私には幸せが似合う
みなさんは言い切れますか?
「私には幸せが似合う」
最近言葉についてよく考える。
職業柄言葉にして人に伝える機会が多いのと、自分自身も言葉が好きだからどうやったら事実のまま情景や気持ちが伝わるかよく思考を巡らせている。
ヨガを伝えるときもヨガ留学のカウンセリングをするときも人の心にまっすぐ届く言葉を選びたいし、
プライベートだと家族、友達、特に娘に大切なことを伝える時は借り物の言葉ではなく、自分の言葉で伝えたい。(と思ってるが、感情が先に爆発してできていないことは多々。笑)
年々、言語化力の必要性を強く感じるから、訓練も兼ねて自身に「なぜ」を問うのが癖になってきた。
起こった事実をただ整理するのは安易でも、人には感情があるから自分と向き合って整理していくしかない。考えたくないことの蓋をあえて開けないといけない時もある。自分の気持ちと丁寧に向き合っていくとおのずと進む道が少しずつ見えてくる。
私は人生の分岐点に立ち会うことが多い。
日々いろんな方とお話しさせていただくが、その方がこれから進む道、はたまた生き方を考えるきっかけの時間と思っている。
何かを決断する時に、楽しそうだから、ワクワクするから、自分が求めているものだからといった直感的なものは新しい道を決める時の大きな決定打になるが、私はもう少し深くその人が「なぜ」そう感じるかに寄り添いたい。
そこにはきっとなりたい自分のイメージがあるし、次のステージに進む自身の姿を思い描いているはず。
うまく言葉にできなくても、話すことで思考が整理されることもある。
予期せぬ質問を投げられたことで自分が想像していなかった言葉が口から出て、あぁそうだったんだと初めて自分の気持ちや考えに触れる相互作用的な要素が毎回出てくるので面白い。
それを繰り返していくと、自分にとっての幸せはなにか?が段々と見えてくる。
自分にとっての幸せを言葉で定義すると、ゴールが明確になって先の道が照らされる。
自分と向き合うことは、過ぎた過去に向き合うことが避けられないけれど、そうすることによって知らぬ間に何重にも纏っていたベールが一枚ずつ剥がされて、受容したり背中を向けたり。また進んで、最後に残るのは本来のありのままの自分の姿。
そこで初めて背中に羽が生えたように、新しい一歩を踏み出せるのではないかなと、現在進行形で立ち会っている人生の分岐点を見て今のところ感じている。
もちろん、進みながら考えるのも楽しいけれど。
あなたが幸せに感じることが誰かも同じように幸せに感じるわけではないし、逆も然り。
誰かにとっての幸せがあなたの幸せでもない。
それが腹落ちすると、誰かを羨むことはまぁまぁなくなって、さらに強く自分の人生の舵取りができるのではないかな。
微力だけれど、次のステージにいく後押しができたかなと図らずも実感できた時は心が震えて、これが今の私のライフワークだと強くなる。
最近友達から、どうしてヨガ留学カウンセリングをやってるの?と問われたので自分なりの考えを書いてみました。
結論、そんな私が伝えたいのはとてもシンプルだと気づく。
あなたの人生好きにやっちゃいな〜
あなたは幸せがとても似合うよ!
ただただ、これに尽きるのです。
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