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映画『aftersun』感想〜見ているだけでヒリヒリと痛い父と娘の最後のバカンス

 サムネに惹かれてあらすじだけチラッと見て、(リゾート映画かー海の色キレイなんだろうな~)と気軽に観たら、全然違った。父と娘二人のバカンスは平穏とは言い難く見ているだけでイタくてヒリヒリする。心が苦しくなる。そんな映画だった。

 離婚によって離れて暮らす父娘が夏の休暇にトルコのリゾート地を訪れる。記録用にとビデオカメラを回す父。しかし二人きりのバカンスは序盤からスムーズにいかない。ツインルームを予約したはずが部屋に入るとダブルベッドが一台きり。受付に苦情の電話を入れるも、父はエキストラベッドで我慢することになる。腕を骨折している父親は何かと不自由そうだ。プールに出ても工事中で音がうるさい。見渡せばリゾートには両親の揃う家族連れや若者同士が多い。

 とにかく重苦しい情報量が多すぎる。いちいち心に引っかかって渋滞する。

 ビーチバーで黄色いリストバンドをしている人は飲み物代を支払っていないことに気付く娘。飲み物代も宿泊料金に含まれているのだ。しかしお金のない父親はそんなプランを予約していない。ゲーセンで遊ぶお小遣いもくれない。ブッフェ形式らしい夕飯の席でも、ウェイターが周りの席で部屋番号を確認しだすと、なんと逃げる。え?タダ飯?

 傍目には兄弟に間違えられるくらい若い父だが、娘にさまざまなことを教えている。そのお蔭か娘は11才でチェスもできればビリヤードもその辺の若者より上手い。襲われて手首を掴まれた時の逃げ方も、泳ぎ方も教えようとしている。そして日に焼けないようにと常に気を配り日焼け止めを塗る。娘の水中メガネもちゃんと用意していたのに、渡すタイミングが合わず海底に沈ませてしまうと、父は思わず「高かったんだぞ!」と強めに言ってしまう。

 娘は11才。父親を鬱陶しく思い始める微妙な時期だが、離れて暮らしているせいか不甲斐ない父にずっと気を使っている。子供なら誰だって両親は仲良く揃ってずっとそばにいて欲しいし思い切り甘えたいはずなのに。ちょいちょい、父娘の距離感を感じさせる描写がある。

 ソフィが、11歳の誕生日には何していたかをたずねると、家族にも忘れられていたと切ないエピソードを話す父。太極拳に心酔し変な動きをする父。ギプスも自分で切って外す父。病院に行くお金がないのだろうか。娘に以前紹介した彼女は元カレとよりを戻してしまった。生まれた地スコットランドにはもう帰らない、一度離れるともう居場所はなくなってしまうと言う父。40才になった自分は想像できないと言う父。

 二人がトルコの絨毯屋を訪れる。結構値の張るものなのでお金のない父はどうせ買わないだろうと思ったら意外にも購入する。模様のモチーフにはそれぞれ意味があり、トルコでは婚礼の時に花嫁が持参する大切な道具として欠かせないもののようなので、父はきっと形見として娘のために購入したのだ。買ったばかりの絨毯に寝転ぶシーンがあるが、娘の輝かしい未来を想像していたのかもしれない。

 大勢の聴衆の前でいっしょにカラオケを歌おうという娘。父に内緒で申し込んでいたのだ。司会者に名前を呼ばれても父が頑なに嫌がったため、娘は一人で歌うことに。正直めっちゃ下手だった。一曲歌って帰ってくると父は、「歌を習わせてあげるよ」なんて言う。これめちゃくちゃ傷つくし苛立つだろう。旅行中ずっと父に気を遣ってきた娘もとうとう「お金もないくせに」とキツイ言葉を言ってしまう。
 気まずい空気の中部屋に帰って早く寝ようと言う父を突っぱねると、父は娘を置いてどこかへ行ってしまった。火が付いたまま捨てられていた煙草を拾って荒々しい海に向かう父に、なんだかザワザワする。
 娘はプールサイドやビリヤード場などをうろつき部屋に帰ろうとするも夜のリゾートホテルで迷子になる。ホテルの地図を見ている娘に襲い掛かってきたのは、ゲームセンターで知り合った同じ年くらいのマイケルだった。マイケルじゃなかったらどうなっていたんだ。その後マイケルに告白されキスするという冒険をして帰ってくると、なんと部屋には鍵がかかっていて娘は入れない。これ、びっくりした。11歳の女の子に何かあったらどうするんだ!襲われた時の逃れ方を教えていたくせに、こんなことを気遣えないなんて最悪だ。親としてまともじゃない。
 仕方なく娘がロビーのソファで寝ていたら(危険すぎる!)、受付のお兄さんがマスターキーで部屋に入れてくれた。中に入るとなんと父は素っ裸で娘のベッドで眠っていた。

 父の誕生日当日は、朝からツアーに参加する。クレオパトラもかつて塗っていたという硫黄の匂いのする泥を二人で体に塗りたくりながら、昨日はごめんと謝る父。娘は許すが、僕は気にする、と答える。それならもっとちゃんとしてよーーーなのだ。ちゃんとできていないから、このへんで病気を疑い始める。
 娘は周りの人に声掛けして、いっしょに父の誕生日を祝し歌をうたう。誕生日を迎えた父の気持ちをなんとか弾ませようとしているのに、派手な事を嫌う父は喜ぶどころか迷惑そうで、全く響いていないのが辛い。

 いよいよ二人のお別れの時が訪れる。娘はおどけて、帰ったと見せかけ角に消えてはまた現れることを何回か繰り返し、最後まであどけない様子を見せる。その娘と別れた後の父である。ビデオカメラのスイッチを切った顔から一切の表情が消え、すっきりとした顔をしているのが怖かった。何もない真っ白な空間をすたすたと迷いなく奥に向かって歩いていき、ドアを開けて出ていく。まるで現世から未練なく逸脱するかのように。

 20年後、ソフィの寝台の足元にはあのトルコ絨毯が敷かれている。横に寝ているパートナーは女性のようで、赤ん坊が泣き声が聞こえている。
 あのバカンスは単なる思い出作りでなく、自分の持てるすべてを娘に授ける旅だったのか。「行きたい場所で生きろ」「なりたい人間になれ」「時間はある」という言葉の中に、未来ある娘への羨望と、自分は果たせなかった諦めと父の深い愛情が感じられる。

 リゾートに来た若者たちはセックスに奔放で、そのうちの一人の女子は「男なんて最低」と娘に言い残す。若くして結婚した親はうまくいかなかった。不器用な父はおそらく自死してしまった。このような背景が娘のその後の人生観、恋愛観に大きく影響しているのではないだろうか。

 映画の中で父が何度も娘に日焼け止めを塗ってあげる場面が出てくるが、「日焼け止め」は親の保護のようなものかもしれない。だから終盤になると娘は親任せでなく自分で塗ろうとし始める。親の保護から次第に外れていくことを表しているのかもしれない。
 映画のタイトルのように、日焼けした後は見ているだけで痛い。「aftersun」は、父を救えなかったことを娘はずっと後悔しているようで、鑑賞後ヒリヒリと心が苦しくなる。

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