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【読書の思い出】小さいモモちゃんシリーズ

以前、松谷みよ子さんの「赤ちゃんの絵本」シリーズについては記事にしたのだが、実は私が一番好きなのは、「ちいさいモモちゃん」シリーズだ。

息子が年長ぐらいだったか、購入して毎晩1話ずつ読み聞かせをしたのだが、正直に言って私の方が夢中になって読んだ。
これは子ども向けの本だろうか、と思ってしまうぐらいに内容が深い。
言葉は至って平易な言葉で書かれているのに、その内容が、深くてうーん、と考え込んでしまう。
シリーズの1作目、「ちいさいモモちゃん」は本当にほのぼのして可愛らしい。
子どもをじっと観察し、子どもの世界に入り込んだ大人の目がある。そこにいるのは確かに子どもなのに、子どもの世界観を見事に文章に表現している。
第二作、「モモちゃんとプー」の「かげをなめられたモモちゃん」に出てくるウシオニ。その不穏な空気に大人の私も背中がソワソワし、なんだか言いようのない恐怖を感じる。果敢に戦う母の姿がそこにはあるのだけれど、子どもにとっての母親の存在感の大きさと、何があっても子どもを守るんだという強い母の意志が見える。「ウシオニ」って…と思うんだけれど、そういう童話に出てきそうでいて、現実に潜むいろんな「恐怖」がそこにあって、なんとも読んでいる私の方が怖くなってしまう。

そして、同じく第二作のなかの「クレヨンドドーン」。私は読みながら泣いてしまって、横で聞いていた息子が驚いていた。
ある日、テレビに映る「せんそう」を見たモモちゃんとお友達のコウちゃん。「あれはうそっこだ」と言うコウちゃんに、インコが「うそのもあるけれどほんとうのもある」と言う。

「いや、うちへきたらいや。ねえ、どうしておとなたちはせんそうするの?せんそうなんてやめて、ご本よんだり、絵をかいたりすればいいのに、ぞうさんとか、お花とか、それからおよめさんとか、さ。」
「わかった、クレヨンないのよ、きっとーーー。だからせんそうするんだ。」

そう言って、モモちゃんとコウちゃんはクレヨンと画用紙を持ってせんそうをしているところに行く。そして

「せんそう、やめえー。」

と声の限りに叫ぶ。

ママのところに戻ったモモちゃんが、ママに言う。

「せんそうしてるよ。まだしてるいるよ、せんそうやめえっていったのに。」
モモちゃんは、なみだをぽろぽろこぼしていいました。
「せんそうやめてえ、っていったのにぃ、クレヨンあげたのにぃ。」

近くまで「せんそう」は来るのか聞くモモちゃんにママが言う。

「きませんよ、あのせんそうはとおいところなの。でももしそばまできたら、ママが、だめ!っておこるから、ね。」
「でも、どこかでしているんだよ、それなのに、だめ!ってママ、いわないの?はやくいわないと、みんなしんじゃうよう。」

モモちゃんの言葉は大人の私たちの心に深く、グサリと刺さる。
本当にその通りだ、と。
本当に、モモちゃんの言う通りだ、と。
久しぶりに読み直しても、ぐうっと唸ってしまう。

シリーズ後半はモモちゃんの妹アカネちゃんの目線になるのだが、そこにはお父さんとお母さんの別離もあったりと、なかなかヘビーな内容なのだ。そういったことが全て幼稚園年長ぐらいの子にもわかるような、易しい言葉で書かれているところがすごい。
楽しい夢の中のような、空想の世界のような子どもの世界の中で、不意に現れる現実感。それを大人は「現実」として捉えるけれど、聞いている子どもは「空想」丸ごと受け止めるんじゃないかな、と思う。

娘は興味を示さないのでつい読んでいなかったけれど、読み聞かせなら彼女も聞くだろうか。時間を作って読んでみよう。
柔らかい子どもの心で、どんな風に感じるか。
いや、彼女に託けて、実は私がもう一度読み返したいのだ。


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朝月広海
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