった。顔を背けているが、マリはわかった。あの日、天体観測をしていた子だ。フードを被っているが、メガネとおさげが特徴的なことをマリは覚えていた。

その子は何も見なかったかのように、その場を立ち去ろうとした。しかし数歩歩くとまた止まり、マリたちの方に少し向いたかと思うと、またどこかへ行こうとする、という仕草を繰り返した。その姿はどこか滑稽だった。

「あ、あの時の……」
倒れていた少女が言ったので、メガネの子も観念したのか、こちらに向かってくる。

「……たまたま通りかかったら、またお前らかよ」
彼女は嘘をついているに違いなかった。彼女はあの日と同じく天体観測をしにきたはずで、彼女いわく「一番星が見える場所」にたどり着くのに、この森を通る必要などどこにもないからだ。

しかし、今はそんなことを気にしている場合ではない。
「……あの、この子が……」
マリは倒れた少女を指差す。
「ええ? あぁ、あの時の……」
メガネの子は思い出したが、すぐに気づく。「って、ひどくやつれてるじゃないか!」
「1ヶ月以上何も食べてないらしい……」
「……それは考えにくい。人は何も食べなかったら3週間くらいで死ぬってことくらいは知ってるだろ。だからそんなに食べないでいられるなんて普通はおかしい。相当運がよかったか、あるいは……」
彼女はそこで言い淀んでしまった。
「そもそも、人ではない……?」
そうマリが返すと、メガネの子は顔をしかめた。
「知らないけど、とにかく、なんか食わせたほうがいいんじゃないのか? それくらいは見ればわかるだろ」
「う、うん……」
何か食わせる、と言っても、食べ物なんて持ってないし、買いにいくのは……。
「すまんが私今1銭も持ってないんだ。星を観に来ただけだからな」
自分にが買いに行くしかない。マリは腹をくくった。


マリは公園を出て、近くのコンビニに向かった。悪いことをしているような気分になる。自分が食べるわけでもないのに。自動ドアの前まで来た。ジャージを着た2人組の少年が、菓子パンを加えながらたむろしている。それを見て、中学の頃の記憶が蘇ってきた。

クラスメートの一人が、他のクラスの子と買い食いをして怒られていたのだ。正直何故怒られているのかは分からなかった。今考えるとその生徒もわかっていなそうだったし、当の先生も本当にわかっていたのか怪しいところがある。けれどもその出来事は、臆病なマリにとっては、買い食いという行為へのトラウマを植え付けるには十分だった。

マリはコンビニに入る。蛍光灯のやたらと眩しい光がマリの網膜を焼いた。入ったはいいが、何を買えばいいのか。なんとなくどんな商品があるのかは知っているが、買って行っても「恥ずかしくない」商品とは何かを考え込む。挙動不審になって、万引きと疑われないか気になってきた。

悩んだ結果、適当な商品を選んで、ためらいながらもレジに持っていく。実はこれこそがマリにとって苦痛だったのだ。自分が買ったものを店員に見られて、あれこれ想像されるかもしれないのが嫌だった。

レジ係の人は、同年代くらいのバイトらしき女性だった。てきぱきとレジ打ちをこなしている。
「一万円からでよろしいですか?」
マリは無言で頷く。
「先に8000円のお返しですねーお確かめください」
早く終わりたくて万札を出したが、お釣りを数える時間が余計に増えてしまった。
一刻も早くその場を離れよう。会計を終えたマリは、足早に店を出た。大事なものを置き去りにして。
「商品忘れてますよー!」


「あ、やっと帰ってきた」
マリは、精神的に疲弊しきっていた。
「何買って来たんだ? ……って、手ぶらじゃないか!」
「あっ……」マリは、すべてに気がついた。
醜態をさらす。何がいい日だ。
「置いてきちゃったのか? ……おいおい、早く戻らないと……」
涙目になるマリ。無性に消えたくなった。
「もう間に合わない……」
「間に合うよ! 往復10分くらいだろ」
「……この子の命も……」
少女は目を閉じ、ピクリとも動かない。
「まだ生きてるよ。だったらなおさら、今すぐ戻れば間に合うかもしれないだろ」

そこで、どちらも黙ってしまった。ただ時間だけが過ぎていく。

前触れもなく、マリがその場を立ち去ろうとする。
「おい、どこ行くんだよ」
「今日はもう、だめかもしれない」
マリは全てを放棄して、家に帰ろうとした。そうだ。全部どうでもいい。ここにいる人はみんな他人だし、救う必要もない。

それに、世界から人が一人消えようと、だれも気にやしない。時折自分に向けるその感情を、他人に向けた途端、残酷になったことに内心衝撃を受けながらも、マリはただ、逃げようとする。

マリは来た道を戻って戻って、公園の出口までやってきた。もう、いいんだ。これ以上は。ちょっとした非日常なんて求めた私が馬鹿だった。退屈な日常に甘んじていればよかったのに。そしたら、こんな思いをすることもなかったのに。

そのとき、後ろから声がした。

「それでいいのかよ」

途端、震えた声が漏れ出る。

「……よくない……!」

マリはそう言って立ち止まり、涙を流す。なんと名付けていいのかわからない感情が溢れ出る。膝から崩れるマリ。その様子に、メガネの子はどうしていいかわからない様子だった。

メガネの子が視線を上げると、そこにはいつのまにか別の人影がいた。

「うわっ!?」

「あっ……どうも……」

その人を見て、すぐにマリは目を丸くした。それは、ファッションのことなど何も知らない2人にすらおしゃれだと分かったからだけではない。その顔に、マリは見覚えがあった。

「あ、あ……! さっきの……」

互いに見つめ合う。マリが目をそらす。すると相手が気づく。

「ああっ! サラダチキン5個忘れてったお客さん!」

静かな夜の町に、彼女の大声がこだまする。

「え? ちょっと待って何?」
メガネの子は困惑している。「2人は知り合い? で、サラダチキン5個って何!?」

マリは赤面した。


「とりあえず私の夕飯でいいなら……」
そう言って、バイトの少女はカバンから唐揚げ弁当を取り出し、倒れた少女に見せる。

「まだ生きてる? ……大丈夫そうだね。ほら、これ食べな」

飢えた少女は長座のまま、冷めた弁当の唐揚げを、割り箸で掴んで口に運ぶ。
「お、食べた〜」
心なしか、少女の目に生気が戻っていく感じが見えた。少女は何も言わぬまま、さらに飯をかきこむ。
「おい、気をつけろよ。そんな状態でいきなり食べまくったら、大変なことになるんだぞ」
「まあ〜大丈夫だって〜。ほら、美味しそうに食べてるじゃん」
「ゴホッ! ゲホッ、ゲホッ」少女は大きめの咳をした。
「大丈夫じゃないかも!」
バイトの少女は急いで水筒からお茶を注ぎ、飲ませる。
皆が固唾をのんで見守る中、少女は手を止めた。
「あり……がとう……ございます……おかげで……助かります……」
その声は掠れきっていたが、先ほどよりはマシに聞こえる。


夜の森に、4人の少女が集まった。今日は新月で、辺りには電灯の明かりだけがある。

「えっと、あたし、福井佳奈多っていいます。カナタって呼んでください。高校2年生で、そこのコンビニでバイトしてます。よろしく」
バイトの少女は、カナタと名乗った。
「ちょうどシフトが終わって、帰るところでさ。そしたら何か騒がしかったから」
「人聞きの悪い……」メガネの子が怪訝そうに返す。
「なんというか……青春してるって感じ?」
「うるさいな!」

「……あ、私は、リカ。湯川梨花だ。科学とか、いろいろ好きで……特に宇宙が好き。よろしく」
それで、メガネの子の名前は、リカ。科学好きでリカとはまた。
「父さんが考えたんだ。父さんは高校の非常勤講師で、科学者でもある」
「科学者!」
「まあ科学者は科学者でも、在野って言って研究機関に属しているわけではないんだけどね」
「そっかそっかー、よろしくね、リカちん!」
「り、リカちん……!?」

「それで、そっちの君は……」
話を振られ、マリはびくっとした。
「わ、私は……利根川……です……利根川真理、です……」
「へぇ〜、マリりんね〜」
どうやらカナタには、すぐあだ名をつける癖があるらしい。
「そうそう、さっきのサラダチキン、まだ店に置いてあると思うよ」
サラダチキン。「商品」と言わず、わざわざ「サラダチキン」と言うということは、つまりそれって、印象に残ったってことじゃないか。
「……もう、いいよ……置いてく……」マリは拗ねた顔で呟く。
「えー、結構な値段したけどなー」

「でさ、この子は?」
カナタが、この中で一番不思議な存在、空からの少女を見る。今は眠りについている。
リカが答えなかったので、マリが答えた。
「こ……この子は、宇宙人で……」
「う、宇宙人!?」
驚くカナタに、リカが食い気味で言った。
「それはない」
リカは不機嫌そうだ。
「……えっ何? どういうこと? 不仲?」
頭にハテナマークを浮かべ、困惑するカナタ。マリは続ける。
「私も、曖昧にしか、覚えてないんだけど……この子は、時空を移動できて……」
リカが叫ぶ。「そんなわけないってば!」
2人の反応の違いに、カナタは困り果てた。

「……私たち、ちょっと前にここで会ってて、そしたら、空からこの子が降ってきて、こんな感じで触ったら……」

マリはあのときのように、少女の手に触れた。

すると、そこから眩しい光が……。

「おい、またかよ!?」

「また……またって何?」

カナタのその声が、どんどん遠のいていく。やがて、あの時のように、体の内側と外側が入れ替わって、一点に凝縮される感覚に襲われる。


……目を開けると、マリたちは自らが美しい西洋画に囲まれた空間にいることに気づいた。

「時空を超えて……中世ヨーロッパに来ちゃった!?」

ひどく収まりのいい椅子と、清潔感のある大きなテーブルを4人で囲んでいる。

「ってここ……」

テーブルの端には、ナイフにフォークに紙ナプキン、お手頃価格で楽しめる料理がたくさん載ったグランドメニュー……。

「サ◯ゼリヤじゃねーか!!!」

(続く)


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