永遠のゆく先へ #5「地球人あらわる」

「えー、指数関数というのは、これまで習ってきた一次関数や二次関数と比べても、増加の速度が著しく……」
そんなことを、先生が言っているような気がした。意識が朦朧として、何も考えられない。と言っても命の危険に瀕しているわけではない。単に睡魔に襲われているだけであった。

眠気覚ましに、スマホでも覗いてやろうか。でもマリにはそんな悪いことをする勇気はなかった。寝ているよりはマシな気もしていたが、まあ、そもそもスマホを見たところで授業よりも面白いことなんて見つかる気がしなかった。

授業は全部終わって、後は帰るだけだった。終業式が近い。廊下には「あともう少しで会えなくなるね」などと言って抱き合う女子生徒たち。だが、マリにとってはどうでもいいことだった。

そうして誰にも会うことなく家に帰ろうとした時だった。

目の前に、リカが現れた。
「あっ……」
制服姿で会うのは初めてだった。

あんなに密度の濃い時間を共に過ごしておいて、無視するのはさすがに無理があった。一瞬目をそらした後、「よっ」と、軽く手を挙げるリカ。

「ほんとにいたんだな、お前」
流れで、二人で帰る感じになった。考えてみれば、マリの家の近所である市民公園に、リカが望遠鏡だけ持って手ぶらで来るくらいには、家が近いのだ。

それにしても、話すことがない。もう学校の最寄駅まで着いた。電車を待っている間、スマホが急に震えた。即座に取り出して中身を確認すると、トークアプリの通知だった。母親からかと思ったが、どうやら違うようだ。この時点で、マリはさっとスマホをポケットに戻す。母親以外からメッセージが届くのは、マリにとっては異常事態だった。挙動不審になって辺りを見回す。

「どうした?」
リカが尋ねるも、マリは苦笑いでごまかす。と同時に、リカは自身のスマホを見て怪訝そうに言った。
「げ、こいつかよ」続けてリカは言った。「おい、あいつから連絡来たぞ」
そう言われ、恐る恐る通知を見ると、そこには「かなた」というアカウントからのメッセージだった。そう、あの日、4人でサ○ゼに似た異世界に迷い込んだ日、みんなでチャットのグループを作ったのだった。名前は「はみだし隊」。トワはスマホを持っていないので3人だけだったが。

で、肝心のメッセージの内容は。
『トワが、エレメントの場所が分かったって』『今日この後集合しない?』
それを見て、またもリカの顔が曇る。
「なんだこりゃ。暇なのかなあいつは」
リカは呆れていたが、少し悩んで、マリに尋ねた。「どうする?」
急に話を振られてうろたえるマリ。どうする、というのは、行くか行かないかという意味だろう。マリは常に暇だった。だから、断る理由がないと思いつつ、まだ若干の不安を感じてもいた。
「お前に任せるよ」
リカのその一言に、マリは驚いた。物事の判断を彼女に任されたのが意外だったからだ。
「い、行こう」
リカは、え……としかめっ面をした。そっちが決めてと言ったのに……。と思いつつ、マリは続けた。
「そうしない理由が……見当たらないから」
リカはちょっと感心した様子で、「それもそうだな」とつぶやいた。

錆び付いた車止めを通り過ぎ、リカがいつも天体観測をしている場所にやってきた。だが今日の目的はここじゃない。少し離れ、道が整備されていない林に入っていった。集合場所はここだった。しばらく歩くと、2つの人影が見えた。かわいさの中にも大人っぽさのある服装のカナタ。相変わらずドレスみたいな服を着ているトワ。

「おー、来たね。来ないかと思ったよ」
カナタがそう言うと、リカは眉をひそめる。「せっかく来てやったのになんだその言い方は」
「で、さっそくなんだけど」カナタが切り出す。「トワがエレメントの場所が分かったって言ってたんで、みんなで集めに行こうって話になったの」
マリたちは、トワが故郷の星に帰り、父と再会するため、エレメントと呼ばれる謎の物体? を集める旅をすることにしたのだった。
トワがその首にかけたペンダントをひと撫ですると、宙に写真のようなものがホログラムのように浮かび上がる。そこには、青い海の底、ゆらゆらと揺れる葉っぱのようなものが無数に並ぶ様子が映し出されていた。
「この場所にエレメントがあるみたいです。ちょっと場所と時間は検討つかないですけど」トワはそう言って、期待するようにリカの方を見る。
「なんだよ、お前ならわかるだろみたいな顔して……いや、これはアレだ。エディアカラ生物群」
「エディンバラ?」とカナタ。
「エディアカラ。脊椎動物とかが生まれたカンブリア紀より前に、よくわからない謎の生物がいた時代があるんだよ。その大部分は、動物なのか植物なのかも、今の生物の祖先かどうかも、わかってないんだ」
「すごい、よく知ってるね!」カナタが感心する。
「別に……これくらいは、常識だろ」リカは投げやりに言った。「だから、わざわざ行かなくても……」
かぶせるように、トワは言った。「何もわかってないってことは……行ってみないとわからないってことですね!」
「さすがトワっち、いいこと言うね!」カナタがトワの型をぽんと叩く。リカは何も言い返さなかった。

「じゃあ、行きますよ」
トワはペンダントを掴んで祈るような動作をすると、周囲がまた光に包まれる。そういえば、行き先をしっかり決めて行くのは初めてだった。
「ちゃんと着くんだろうな」
リカがそんなことを言ったような気もするが、風の音でかき消されてはっきりとは聞こえなかった。
すべてが、収縮する。


何となく不快な感じがして、マリは目を覚ました。マリは、自分が濡れた地面に横たわっていることに気づいた。慌てて起き上がる。服がびしょびしょになってしまった。周りを見ると、3人が辺りを見回している。リカとカナタの服は同様にびしょ濡れだ。一方トワの服は濡れていない。

皆が、マリが起き上がったことに気づいて声をかけてきた。
「おお、マリりん起きた! 服がぐしょぐしょになっちゃたよ、買ったばっかりなのに」
自分よりも何倍も服に気を掛けているであろうカナタにとっては一大事かもしれない、とマリは思った。
「トワっち、何で濡れてないの?」カナタが尋ねる。
「私はエレメントの力で、濡れとか汚れとかをはじき飛ばせるんです」
「そんなこともできるんだ! いいなー」
服だけじゃない。周囲には刺されそうなほどの雨が降っているのに、マリたちの周り数メートルだけ、全く降っていない。
「これもエレメントの力です。まあ、結界ってやつですかね」
非科学的なワードに、リカは不機嫌になる。「そんな力があるなら、地面も乾かせたはずだろ」
「すみません、気づきませんでした」

一行は、とりあえず歩き始める。例によってエレメントの場所を示すホログラムの地図は不親切で、頼りになるのはトワの「肉体的直感」だけだった。雨は防げているとはいえ、足場はあまりよくない。しばらく歩き、疲れが溜まってきた。

「ねえ、ここらで少し休まない?」
少し大きな丘を登ってきたところだった。もう少しで頂上というところで、4人は座りこむ。
「ここって、どれくらい昔なんでしょう」トワが言った。
「自分でもわからないのかよ」リカが突っ込む。
「はい……なんとなくエレメントのある時間に近寄ってるだけなので……」
「まったく……エディアカラ生物群がいたのは6億年前くらいだから、大体その辺だろ。この時代、陸上に生き物はいないから、海を探さないと見られないかもな。と言っても、ゴンドワナ超大陸があるから、歩いて行くのは無理だろうが……」
にっこりとリカの顔を見るカナタ。リカの顔は、みるみる赤くなる。
「って、何解説させてんだ! これはだな、えっと……夢です、夢!」
「慌てて否定しなくてもいいのに~」
からかうカナタから逃げるように、丘を少し登ったリカは、向こうの風景を見て、「わっ」と腰を抜かした。
「今度は何ですか!?」トワたちが駆け寄る。

そこには、信じがたいことに、明らかな人工物、青緑色の四角や三角の幾何学模様が、広範囲に並んでいた。その中心には、ひときわ大きな塔が建っていた。ここだけ周囲から浮いているような感じで、まるで、大集落だった。

「何、ここに人が住んでるってこと!?」カナタが叫ぶ。
「まさか、人どころか動物の陸上進出は2億年先だぞ」
リカがそう言ったが、マリはその集落の一角に、動いている物を見つけた。
「あそこ……」
マリが指さしたのは、どこか見覚えのある、青緑色の生き物だった。そう、この前サ○ゼもどきにいたアレだ。よく見ると、あっちにも、こっちにも。
「なんなんだ、こりゃ……」
リカがあっけにとられている中、トワはペンダントを掴んで言った。
「エレメント、この丘の下にあるみたいです!」
4人は、集落を訪れることを決めた。


雨は止み、空には綺麗な虹がかかっていた。その下で、4人は恐る恐る集落に近づく。地面の色が変わり始めたところで、目の前に何かが現れた。それは青緑色をしていて、ちょうど小型犬か猫くらいの大きさの生き物だった。遠くから見えたそれらは二足歩行だったが、これは四足歩行をしていた。顔はないが、頭のような構造はあり、尻尾のようなものもついていた。

「クー」
それは、鳴き声のようなものを発した。幻想的で、甲高く、それでいて聴き心地のよい不思議な音だった。
「かわいい!」
カナタが一目散に近づく。リカの静止も聞かずに。カナタはそれに触れると、驚きの声を上げる。
「え、何この感触! ねえ、みんなも触ってみてよ!」
「おい、大丈夫なのか? 毒とかあったらどうするんだよ」
リカが懸念を示すが、トワとマリは触った。
「ああ、確かに不思議な感じですね……」とトワ。
「ああもう……」リカも観念して触ることにした。
「これは……シリコンゴムっぽい感じの感触だな。すこし粘性もある」

「クー……!」
それは不意にトワに飛びついてきた。よろけるトワ。
「気に入られたんだね!」
カナタの言う通り、それは満足そうにトワの両腕に収まっている。

「おい!」
リカが急に叫んだ。気がつくと、周りを例の謎生物が取り囲んでいる。改めて見ると、人間よりも大きい粘土のような物質の塊から、腕が数本無造作に生えている、結構恐ろしい見た目だった。
「うげっ、まずくない? これ……」
子供を持ち去ろうとしてると思われる? 侵略者として排除される? いろいろな可能性が4人を駆け巡る。
だが、意外なことが起きた。その中の1体がこちらに向かって近づいてきて、日本語を使って、こう言ったのだ。
「ようこそ、我らが村へ」

『えーっ!?』


「ああ、我々は一切あなた方に危害を加えるつもりはありませんから、ご安心ください。それから、もしご存知なければ、私どもの体内に埋め込まれた小型デバイスによって会話を行っております。あなたがたの言語で話してください」
あっけにとられる4人。
「あ、あなたたちは、一体……」
カナタが尋ねる。
「そうですね、あえて言うなら『地球人』といったところでしょうか」
「地球人……って」リカが突っ込む。
「よければ、私たちの村を案内しましょうか?」
「危害は加えないって、ホントかな」カナタは呟く。
「断ったら何をされるかわからないぞ」リカは小声でささやく。
「ぜひお願いします!」トワは大声で返事をした。

「ではまず、住宅を見てもらいましょう」
謎生物たちは集まって歩き始めた。4人もついていく。改めて見ると、周りには大きめの建物が連なっている。
「これは数十億年の知恵の蓄積によって作られた、頑丈かつ柔軟な建物なのです」
「すうじゅうおくねん!?」驚くカナタ。
「この時代から数十億年前ってことは……相当な厳しい環境だぞ」分析するリカ。
「もっとも、今やそこまでの装備は必要ないほど穏やかになりましたが。昔は隕石やら氷漬けやらで大変だったのです……そうそう、これらは我々の体と同じ、ケイ素でできているのですよ」
「ケイ素生物!?」
リカが叫ぶ。
「何それ?」カナタが尋ねる。
「いやほら、普通の生き物は炭素で出来てるだろ? それは炭素の性質が功を奏したと言われてるんだ。で、炭素は14族の元素で、同じ14族のケイ素でも同じことができるんじゃないかって発想。現実にはうまくいかないオカルト、のハズなんだが……」

反芻する間もなく、次の場所に案内される。
「こちらは、博物館です。小さなものですがね」
中に入り、展示を見ると、リカは驚く。この地球の歴史が精巧なビジュアルで、事細かに記載されていた。
「原生代どころか冥王代? 辺りまでカバーしてる……かなり貴重な資料だ」
「すごい熱心に見てるね」カナタが茶化す。
「い、いや、違うから。一つの可能性として見てるだけだから……!!」
猜疑心を忘れないリカ。だが、他にもロケットのようなものや、一見して使い方がわからないネジのようなドリルのようなものまで、高度な科学技術の産物と思われるものがたくさん展示されており、リカはひとつひとつしっかり見ていた。

「その次が、この人工海です」
案内されたのは、プールのような巨大水槽。そこに、どこか見覚えのある生き物たちがいた。
「江戸幕府……だっけ?」「エディアカラ!」
漫才のようなやりとりをするカナタとリカ。
「ほらこれがディッキンソニア、これがカルニオディスクス、こっちはえっと……トリブラキディウム……だったっけ……」
リカが一つ一つ名前を呼んでいると、謎生物が反応した。
「あなた方はそう呼んでいるのですか。我々は、月の影、雷のかけら、風の子供などと呼んでいるんですがね。まあ、いいでしょう。最後に、この村にとって最も重要なものをご覧に入れましょう」

「それは、先程から見えている、この巨大な塔です」
4人はその塔の目の前まで案内された。
「この塔は、我々の力の源なのです。私たちの誰も、この塔なしには生きることができません。言葉通りの意味です。つまり、ここから離れた場合、我々は姿形、動き考える能力を維持できません」
「え……」神妙な顔で話を聞くトワ。
「それはこの街の構造も同じです。地面に色が変わっているところがあったでしょう。あそこが境界線なのです。我々はその内側から出られないのです。正確には、境界線に近づくだけでも苦しくなるのです。」
「それって……」
トワには思い当たる節があるようだ。
「実は……私も似たような経験があるんです。カナタさんの家で、一緒に風呂に入ろうって言われたとき……」
「ちょっと待て、一緒に風呂って何だよ」リカが突っかかる。
「まーいいじゃないの」カナタが軽く答える。
「……で、ペンダントしたまま入ろうとしたら、カナタさんが『外さないの?』って言ったから、外したんです。そしたら、急に苦しくなってきて、全身が震えてきて、視界が暗くなって、結局ペンダントしたら戻ったんですけど、死ぬかと思いました」
「それとこれに何の関係が……いや、そうか」リカは少し考えて、何かに納得したようだった。
「え、何? 教えてよ!」そう尋ねるカナタはいつになく必死な感じがした。
「いや……そのペンダントには、エレメントとかいうのが込められてるんだろ? で、それから離れると苦しむっていうのがもしこの塔のことと関係あるんなら……塔にエレメントが眠ってるんじゃないか?」
「さすがリカちん、名推理!」カナタが手をぽんと打った。
「じゃあ、あの塔に行けばエレメントが、いや……」
トワが言葉に詰まる。そうだ。エレメントを回収するということはつまり、彼らを死なせてしまうということを意味する。
「そんなことできません!」
叫ぶトワ。しかし、相手の返事は意外なものだった。
「命の石が必要なのですか? それなら差し上げましょう」
これにはトワも驚く。
「そんな! だってそんなことしたらあなたたちは……」
「良いのです。トワさん」
「なぜ、私の名前を……?」
「父に会いたいのでしょう? 何十億年も前、あなたはそう言っていた」
「まさか……あの時の店員さん……?」
「そうなのかもしれません。あるいはそうでないのかもしれません。本当のことは誰にもわからないでしょう……」
自らの身を犠牲に、エレメントを譲ってくれる。そういう雰囲気になった。

「やっぱりダメです!」
トワが叫ぶ。
「村の他の人には聞いてないんでしょう? それに、あなたたちを犠牲にしてまでお父さんと会っても……嬉しくありません」
トワは視線を落とす。その胸には小さな生き物が静かに眠っている。
「ああ、私としたことが……村長という身でありながら村をないがしろにしようとしてしまった……」
村長は、塔のそばにある、青緑色の池をその腕で指差す。
「あそこから、新たな生命が生まれてくるのです。その子も、最近生まれたばかりの子供なのです。ああ、私はそれを守らなければならない」
村長はそう、力強く言った。


「じゃあ、今日はエレメントなしですね」
「あぁ……こんなとこまで来て徒労かよ……」
リカが落ち込んでいると、突然トワに抱かれた子供の住民が飛び出す。その尻尾には、光る石が握られていた。
「命の石!」
村長はそう叫んだ。「なぜ、この子が持っているんだ!? 子供はあの塔に入れないようになっているはず」

続けざまに、「命の石」から光が出て、空へと昇っていく。その先には……黒い3つの人影があった。
〈対象を回収します〉
無機質な声が響き渡った次の瞬間、目を覆いたくなるような恐ろしいことが起きた。
「みな……さ……ん……」
村長の体が、4人の目の前で崩れ去る。子供の方を見ると、既に砂山と化していた。さらに、村内の建物も、競うように崩れていく……。

(続く)


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