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第10章 1953年、笠置シヅ子・服部良一らの北海道巡業
1.道立図書館の閲覧制限なくなる
1953年の夏、笠置シヅ子は、淡谷のり子・渡辺はま子らとともに、「服部良一2000曲作曲記念公演」の北海道巡業を行った。
2024年5月29日付の北海道新聞釧路版で紹介された笠置シヅ子一行の写真をきっかけに、過去の新聞を調べ、彼女らがやってきたのは1953年であること、7月1日の函館公演を皮切りに遠軽・札幌をまわって釧路にやってきたこと、14日に釧路東宝で、15日に十條製紙工場で公演したことが明らかになった。「第5章 笠置シヅ子は釧路に来ていた」には、一行の足取りをまとめた。しかし、日程には空白がある。というのも、北海道新聞札幌本社版と釧路支社版しか確認できなかったためである。函館支社版と旭川支社版を見れば、さらに埋めることができるはずだが、あいにく道立図書館の改装工事が重なり、閲覧が制限されていた。
工事が終わり、12月1日、ようやく両支社版も確認できるようになった。予想通り、笠置シヅ子一行の記事も見つかった。ただ、釧路で、服部良一が石川啄木の碑を訪れ、小奴こと近江ジンと面会していることを考えると、函館でも啄木の足跡を追ったのではないかと期待したのだが、この点はあてが外れた。函館支社版は広告欄だけの扱いだった。一方、旭川支社版では一般記事にもなっていた。
2.道新函館支社版では
まず、函館支社版を見てみる。6月27日付の紙面に広告が載っていた。「服部良一作曲2000曲達成記念大公演 来る1・2・3日」とある。3日連続で昼夜3回興行、祝港まつり、HBC函館開局記念大芸能祭とも謳われている。この日は文字だけの広告だが、28日付には、出演者の写真入り広告が出た。司会は長良英介、出演者は笠置シヅ子、服部富子、淡谷のり子、三浦洸一、霧島昇、服部良一、楽団クラック・スター、服部リズムシスターズ(小川静江・西田滋子・秋島美沙)である。会場は公楽映画劇場、前売り券は200円、当日券は250円だった。映画「アチャコ青春手帖 第4話 めでたく結婚の巻」が同時上映された。30日付の広告には「先着300名様限り 黒龍クリームを贈呈します」とある。7月1日付の広告には「超特別興行につき従来発行のパス招待券はお断り!」とも書いている。2日以降の紙面には広告も見当たらなかった。
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3.道新旭川支社版では
つづいて、旭川支社版である。7月4日付に北海道新聞旭川支社からのお知らせが載っている。「HBC函館放送局開局記念芸能祭 本紙愛読者特別優待会」という見出しで、「さきに作曲二千曲に達した服部良一と笠置シヅ子、服部富子、淡谷のり子、霧島昇などの歌謡人を招いて芸能祭を開くことになりましたが、本社では一行を旭川に迎え愛読者の特別優待を行うことになりました」とある。7月6、7日に旭川国民劇場で開き、本紙刷込の優待券を利用すれば150円、一般は250円だったという。旭川では、道新の主催イベントであった。
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旭川版の7月7日付の紙面には、「服部良一ら旭川入り」という見出しの一般記事があり、「6日午前10時ころ、一行は前の興行地夕張から2台のハイヤーに分乗して、旭川入りをし、宿舎の越後屋旅館で旅装を解いた」と書いている。
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「コンガラガッタ コンガラガッタ 笠置ら大いに歌う」という記事も載っている。「作曲二千曲を記念して初渡道した服部良一が指揮するクラック・スターの軽快なリズムにのせて服部富子『バイバイ上海』、霧島昇『石狩エレジー』、淡谷のり子『別れのブルース』、笠置シヅ子『コンガラガッタコンガ』など、それぞれ得意のヒットメロディを唄うほか、新進三浦洸一、小川静江、西田滋子、秋島美沙の服部リズムシスターズとコロムビア・ヴィクター合同の珍しい顔ぶれだけに会場は超満員の盛況である」。
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旭川版を追うと、その後の一行の足取りも判明した。7日付には「服部良一と歌謡祭り 7月8日昼1時夜6時 紋別劇場 愛読者優待券 本券持参者に限り350円処250円(本券一枚で二名有効) 主催北海道新聞紋別支局」、9日付には「遂に来た! 世紀の大実演!! 服部良一2000曲達成記念大公演 遠軽劇場」という広告が載っている。後者には日付がないが、「本日の映画演劇案内」に続けて掲載されているところを見ると、9日の公演だったのだろう。以前、7月11日付の札幌版で見つけた「『太陽の子』ら大喜び 服部良一ら家庭学校慰問」でも、9日に遠軽劇場で一行が公演したとあった。
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4.1953年の一行の動き
「第5章 笠置シヅ子は釧路に来ていた」でまとめた一行の動きに、今回判明した情報と道新釧路支社の佐竹直子記者が明らかにした情報を加えると、以下となる。
7月1日~3日…函館公演。公楽映画劇場でHBC函館局開局記念芸能祭、服部良一2000曲作曲達成記念公演。笠置シヅ子・服部良一・服部富子・淡谷のり子・霧島昇らが出演。
7月5日…夕張公演。
7月6日…ハイヤーで夕張を発ち、10時頃に旭川到着。越後屋旅館に宿泊。
7月6日~7日…旭川公演。旭川国民劇場でHBC函館局開局記念芸能祭、服部良一2000曲作曲達成記念公演。笠置シヅ子・服部良一・服部富子・淡谷のり子・霧島昇らが出演。
7月7日…渡辺はま子が羽田発07時30分、千歳着10時30分の飛行機に乗る。
7月8日…紋別公演。紋別劇場。
7月9日…遠軽公演。遠軽劇場。服部良一・笠置シヅ子・淡谷のり子・渡辺はま子が出演。家庭学校に慰問。
7月10日…灰田勝彦が羽田発07時30分、千歳着10時30分の飛行機に乗る。
7月10日~13日…札幌大映で服部良一2000曲作曲記念公演。服部良一・笠置シヅ子・淡谷のり子・渡辺はま子が出演。
7月12日…札幌で野球試合に参加。
7月13日…札幌での公演終了。3回目公演18時40分から。札幌発21時30分の「急行まりも」に乗車。
7月14日…釧路着7時55分。1回目公演10時~13時半、2回目公演14時半~18時、3回目公演19時~21時半。服部良一・笠置シヅ子・淡谷のり子・渡辺はま子らが出演。北大通の珍家旅館宿泊。午後に啄木歌碑を訪問し、近江ジン(小奴)に会う。
7月15日…十條製紙工場で公演。
7月16日…渡辺はま子が千歳発11時20分、羽田着14時20分の飛行機に乗る(15日20時30分釧路発の「急行まりも」に乗り、16日7時43分に札幌に到着したと思われる)。
7月19日…服部良一が千歳発18時20分、羽田着21時20分の飛行機に乗る。
7月21日…モンテンルパの捕虜帰国予定日(実際は22日)。渡辺はま子はこれに間に合うように東京に帰った。
霧島昇の名を確認できるのは函館公演と旭川公演だけで、その後の遠軽や札幌、釧路公演の広告には出てこない。旭川公演終了後に東京に帰ったのだろう。それをバトンタッチする形で、渡辺はま子と灰田勝彦が来道している。夕張公演については、道新旭川版に夕張から旭川に来たと書いているだけで、当時の道新炭鉱版(そんな地方版があったのだ)を確認したが、笠置シヅ子らの記事は見当たらなかった。
7月1日の函館公演から15日の釧路公演まで2週間の巡業であった。服部良一はもちろん、笠置シヅ子・淡谷のり子・服部富子は最初から最後まで参加している。今のところ、7月4日だけが不明だが、ほかの日はどこかで歌っていた。しかも、現在のような特急列車も走っていない時代である。鈍行列車やハイヤーで移動しながら、このスケジュールをこなした体力が素晴らしい。