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【思い出のゲーム】セガサターン「街」で修学旅行をした
爆笑問題の太田夫妻は、結婚したばかりのころ金がなくて、ファミコンのMOTHERを新婚旅行のように遊んだという。
僕はセガサターンの「街」というゲームで修学旅行をした。
「街」はスーファミで発売された「弟切草」「かまいたちの夜」に続く「サウンドノベル」シリーズ第三弾だ。
画面全体にテキストが出て、選択肢によって話が分岐していく。
上がかまいたちの夜。
選択を間違えると自分のせいで被害者が増える感覚になるのが、純粋な小説にはないプレッシャー。責任感を読者にも分けてくる。
下が「街」。美少女ゲームと格闘ゲームが幅をきかせた、今よりゲームの多様性が認められない時代。この2作が同じシリーズといわれても…。
開発はチュンソフト。初期のドラクエや「不思議のダンジョン」で、日本にRPGとローグライクを根付かせたメーカー。
そんな最先端を行くブランドが、ゲームに実写映像が使えることも知らない役者たちを集めて、カメラを持って渋谷中でゲリラ撮影をした。音声は入らないのに、全部セリフを言わせて演技している様子の静止画を撮った。業界が若くてエネルギーに満ちていた感じがたまらない。
街は、複数の主人公の話が同時に進行する。
ひとりの選択が他者のシナリオに影響を与える。
話はコメディからサイコホラーまで次々に横断する。同じ建物にふたりの主人公がいて、お互いを認識していなくても、ひとりがエレベータを止めてしまったら、もうひとりはしょうがなく階段を使い、それが人生の分岐点になったりする。
コメディの主人公の思いつきが、シリアスに生きている主人公の命を理不尽に奪うことがある。それを、神の視点で読むプレイヤーだけが知っている。
感動したという人もいるけど、話の完成度はどうでもよかった。
パズルみたいに人間関係を変化させながら、
「なにも成し遂げてないと思っている人も、誰かの人生を変えているかもしれない。みんな必須であり、大きな街の一員である」
と気づくシステムになっている。
もうひとつ、今では体験できないゲームになった理由が、90年代末という時代にある。
ぼくは東京を「街」で知った。
テレビも雑誌も、東京が危険な若者が集まる街としか報道していなかった。エアマックスはいて路地を曲がったら靴だけ奪われるぞ。夜は女子高生がルーズソックスで売春ざんまい。
だけど、「街」では夜の街もあれば公園があってゲーセンが密集してたり、大人の行く喫茶店や酒を飲める場所に行ったり。
「こんな所あるんだ、実物(じゃないけど)の渋谷はこんな感じなのか」
「都会は怖い人ばかりじゃないし、怖い人も裏から見れば事情がある」
はじめての場所を学んだことと、限られた場所と日数だったことで、ずっと遊んだ記憶は修学旅行みたいに残ったままだ。
「街」はセガサターン版、のちにルートマップが追加されて進めやすくなったプレイステーション版、PSP版がある。
だけど、いちばん最初に全国の購入者がいっせいに始めて、全ての要素が出尽くしたと思ったら、しばらくして最後の登場人物が雑誌に掲載されたときの衝撃は、もう二度と味わえないかもしれない。
初期のノベルゲームは
「まだ自分の気づいていない分岐があって、このゲームの全貌をわかってないのかも?」
と、永遠に底が見えない、ミステリアスな沼だった。
今は、沼の深さもすぐに分析されてしまう。ゲームが謎を残せない時代になった。
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