散歩がすきだ
昔から歩くこと、散歩がすきだ。
近所にとても気持ちのよい散歩道があり、そこに行くまでの道のりも、今日は梅がきれいなこっちの道、バラがきれいなあっちの道と季節や気分によって何通りもの行き方があり、新しい発見があったりする。
一人暮らしをしているとき、休みの日に目的のない散歩をよくしていた。
気になる道をただひたすらくねくねと東西南北自由に歩くたのしさは京都だったこともあるが、すごくたのしかった。
映画に出てきた豆腐屋さんを偶然見つけたり、家族経営とおもしきパン屋さんの週一回しか焼かないフォカッチャをおすすめされ買ったり、こんなところにこんなレトロな喫茶店が!や、こんなお寺が!こんなすてきな建物が!みたいな出会いがあって、友達のいなかった私は一日中京都の町を練り歩いていた。
職場で散歩をした話をしたら、そんなの歩く距離じゃないととても驚かれた。それが妙にうれしかったりした。
コロナで自粛中も散歩が日課だった。
ソーシャルディスタンスにマスク、手洗い、消毒の日々の中で人間以外は変わらず、桜が咲いては散り、新緑の季節になり、蝉がなき、もみじは紅く染まって散った。
寒さも落ち着き、植物が芽吹く季節。
次のお休みは散歩をしよう。