包括的であること-性教育について
「包括的」とは、全体をまとめている様を意味する言葉。 含まれるそれぞれの要素の大小や価値の有無などの違いによらず、同じとみなした上で、すべてをまとめた状態や概念のこと。類似した言葉として「総括的」がある。
包括的性教育と言う言葉を知ったのは、女の子たちに性的同意や性暴力についてのデザイン教育を行うために調べ物をしていたとき、知人からおそわった言葉だった。
当初、従来の性教育の範疇で包括的であるのだろうと想像していたのだが、実態は違い、性の健康にかんすることはもちろん、一般にいうジェンダー論やセクシャリティとアイデンティティの問題、家族とパートナーシップの問題まで包括する概念だった。
性教育というと、思春期の子ども達に教育するものだとおもいがちがだか、考えて見れば、セックスレスも更年期もEDも性教育の範疇なのだ、結局、生涯性教育と付き合わないといけないのが実体なのだ。
しかし、公教育の現場では、性行為をセックスと表現すべきかどうかで議論がわれる段階で、包括的性教育について、たとえばジェンダー論で、男らしさ、女らしさ、男女平等参画社会について、ジェンダーロールやジェンダーバイヤスといった大切な議論にはまだ達していない。
包括的性教育のガイドラインとして、ユネスコが発表した国際セクシャリティガイドラインの改定版というのがある。これは、人間関係や、人権の問題から始まり、性の問題、ジェンダーの問題まで語られている素晴らしいものなのだが、日本の教育事情からすると、距離が遠いきがする、特にちゃんとした性教育をうけてこなかった大人にしてみると。なおさらそうだ。
旧来の性教育と、ユネスコのガイドラインを重ねてみて、現在の日本に必要な教育をかんがえてみよう。ミモザブックのような優れたサブテキストも参考になる。
もちろん、包括的性教育という以上、LGBTQ+についての理解も含まれる、そのためにはSOGIESCという概念の理解が重要だ。
リプロダクティブ・ヘルス/ライツも大切で、出産する、しないという自己決定権も、トランスジェンダーが手術する、しないという自己決定権(それによって法律上の取扱いが変わらないこと)も人権問題として大切だと思う。
家族の新しいかたち、同性婚、同性カップルの子ども達、シングルマザー、非婚子育てといった新しい家族像についても同様にあつかう
ドラフトで構成を考えて見た、これはまだジャストアイデアでここから議論を始めるたたき台でしかない。積極的に意見が貰えるとうれしい。
人間関係(家族、友人、恋人)
価値観、人権、文化、セクシュアリティ(インターセクショナリティ)
体の違いと体の発達(思春期)
加齢と体の変化(ED、更年期)
セックスと避妊(セックスと出産)
セーフセックス(性感染症・異性と同性)
性暴力と安全確保(性被害とデートDV)
パートナーシップと性的同意
健康とウェルビーイング(幸福)のためのスキル
セクシャリティとアイデンティティ(SOGIESCから考えるLGBTQ+)
ジェンダーとは(ジェンダーバイアス、ジェンダーロール)
性の自己決定権(リプロダクティブ・ヘルス・ライツ)
多様な家族・子育て(家族とはなにか)
ケアの倫理(子育て、介護、老い)
大きく捉える部分と、クローズアップして捉える部分をわざと混在させてある。それは必要なときに、必要な箇所をひっぱりだして調べることができるといいと思ったからだ
項目だしをしてみたけど、これをわたしひとりで執筆できるわけがない。
あくまでも編集者としての企画案にすぎない。絵に描いた餅になるかもしれないけど、ほそぼそと著者を探して、なにかのメディアにできるといいなとおもってる
問題点:ターゲットが曖昧、子ども向けなのか、大人向けなのか、教育関係者向けなのかがわからない、そのため広めにくい そこを編集する