【読書日記】母のたもと
「母のたもと」宮尾登美子
宮尾登美子さんは「きのね」を以前読んで以来だった。
大河ドラマにもなった「天璋院篤姫」は読みたいなあと思いつつ、月日が流れてしまい…
こちらは、小説ではなくエッセイ。
何と初版は昭和55年…生まれる前。
宮尾さんが太宰治賞や直木賞ととった頃のエッセイをまとめたものだとか。
大先生、というイメージのある宮尾さんですが、
「私は主婦の傍ら、文章を書いている」と仰っていて、
「それが自分には合っている」と書かれている。
作家を志向する私は、いつも縦横に飛翔し得る自由な精神にあこがれており、主婦的思考に呪縛される私は、無駄と怠惰を激しく憎む、現実の生活に根を下ろす。
現実にはとても我儘にふるまっていても、根底に贖罪に似た意識がある限り、恐らく生涯、全く滑稽なばかりに私は主婦業にいそしみ続けることであろう。
また、土佐のご出身ということで高知県のお話もちらほら。
また、このエッセイの中で出てくる、宮尾さんの住む団地のある六郷には、一か月ほどだが、バイトで通ったことがあり、土手なんかも懐かしく思い出した。
きっと私が通っていたころとは全然違うでしょうが。
昔の話…と思いつつも今に通じることも共感できることも沢山ある。
ところで読書の時間と場所だが、きちんと明窓浄机、というのは女の場合少なくて、古いたとえの馬上(車中)枕上(寝床のなか)厠上(便所)の他、台所で、という例も案外多いらしい。実をいえば私もいちばん多いのが馬上で、これはしばしばのりすごした経験を持ち、次は台所の片手間なのである。鍋の湯が沸くあいだ、ものの煮える間などの少しの時間を盗んでは読み継いでゆく。
これは大いに共感した。私もキッチンに本を持ち込んでは読むことが多い。あとはハミガキをしながらだの、子どもの宿題を見ながらだの…「ながら」がとにかく多い。この文章を読んだときは、「ほんとだ…主婦でいらっしゃる…」と感激。まあ直木賞取られた、このエッセイのあとからはまた事情も変わってこられただろうが。
普段のお話から、土佐の昔の話、子どもの頃の話や、食べ物の話…多岐に渡る話が沢山あって、とても勉強になった。
宮尾さんのお父さんは、土佐で芸妓、娼妓の斡旋業をしていて、子どもの頃はそれが嫌でしょうがなかった、と。けれども自分の生い立ちときちんと、向き合おう、と書いた作品が賞を獲ることになったそうだ。(「櫂」)
父親のことは憎くてしょうがなかったが、筆まめな父の日記をもとにその時代のことを書き起こしていき、父の筆跡が近くにあることで父を今も身近に感じる、と。
日記は死の一か月前まできれぎれにつけているが、最後は誠に力ない字で、
「しんどい、」
と一行、消え入りそうに書いてある。
父の死後二十年以上経った今でも、私はこの最後の文字を見るたび胸が迫り、涙が滲んでくる。亡くなった人の筆蹟は、写真などより遥かに勝って訴える力を持っているように思われる。
これについては、私も身に覚えがあり、胸に迫るものがあった。
祖父が亡くなった時に祖父の手帳が出て来た。
祖父はその3年前に、自分にとって妻である祖母を亡くしていてそれから一人で生活していた。
そこには、日々の色々な予定が書き込まれており、
それなりに充実しているようにも見える内容だったが、
あるページに一言
「寂しい」
とあった。
祖父と祖母は孫の私から見ても大変仲が良く、
祖母は亡くなる時に祖父に対して
「私が死んでも3年は我慢しなさい。(3年は生きろ)」と言いおいて
亡くなった。
そして、ちょうど三年後、祖父は不慮の事故で亡くなった。
当時、高校生だった私は週に一度ほど会うだけだった。
祖父の寂しさには全く気が付かなかった。
そりゃあ、孫に「寂しい」なんて言うわけもないけれど、
あの一言を見たときは、なんだか切なかったのを覚えている。