【読書記録】ライオンのおやつ
【ライオンのおやつ】小川糸
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主人公の雫は、若くして癌になり、余命いくばくもない。
彼女は瀬戸内のホスピスに入居することに決めた。
そこから物語は始まる。
「死」を扱う物語はやはり、とにかく深い。
深く、ならざるを得ない。
以下、心に刺さった文章を順番に取り上げておきたい。
心の夜空
カウンターに様々な種類の柑橘類が並んでいる。黄色い色を見るたびに、心の夜空にまたたく星が増えていく。
雫がホスピスで出会ったワイン作りをしている青年タヒチ君と、人生最後のデートを楽しんでいる時の表現。
「心の夜空に…」の表現が好き。
タヒチ君の味
「タヒチ君の味がするなあ」
別段深い意味はなかった。けれど、いきなり名前を出されたタヒチ君は、みるみる顔が赤くなる。とうとう、耳の先まで真っ赤になった。何か失礼なことでも言ってしまったかな、と反省したけど、でも、本当にそうだった。グラスの中の赤ワインは、実直で清らかで優しくて、お日様のぬくもりがあり、大地の力強さがあって、まるでタヒチ君みたいだと感じたのだ。
同じくデート中の言葉。人生の最後に「素敵」だと思えるヒトと、ほんの一時でも時間を共有して、自分が何かを相手に伝えて、深く関わり続けることはできなくても、受け入れ、受け入れられることって、あってもいいことだと思った。
もう死ぬから、って言って誰かと全く関わらなくんなるんじゃなくて、最後の一瞬まで関わって生きていくって、あってもいいんじゃないかなって。
がんばれ
一時期、がんばって、と励ますことをためらう風潮があった。それが、世の中全体のことなのか、私個人に限ったことなのかはわからない。でも、もう十分がんばっている人に、さらにがんばれというのは相手を追い詰めるだけだから、がんばってという言葉は使わない方がいい、と言われていた。
確かに、そうかもしれない。もうがんばりようがない人に、更にがんばれと叱咤激励するのは、酷だ。でも、自分ががんばっている時、がんばって、と応援されるのは、私自身は嬉しかった。
これは、私もよく思う。「がんばれ」って言っちゃいけないって言うけれど、私は私自身にがんばれがんばれって言う。がんばれ自分、て。そんなに追い詰められていないからかもしれないけれど。同じ気持ちだなと共感できた文章でした。
おやつ
おやつを前にすると、誰もが皆、子どもに戻る。きっと私も、おやつの時間は子どもの瞳になっているのだろう。
ホスピス、「ライオンの家」では毎週日曜日に入居者からのリクエストのおやつを再現して、みんなで食べる。それぞれの「思い出のおやつ」。自分の人生を振り返り、食べたいおやつを考える。それぞれに物語があり、それぞれのおやつに意味がある。入居者は自分がリクエストしたおやつを食べられない可能性もある。けれど、自分の人生最後のおやつを何にしよう、と考える時間そのものに意味があるのかもしれない。
生きたい
百ちゃんと会う前までの私は、まだ人生が続いているのに、死ぬことばかり考えていた。それが、死を受け入れることだと思っていた。でも、百ちゃんが教えてくれたのだ。死を受け入れるということは、生きたい、もっともっと長生きしたいという気持ちも正直に認めることなんだ、って。
私は幸運ながら「死」を間近に感じたことはまだない。だから、この本を読んで、どうなんだろうって考えさせられた。「死」じゃなくて。「生きる」ってなんだろうって。死に近づいていく物語なのに、ずっと「生きる」ってなんだろうって考えられさせる物語だった。すごく生命力にあふれた物語だった。
死を受け入れるなんて、そう簡単にできることではなかった。
私は自分で、自らの死を受け入れたつもりになっていた。でも、そうじゃなかった。そう思うことの方が自分にとっては都合がいいから、受け入れようとしていたのだ。確かに外堀は埋まっていたけれど、肝心のここ、私自身が、私の心が、死を受け入れていなかった。私はホスピスに入りたいから、その方が楽で都合がいいから、死を受け入れたふりをしていたのかもしれない。
でも、本当の本当のところでは、まだ死にたくない。私は、もっと生きたい。そう思うことが欲張りみたいにも感じていた。往生際が悪くて、みっともないと。でも、そうじゃない。死を受け入れる、ということは、自分が死にたくない、という感情も含めて正直に認めることだった。少なくとも私にとってはそうだった。
人によって、その年齢によって、または生きてきた過程によって、このお話を読んで、「死」を感じる人と、「生」を感じる人に分かれるかもしれない。
私は「生」を感じた。それって、すごくすごく感謝しなければいけないこと。「生き方」を考えて、毎日を大切に生きていかなければいけない。
けれど、どんな人生でも、「それでいいんだよ」って言ってくれているような気もする。
すべては私の人生の結果。生きてきた時間の結晶が、今だ。
だから、私が私の人生を祝福しなくて、誰が祝福するの?
生きることは、誰かの光になること。
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