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【読書日記】水のかたち

「水のかたち」宮本輝

この本が手元に来たのはもう何年も前なのに、どうしてか読み進めることができず、ずっと本棚に置いてあった。
宮本輝さんは好きなので、いつか読むだろう、と。
この年末年始にちょうど図書館からの本がなかったので、読んでみようと思い手に取ってみたら、今まさに「その時」だったようで、どれもしっくり来る文章ばかりだった。

50歳を過ぎた主人公、志乃子は昔から小道具などが好きだった。ある日、近所のカレー屋で見つけた文机と茶碗、手文庫をもらい受けることになる。すると、その茶碗が実は大変価値のあるものだと分かる。そして、手文庫には小さなリュックと手記が入っていた。志乃子はその茶碗を売って三千万円を手にし、その手記の持ち主を探して遠く戦時下で北朝鮮から150人もの人を伴って38度線を命からがら越えてきた家族の話を聞く。
三人の子どもを育て、夫の仕事を手伝い、ごくごく平凡だと思っていた志乃子は50にして自分の人生が様々な方向へ動くのを感じる…。

10代や20代の頃、私の人生は就職や結婚によって決まるものだと思っていた。一度や二度の転職はあっても、大体の方向性はきまり、そのあとの人生はそのレールに乗って生きていくものなのだと…
けれど40を手前にして、今なら、分かる。
私の人生はまだ何にも決まっていない。
まだやりたい事があるなら、やればいいし、これからの出会いでどっちへ動いていくか分からない。それが人生なのだと。
私の人間関係もこれからどんな風に変わるか分からないし、私という人間もどう変わっていくのか分からない。
必ずしもいい方向に変わるとは言えないから、ずっとずっと努力が必要だ、と。
この本の主人公は、新しい人間関係と、昔からの人間関係、それぞれに沢山の変化が生じる。
宮本さんは「あとがき」で

善き人たちがつながりあっていくことで、求めずして、幸福や幸運が思わぬところから舞い降りてくるという体験を、実際に私は目の当たりにしました。
善き人とはいかなる人か。
他者の痛みや悩みを我がことのように感じ、なんとか力になってあげようと行動を起こす人、といえばいいのかもしれません。
人を騙して儲けようとか、人間社会のルールに反して平気でいるとか、弱い者をいじめ、強いものにへつらうとか、そういうことには無縁の人たちと言い換えてもよさそうです。

と仰っていた。
この言葉を胸に、私も「善き人」になりたい、と思った。幸運の連鎖を望んでのことじゃない。(そりゃあ、あわよくば幸運の連鎖は欲しいけれど)ただ、「善き人」として生きていけたらそのこと自体が幸せじゃないか、と思うのだ。
志乃子はこれまでも何ら意識することなく普通に生きてきたつもりだけれど、そのままの志乃子を見て、「あなたって素敵だ」と言ってくれる友人が沢山いて、その友人がその志乃子を見てそれぞれに行動を起こす。そう言ってくれるだけで、なんて幸せだろう、と思ったのだ。

新しい一年の始まりに、大変良い読書体験をさせてもらった。
少し先の人生を見据えて、その年齢に何ごとかをなし得ていたらいいなと思えるし、もしなし得ていなかったとしても、それからでも私の人生は続くのだ、と思えた。
さあ、いつも始まりだと思って「今」を生きていこう。

石に一滴一滴と喰い込む水の遅い静かな力を持たねばなりませんーロダン

何十年、何百年と水に打たれ続けた石が、どう見てもリンゴを背中にのせた牛にしか見えない形に姿を変えた。
そんなことって本当にあるのかなあ。中に出てきたどんなものより、三千万円の茶碗よりも、そんな石と出会いたいなあと思った。
そして、そのかたちを変えていく、水の力を、私も欲しいなあと思ったのでした。


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