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26歳OL|貯金ゼロの理由と決意表明

こんにちは。ミナミです。

先日26歳の誕生日を迎えました。皆さんが子供のころ、「26歳」にという年齢にどんな印象を持っていたでしょうか。

私ミナミは26歳って、ちゃんと「大人」な年齢だと思っていました。

ちなみに幼い私が思っていた「大人」というものは、下記のような感じ。

・仕事をしていて

・お金を持っていて

・自分で自分の生活をコントロールしている

はて。私、ちゃんとこんな感じになっているのかしら。26歳を迎えてふと考えてみましたが、まあまあほど遠いです。

しかし、6年前、20歳の頃の私は、26になってまさか自分がこんな状況だとは全く思っていませんでした。なぜなら、当時の方がよっぽど収入もあり、このまま右肩上がりに収入を伸ばそうと思っていましたから。

まあ色々あって今ギリギリ生活を送っている訳なんですが、私ミナミがそこそこのコガネ持ち学生からジリ貧OLになった経緯をまとめておこうと思います。

26歳、もうこんな状況はさすがに絶対に脱する、と固く決意たので、1年後にはキャッシュフローはしっかり変えて、もう絶対お金で悩まないステキ女子になってみせる。

という訳で、後から振り返ってこんな時期もあったなあと振りかえれることができるよう、残念な自分の記録ということで。

同じような残念女子の皆さん、共感してくれ。

しっかり資産管理してるステキ女子の皆さん、何も弁解できることはございません。笑え。笑

大学時代のミナミとお金の話

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話が長くなるため詳細は省略しますが、大学時代私ミナミはアメリカにおりました。

理由(建前):当時所属していた学科的に、海外でインターン等したかったから。

理由(本音):当時タイタニックのレオ様にハマりまくり、どうせなら学生時代に英語も習得して、レオ様みたいな彼氏を作ろうと思ったから。

もちろん建前も方もちゃんと考えていた留学理由ではありましたが、かなり不純な動機も抱えて4年間をアメリカで過ごしました。

結果的にはきちんと学位も取得し、英語も普通にニューヨークの会社で仕事をこなせる程度に習得し、レオ様みたいではさすがになかったけれど彼氏も作り、実りの多い4年間でした。

この4年、幸せなこともたくさんあったのだけれど、何が辛かったって

お金がなかったことが本当に辛かった。

そう、大学の授業料は高く、かつ留学生にはアルバイトが認められていませんでした。

正確に言うと学内でのアルバイトは認められていたものの、時間制限があり、フルで働いても全く生活の足しにならないのです。

家賃を払わないわけにも行かないので、ベビーシッターやらレストランでのウエイトレスやら、バレないようにいろんなバイトもしました。

でもやっぱり当局にバイトがバレたら日本へ強制送還されるかもしれないのが恐ろしく、どうにかしてアメリカにいながら日本で収入を得たかった。

そしてたどり着いたのが、いわゆる「アフィリエイト」でした。

詳しくはまた別記事で紹介しようと思いますが、気になる方はGoogle先生に聞いてください。

何はともあれこんな経緯でアフィリをはじめ、生活に困っていて必死で取り組んだ結果、月間約40万円程度を自力で稼ぎ出せるようになりました。

時を同じくして大学を卒業し、ニューヨークのデザイン事務所に就職。こっちからもお給料をいただけるようになり、当時は年収600万円ほどになりました。ミナミ当時22歳。

今考えると金銭的には一番余裕があった頃でしたね、、笑

日本への帰国と同時に始まったブラック企業生活

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ミナミがアメリカで働いていたのは2017-2018の約1年半。

この頃、アメリカでは政治的に大きな変動がありました。

そう、ドナルド・トランプがオバマ前大統領の後釜に収まり、アメリカ大統領となりました。これは当時アメリカで暮らしていた私からするとかなりの脅威でした。

案の定就任と同時に外国人の締め出し的な政策が取られ、永住権所持者であるにも関わらず、アメリカに帰国できないなんて人もいましたよね。

私ミナミも当時持っていたVISAの更新ができなくなり、致し方なしに日本へ帰国することに。(今考えると、2020年、コロナが大爆発する前に帰国できていて本当によかった、、、人生何がどう転ぶかわからないものです笑)

ここからがなかなか大変な生活の始まりでした。

大学時代アフィリをはじめ、広告運用やITビジネスに多いなる興味を持った私は、アメリカでデザイン事務所に勤めてながらも自分で諸々運用し続けていました。

言わば「本業」と「副業」のような形です。

大学ではデザイン系学部を出ておりもともとデザインの仕事がしたかった私は、日本に帰ってもこの「2本立て生活」を続けるつもりでおりました。

この頃にはすでに自分が「デザイン」よりは「どうやってビジネスを回すか、改善するか」を考えるマーケティングの方が楽しいと感じていることには気づいていましたが、長年勉強してきた分野を離れるつもりもなく

アメリカでも付いていた仕事と同じ業種の設計事務所に就職しました。

ところがこの事務所、なかなかのブラック事務所であることが入社後に判明します。具体的にお伝えすると、、

・勤務時間が無限

・給与明細くれない(残業代ゼロ)

・社長の事業方針がコロコロ変わる

アメリカのホワイト企業に慣れていた私ミナミは、全くブラック企業のリスクを考えることなく入社し、その後なかなか大変な生活を送りました。

もちろん学んだことはたくさんありましたし、いい勉強になりましたが

自分の時間が全くなくなった結果、自分で作っていたアフィリのシステムは手入れができなくなり徐々に目減りしていきほぼ収益が0に逆戻りしました。

このことはストレスがものすごかったため、使うお金の額は逆に増える一方。もはや貯金しようなんて意欲も湧かず、自力でファイナンシャルコントロールもできなくなっていました。

他に勉強したいことややりたいことがあっても全くできず、そしておそらく今後も永遠にできない状況に辟易し、こちらの会社は勤めて2年弱で退職を決めました。

IT周りの学歴等は全くない私ミナミでしたが、自力で作ったアフィリの経験を売り込み、無事ホワイトIT企業への転職が叶いました。現在はマーケ担当として働いています。

解放された喜びが爆発した2020年。消費も爆発した。


そんなこんなで2020年1月、私ミナミはようやく生活を立て直し、新しい会社にて新しい生活を開始しました。

2018-2019年はほぼ自炊もせず、肌も身体もボロボロでした。そして余談になりますが、日本へ帰国と同時にアメリカから日本に転職までして付いてきてくれた当時のパートナーとの関係が帰国後うまくいかなくなり、破局した関係でメンタルも不調。

仕事のストレスも相まって、私ミナミは浪費癖を極めていました。

別にブランドバックを複数購入したとか言う訳ではないのですが、日々の食事はほぼ外食でしたし、転職して少し時間ができてからはあちこち旅行し、また積極的に交友を広げようとした1年間だったため、飲食代や交際費にも多額をつぎ込んでました。

月のカードの請求額が28万だったことも、、、

それでもアフィリ収益があった頃は問題なく払えていたのがさらに悪く、収益が減ってもそのままの勢いで消費を続けていました。

そして2020年12月末。最盛期は500万ほど持っていた貯金がほぼ尽きかけていることが発覚し、ただいま崖っぷちです。

2021年2月、26になる私ミナミは、このダメダメだった3年間を大いに反省し、キャッシュフローを見直すことを固く、誓います。

まとめ

ここまで長々と駄文に付き合ってくださったみなさま、ありがとうございます。今回は私ミナミの、学びと楽しさと後悔と反省に満ちた20代前半を記載させていただきました。

そうは言ってももう私も20代後半に突入し、こんなことばかり続けるわけにはいきません。

物欲があるわけじゃないですが、お金の心配をするのがどれだけ辛いかを知っていたからそうならないために頑張っていた日もあったのに、、反省

でも幸いなことにまだなんとか20代。今後私の目指す「お金の心配をしなくてもいい素敵な大人」になることはまだきっと可能なはずです。

最近、夢ができました。

30歳までに、都内のヴィンテージマンションを購入して自分でリノベすること。台所が大きくて、友人たちに美味しいご飯を振る舞えるような素敵な住処を作ること。(ミナミは料理が好きです)

今変わらないと、絶対1年後も貯金はゼロなはず。

今後は節約生活の記録や貯金ルーティーン、そしてマンションの頭金にする300万円を貯めるまでの記録を残します。

ありがとうございました!ではまた。



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