何をみても何かを思い出す
タイトルはアーネストヘミングウェイの初期短編集から
確か内容は…
非凡な才能を感じていた自分の息子が、結局平凡なおっさんになった
みたいなそんな話じゃなかったかな?
読んだのはもう20年以上前だったから間違えてるかもしれませんが、最近よく6年前の辻堂を離れて自己破産をして石川県に引越ししてきた頃のことを思い出します
はい、まさに
何をみても何かを思い出します
はい
近況など
前回の投稿でも書きましたが、僕には休みが必要でした
千切れる寸前の雑巾のような心と頭と感性の状態に陥っていた僕にとって、必要なことは
休むこと
でした
だから今はゆっくりと休んでる…
とはなかなか言いがたく、そこそこ忙しく過ごしています
今の生活の中心はコンビニエンスストアでのバイトです
このバイトは昨年の県からのコロナによる営業自粛要請が過ぎたあたりから始めました
最初は1日に2時間、週に5日というペースでシフトに入れてもらい、その給料を店の支払いに充てたりなどしていたので、本当にこのバイトなしでは乗り越えられない月は山ほどありました
本当に感謝しています
そして、ミシュランに掲載される前後から少しずつシフトを減らしてもらっていました
僕自身、店を畳むことになるとはミシュラン発表時には予想もしていなかったので、
「年内でバイトを辞めさせてください」
とバイト先のオーナーには伝えていました
しかし急転直下、店を畳むことになったので
「あの、すいません…しばらく続けさせてもらえませんか?」
とお願いしたところ
「南さんさえよかったらいつまでもいてください。でも辞めなければならないタイミングがきたら、いつでも言ってください」
と本当にありがたいお言葉をいただきました
今は1日に七時間から9時間、週に5日〜6日シフトに入れていただいています
なので急な就職活動をする必要にも迫られず、なんとか生活ができています
そして今、閉店の事後処理など諸々のことで時間と心と体に余裕がほしかったので、どこかで就職をして組織に縛られるのではなく、ある程度こちらの都合も聞いてくださるコンビニエンスストアには本当に感謝しかありません
ですのでSNSでは遊びに行ってる風な投稿をストーリーズに挙げたりしてますが、実はバイトの休みの日以外は大人しく家にいます
自分と向き合う
それでも店をやっていた頃は朝6時に起きて寝るのは夜中の2時か3時、という生活でしたから、時間には余裕が生まれました
閉店の事後処理はまだまだありますが、僕にできることも少なくなってきたので、今はゆっくりと睡眠を取ったり、本を読んだり、軽くジョギングをしたり、筋トレをしたり、そしてサウナに行ったりしています
何も考えない
ボーッとする
ということが苦手な僕にとって、今の時間は自分の人生を振り返ってもとてもゆっくりと過ごせている気がします
そこで、何をみても何かを思い出す、です
6年前の辻堂から引越しをしてきたばっかりの頃をよく思い出します
何が変わって、何が変わってないのか
当時、店を始める前の僕は開店準備のために割かなくてはならない時間と、最低限の生活を守るためにバイトに行く時間とを使い分けていました
当時は引越屋で週に4日ほど働いていました
収入は今とほとんど同じだと思います
ギリギリの生活(それはらーめん南をしていたこの約20年間ずっとだけども。笑)を保ちながら、時間に余裕を作ってダイエットをしたり店の構想を練ったりしていました
つまり、今の生活とよく似ています
「俺、また振り出しに戻ったのかな…進歩ないなぁ」
と思う反面、明らかに6年前の自分とは変わったことにも気づき始めました
それは変化なのか…
進化なのか…
成長なのか…
はわからないのですが
なぜラーメン屋をやりたいのか?
という根源的な問いに対して、6年前よりも明確に答えを持てるようになった気がしています
これからはしばらく自分の中の『なぜラーメン屋をやりたいのか?』という問いに対して、ここまで何を学んでどう変化して、そしてどんな答えを出そうとしているのかを綴っていきたいと思います
それがいつかまた復活する日の具体的なスタイルや哲学にも繋がっていくと思うので、もしどなたも読んでくださらなかったとしても自分のためにも書き綴っていこうと思います
前回の投稿でも書きましたが、本当にゴールのない旅のスタート地点が、今ここです
どうぞ見守っていてください
よろしくお願いします(なぜ今回のトップ画像が原田マハさんの『リボルバー』だぅたかも、おいおい書いていけると思います)
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