メス・女性・トランス女性
この記事は、一部のひとをとても傷つける記事かもしれないし、一部のひとをとても勇気づけるかもしれないし、一部の人を、怒らせる記事かもしれません。私論なので、研究者のかたとか間違いあったら指摘ください。
どうしても持論を整理したかったので、50000円とはいわないで、500円ぐらいの有料記事でどうしても読みたい人(ほとんどいないとおもうけど)に向けて書きます。いつもの通り、なかのいいFFさんはDMでメアド送ってくれればプレゼントしますので、無料で読めます。
いわゆる、最新フェミニズム理論による、セックスとジェンダーの定義についてです。一般に、日本語でいう性別は、海外では、セックスとジェンダーとして次のような分類をされています。
セックス:生物学的な性別(場合によっては生得的な性別)オス・メス
ジェンダー:社会的な性別、男性・女性
そもそも雌雄という生物学的な定義だけでよいなら、セックスだけが必要で、ジェンダーは必要ありません。それではなぜジェンダーなる概念が必要になったのでしょうか?
ジュディス・バトラーは「ジェンダー・トラブル」においてこのように説明します。セックスは男根ロゴス的な異性愛概念として作られたと。どういう意味でしょうか?
男根:男が
ロゴス的:頭の中で言葉をつかって
異性愛概念:男女が出産をするために性行為をする
という意味です。そこには男性が女性を支配してというニュアンスが含まれています。いわゆる家父長的女性支配ですね。
女性はその男性がつくったセックスなる概念から解放される必要がありました。
女が
男性による支配から解き放たれて、自己の生き方を自分で決めて
出産の道具にされず(リプロダクティブ・ライツ)
女性同性愛を認める
為です。そのためにメスから女性になる必要があった。これがジェンダーの生まれた意味です。とくに出産の道具として扱われないというところは大きな意味をもっています。
バトラーは、セックスがジェンダーにかわったあたと、ロゴスによってつくられたセックスという概念もジェンダーによって上書きされるだろうと言っていますが、まだその段階にはなってないような気がします。
この記事ではこれらをうけて、セックスは、オス・メスと表現し、ジェンダーは男性、女性と表現します。
ここから、センシティブなので、有料記事にしましょう。
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