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とどのつまりがdear prudenceのようならーめんを作りたい

前回の投稿で『枯れた』宣言をした僕ですが、めっちゃ潤って復活しました

生活状況や営業状況は何ひとつ変わっていませんが、やはりやることはひとつ、死ぬほど美味いらーめんを作るだけです

なんのためにらーめんを作ってるのか?

を自問すると、結局のところスタート地点に帰ってきます

それは

dear prudenceのようならーめんを作りたい

これに尽きます

は?

なに言ってんの?

ラリってんの?

そんな声も聞こえてきそうですが、これ僕がずーっと思っていたことでした

マジです

そもそもdear prudenceとは?

ビートルズの大作アルバム『ホワイトアルバム』に収められいる名曲です

プリミティブなロックンロールナンバーの『back in the U.S.S.R』がフィイドアウトしていく中で、幻想的な『dear prudence』のギターのイントロがフェイドインしてきます

歌詞の内容はインドで悟りを開く修行をしていて深く自分の世界に入り込んで引きこもってしまった少女プルーデンスを「こっちにおいでよ、一緒に遊ぼうよ、世界はこんなに美しいよ」と誘おうとした曲、とのことですが、初めてこの曲を聴いたのは14才の頃です

歌詞の内容は全く分からず、それよりも繰り返される浮遊感のあるリズムと単調かつ美しいメロディに僕は一気に心を奪われてしまいました

それからもう30年以上、この曲の虜です

誰かをトリップさせたい

14才だったロックに目覚めたての少年だった僕が、ビートルズとマリファナ、瞑想、悟り、その他諸々の情報や知識を持ち合わせているわけでもなく、この曲の背景を知る由もなく、理屈で理解できるはずもないのに、僕はこの曲を聴くたびに恍惚とした気持ちになっていたのです

当時の僕にとって(今もかも知れないけど)外国語で歌われる曲というものは、歌詞を理解して楽しむというよりも、歌詞やボーカルも『インストゥールメンタル』として楽しんでいた部分があります

だから言葉の意味を超えて胸に迫る感動を、この時期に体験したことが僕を創作へと駆り立てました

らーめんは僕がたどり着いた青春の終着駅であり、人生の始発駅だった

ラグビーを挫折した後、パンクバンドを組んだり、短編小説を書いては文学誌に応募しては落選なんかを繰り返していた20代前半だった僕の創造への原動力は(その時は忘れていたのですが)、間違いなく

「dear prudenceで得た感動を自分も誰かに感じさせたい」

という想いがありました

そしてバンドも小説も諦めた時、たまたまらーめんに出会い、「今日かららーめんを自分のロックンロールにする」と決めて、そこから僕のラーメン屋としての人生が始まりました

紆余曲折を経て、ラーメン屋になって20年が経ち、いいことも悪いことも経験して、「枯れた」と感じた時に立ち止まって振り返ってみて見つけたものは、少年の日の初期衝動みたいなものでした

果たしてdear prudenceみたいならーめんとは?

で、この20年のラーメン屋稼業のなかで僕が14才の時に感じた感動は誰かに与えることができたのでしょうか?

自分では全く手答えがありません

僕が与えたい感動は、現実感から解放された浮遊感です

そう、14才の時の僕がヘッドフォンで繰り返し聴いた『dear prudence』のような…

それって、どんならーめん?

わからないから、またここから歩み始めなければ!!

結局奮い立たせてくれるのは、人との出会いや対話、そして昔の自分

先日ももはやライフワークとかしている輪島市の海鮮割烹『のと吉』での合同イベントのあと、店主の竜ちゃんとの毎度恒例の語り合いで、「せやな、ほんま前に進むしかないもんな」と自分に喝を入れ直し、そして「14才の頃の自分を裏切らへん仕事せなあかんもんな」と過去の多感な自分に誓いを立てて奮い立った僕

まぁ、生きてるだけで丸儲け!

これからも高くて美しい理想を追いかけて、不器用かも知れないし匍匐前進かも知れない毛も前だけ見て進んでいきます

こんな「誰得?」な文章、書いてなんになるのかはわからないけど、らーめん南は元気です

そろそろどんならーめん作りたいから具体的に書けよなー!!

#私の仕事
#ラーメン屋
#飲食店経営
#音楽
#ビートルズ
#dearprudence

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