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「アーティチョークの習性」 フェルナンド・ソレンティーノ

「アーティチョークの習性」 フェルナンド・ソレンティーノ
http://www.eastoftheweb.com/short-stories/UBooks/HabiArti758.shtml

                                                              < 1 >
オーム横丁をご存じの方は少ないでしょう。
トリウンビラート通りとデ・ロスインカ通りの角付近を通っているだけだから。
私は、中庭に面した小さなバルコニー付きのアパートに住んでいる。

 私は48歳だが、結婚しようとも、出来るとも思った事は一度もない。
独身で十分うまくやっている。
私の専門は農学でも植物学でもない;私はスペイン語、文学、ラテン語を教えている。
私はこれらの自然科学や農業科学について何も知らないが、言語学や語源学についてはいくらか知っている。
私がアーティチョークへアプローチし始めたのはこれらの分野だ。

 ご存じのように、スペイン語の語彙のかなりの部分が18世紀のアラビア人の侵入者のの言葉に語源を持っている。
時には彼らはスペイン語の現在の用法をラテン語や新ラテン語に、アラビア語の形から与えることで新しい単語を作っただろう。

 これは、モサラブ語のcaucilは、"小さな頭 "を意味するラテン語のcapitiellumに由来する場合に該当する。
つまり、alcaucil (冠詞+名詞)、「その小さな頭」を意味する。
この通称は科学的な用語のcynara scolymus よりもよりおおきな表現度と有用性を持つだろう。

その理由を見てみよう。

 ブエノスアイレスでは誰もアーティチョークの植物を見たことのある人はいない。
野菜市場では、私たちは特にこの小さな頭が、その心臓(花托と言った方がいいかもしれない)とその葉の元の所(むしろ外皮というべきか)が確かにとてもおいしいと良く知っているだけだ。
さて、これらの小さな頭は花の種を含んでいて、園芸家は種が付く前に抜き取ってしまうのだ、そうしなければその頭は固く食べられなくなってしまうからだ。

 私は全人生をアーティチョークの形態学や生活、習慣に全く無知で生きてきた。
しかし今こそ衒学的になることもなく、私はかなりの量の情報を得、この件に関して権威者になったと言う事ができる。
勿論、アーティチョークに関しては、学ばなければならないことが多く残っている、と気が付いている。

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アーティチョークは大きめの植木鉢で栽培可能です。
それはアザミの一種で、丈夫で、耐性のある植物なので、ほとんど手入れを要せず、すぐに成長します;ほぼ1mほどの高さになり、横方向には、今の所測定できないほどの長さに広がります。

 原則的に、私は植物に興味や愛着を見出すことは無いのだが、ニックネームがピーチスという隣人がくれたアーティチョークを、感謝したふりをして、受け取った。
彼女は単純で退屈で、ある程度の年齢で、近視です。
彼女にはセバスティアンという名前のどちらかというとぼんやりの息子がいます。

 若いセバス(彼の母親や彼の友達に好まれる語尾音消失)は10年生を終えるのが難しかった。
何故だか、私は彼に、彼が今までの11か12ヶ月で学ぼうとしなかった、いや存在さえ考えていなかった、スペイン語を数日で学ぼうとする企てを可能にするために、無料のスペイン語のレッスンを彼にしている事に気が付いた。

 私は、自分が、20年の経験(とその退屈さ)と、その巧みなチョーク使いを伴った、優秀なスペイン語の先生であるという事実は率直に認める。
しかし、セバスは私が予想した通り、絶望的などんくささと空っぽの頭で、3月の審査委員会で正式に落選する結果となった。

ピーチス夫人は、母親の偏見は置いておいても、非は私ではなく彼女の息子にあると理解しようとし、ある意味私に感謝しようと、私に前に話したアーティチョークの鉢をくれたのだった。

 ピーチス夫人は、私のアパートを短時間訪問し、数え切れないほどの誤りと半端な真実を口にし、私の言う事には少しも気を留めることもなく、自分の幻滅した世界観を述べ、そして最後に、撤退して言った、私の中に知性の低い無限の無知がいつも引き起こす不快な感情を残して。
そして、バルコニーには、その赤と白の鉢の中に、ある種の悪意とともに、アーティチョークの植物が残った。

 少しずつ、それは鈍い緑色の頭(アーティチョーク)をたくさん繁殖し始めた。
それらは、それ自身の重さで、抵抗する茎を押さえつけ、バルコニーの床に沿って這い始めた、あたかも彼らは不定形の爪を持つ正体不明の動物、先史時代の石の様な緑の硬さを伴った、ある種の棘のある陸上のタコのように。

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こんな風にして一週間が経ったはずだ。

私は数年間、無数の穴をあけて、アパートの中を占有する、何物にも負けることのない雑食性の小さな昆虫、赤蟻の進撃とむなしく戦って来ていた。
ある日の午後、私はたまたまバルコニーに座っていた。
;私は新聞を読み、マテ茶を飲んでいた。

するとたくさんのアーティチョークの頭のうち4つが赤蟻を狩っているのを観察したのです。
それらの戦略は単純であるとともに有効なものだった。
彼らの鱗茎を下ろし茎を立てて、彼らは蜘蛛のように走り、繊細な正確さで蟻を掴み、素早い牽引と咀嚼で蟻をアーティチョークの中心に運び、そこで蟻を摂取する。

 動く茎、つまり触手がある地点での広がり方を注意深く観察すると、その蟻の体は、そこにアーティチョークの消化器官があると私は想像するのだが、中央の茎、に運ばれると私は言うことができる。
一度ならず私はドキュメンタリーで同様の物を見たことがあった。
蛇がネズミやカエルを丸のみにした時、犠牲者の体は死刑執行者の体を通って行くのが見られるが、ちょうどそんな風にアーティチョークも蟻を食べるのだった。

 私は有頂天だった。
この出来事は幸先の良いものように思われた。
アーティチョークは疲れを知らないし飽くことがなかった。
直ぐに、私は私が数年かかっても失敗していた事を達成するだろうと分かった。
;彼らは無力な私があれほど嫌っていたあれらの全ての赤蟻たちを、決定的に絶滅させるだろう。

 実際、それは起こった。
一匹の蟻も残っていない時がやってきたのだった。
その後、アーティチョークは他の食物を探して広がって言った。

 バルコニーの他の植物、タチアオイ、ゼラニューム、今までに一度も花の咲いたことのない薔薇の木、古代シダ、野生の棘のあるサボテンなど、を絞め殺して食べるアーティチョークもいた。
しかし、他のアーティチョークは地面を掘る方を好み、有用なミミズや有害な害虫を同時に捕まえた。
第3のグループは壁を登り、暗い蜘蛛の巣を貫いた。

                                                               <4>

まさに、あのアーティチョークたちは健康的な食欲を持っていて、成長していっていた。
彼らは常に成長していた。
バルコニー全体を占領するのに長い時間はかからなかった。
彼らはまるで蔓性の植物のように絡まり、曲がり、床を、天井を、壁を踏み込むこともできないジャングルを形成するまでに覆いつくした。

 その時点で、私は少し怖くなったことを告白しなければならない:
愚かにも、その植物がアパート全体を覆いつくすまで成長しつくすだろうと恐れたのだった。

 「良いだろう、もしそれがお前の意図するところならば、僕はお前を飢え死にさせてやるぞ。」と私はそいつに言った。

 私は灰色の木製のブラインドを下ろし、食堂と寝室の窓枠を密閉した。
わたしは、アーティチョークという植物は食物を奪われると、勢いが衰えて、萎み、最後には枯れて死んでしまうと確信していた。

 私は1988年の4月11日にその用心深い手立てを取った。
ある労働争議のために、私の学校の授業はその週の終わりまで中止になった。
私は、ガールフレンドのような者、勿論中年の、何年間もデートをしてきていた、数学の教師のリリアナ・テデスキと一緒に、マル・デル・プラタのシーサイドリゾートに短い逃避の機会を持った。
汽車好きでバス嫌いの二人は、水曜日の夜にコンスティチューション駅を出発し、その後、その魅力的な秋の町で三日間の美しい日々を過ごした。

 4月17日、日曜日の朝8時ごろ、気が付けばオーム横丁の私のアパートにいた。
私は泥棒が怖かったので、ドアに鍵をかけ2本のボルトで留めている。
自分の先見の明をささやかに誇らしく感じながら、私は最初のボルトを開け、二番目を開け、ドアを押し開けた。
私はある種の抵抗感があるのに気が付いた:そんなに大きくはないが、ほんとに、実際の所、抵抗感だ。

 そして私はある種のアーティチョークのワンダーランドに足を踏み入れた。
私は強い空気の流れに遭遇した:
私がいない間に、これらの連中は最初に木製のブラインドを食い尽くし、それから窓枠を壊したのだった。
今や、彼らは巨大なクラゲのようにアパート中に広がり、組織的に床と壁と天井を覆い、角を曲がって這い、家具をよじ登り、隅から隅まで調査したのだった。

                                                               <5>

 これが私が最初に一瞥したものだった。
私はすぐに情況をもっと体系的に評価しようと試みた。
私は平静を保とうとしたが、このような虐待に直面して憤りを禁じ得なかった。

 アーティチョークは冷蔵庫も冷凍庫も全ての戸棚も開け、チーズもバターも冷凍肉も、ポテトも、米も、小麦粉もクラッカーも・・・・食べつくしていた。
台所を横ぎって歩き、私は新しい空っぽのマーマレードの瓶、オリーブオイルの瓶、木来栖の瓶、チミチュリソースの瓶に・・・・つまずいた。

 彼らは人間の食べられるものは全て貪り食い、そして今や、私のいっぱいに見開いた目の前で、アーティチョークが食べられる全ての物、つまり、生来ていようが死死んでいようが、全ての有機物、に襲い掛かろうとしていた。
そして私はそれらが、家具、皮革、羽根、木材と全てにかぶりつきむしゃむしゃ食っているのを見た。
そして私はそれらが、本にかぶりつきむしゃむしゃ食っているのを見た。
― ああ、神よ! ―
私の30年以上にも亘って愛情をもって集めた、下線を引き、注釈を、それも決してインクは使わず鉛筆だけで、一度ならずも何千回も注意深くきちんと手書きで書き込んだ、貴重な本たち!

 私は自分の肉切り包丁は持っていないが鶏が切れるくらいの鋏は持っている。
私はアーティチョークの茎に鋼鉄の両方の刃を当てて、精一杯の憎しみと喜びに満ちた悪意を込めて、敵の憎むべき頭を切り落とした。

アーティチョークの切り落とされた頭は数センチ転がって。切られた茎の方は数えきれない小さな茎に枝分かれをして、一斉に14,20,40の新しい頭が良まれた。
それらが荒れ狂って私を目がけて飛び掛かって来て、私の靴と言わず足と言わず手と言わず、かみつこうとした。

 そして私は少しずつお風呂場と寝室の方へ撤退した。
このゾーンが平方㎝当たりのアーティチョークの密度がずっと少なかった。
私は人間だ、完全に正気なのは私の方だ、正気を失う気はさらさらない、と思った。
私は単に落ち着いて少し考えたかった、というのは私は、― 私は何時も自分に自信を持っていたので ― 私は直ぐにアーティチョーク問題児解決方法を見出し得ることを疑わなかった。

                                                               <6>

私は理性的に考え始めた。

 私の留守の間、何が彼らを怒らせたのだろうか、むしろ彼らを狂気に駆り立てたのだろうか?
疑いなく、それは食べ物の不足だ。
実際、今までの数週間、普通に食べていた時は、アーティチョークの行動は威厳があり、思慮深いものだった。
そのため、私は彼らに彼らの以前の穏やかなおとなしい姿に戻すために必要な食物を提供しさえすればいいだけだった。

 ベッドに残っているものは、ベッドもランプ用のテーブルも、箪笥も服も、ほとんどなかったが、ベッドの横にある電話を使って、|2人の友達≪ツー・フレンド≫ マーケットに電話をかけた。
最初の友達は肉を売っている;2番目の友達は野菜と果物を売っている。
最初の店には8㎏の安い小間切れ:レバー、|肺≪フワ≫、骨などを注文した。
2番目の店にはポテト、カボチャなど安いが嵩のある物を注文した。
私は彼らにすぐそれを届けてほしいと頼んだ。:
この様にして、私は一時的にだが、アーティチョークの空腹を満たす事ができた。
後で、私は最終的な解決策を見つけることができるだろう。

アーティチョークと私が食べ物の供給を待つ間にも、彼らはかじり続けるのだった。
彼らが物をかじる時に発する音は、(マッチを連続して振る奴なんかいないのだが)マッチを振るような音で、もう一方ではアーティチョークはずっと四六時中続けてかじって、齧って、いた。
彼らは残っている家具をかじり続けた:彼らは木の部分を呑みこみ、陶器や金属やプラスティックの部分は捨てていた。

私は思った。:
「彼らが何か食べている限り、私は安全だろう。」
そしてその後、突然:
「ツー・フレンドは何をそんなに手間取っているのだろう?」

 そして、ドアのベルが鳴った。
(インターフォンのブザーではなくアパートのベルだ):
それは私が大嫌いな長いイラつく音で鳴った。
私の動きを察知して、アーティチョークがバネの付いたロックを押して、ゆっくりとドアを開けた。

廊下の暗い背景を背にして、開口部を通して白いエプロンを付け、白い帽子をかぶって両手で藤編みの籠を持った太った使い走りの少年が現れた、その少年は私が何度もツー・フレンド市場の前の通りを掃除しているのを見かけたことの有る少年だった。

                                                           <7>

100㎏近い体重の20歳の黒髪の若者は、一瞬私に声かけるべきか入るべきか躊躇した。
彼にできることは他に何もなかった。:
ほんの数秒の内に彼は40から50のアーティチョークからなる、効率的に良く伸びる緑色の蜘蛛の巣状の物に取り巻かれた。
彼は叫び声をあげることも両手を動かすこともできなかった。
彼の眼と喉と口は半ばアーティチョークで窒息し、生きているのか既に死んでいるのか私には分からないが、彼は羽根のように軽々と食堂の中央まで引きずられ、そこで鬱蒼と茂ったアーティチョークが、市場からやって来た太った少年を、藤製のバスケット、ポテトやカボチャ、レバー、肺臓、骨と一緒に彼らのやり方で突き刺して食べるという仕事に取り掛かったのだった。

 彼の大きな体の上を走り回っているそのイメージは、私に、赤蟻たちがゴキブリを生死にかかわらず、分解しているのを思い起こさせた。

 これらのアーティチョークがお使いの少年を摂取している間にも、他のアーティチョークはアパートのドアをロックして私が近づけないずっと遠いところでガードしているのだった。

 だから、私はまだアーティチョークのいない場所、浴室に閉じこもった。
私は金属のボルトをしっかり掛け、その後、彼らをやっつける早急な方法を考えつこうと浴槽の端に座った。
神経が高ぶっており、考える時間もない中、思いついた最善の策は火を起こすことだった。
しかし何を使って?
既に、そこには可燃性の物はほぼ何も無かった、私の家は無機物の金属類の骨組みだけだった。

 これと、同様の考えは結局は無駄だった。
最良の事は、全然考えないことだ、と、自分に言い聞かせた。
そして待つことだ。
風呂桶の隅に座って、待つことだ。
洗面台、鏡、タイル......、見慣れたものでありながら、あまりに興味をそそられないものを、愚かなほど注意深く、観察した。. . .

 アーティチョークは既に浴室のドアに20か所の異なる場所に穴をあけてかじり始めていた。
直ぐに20か所の狭い開口部が開き、突然、20個の鈍い緑色の頭が私に向かって前進してくるだろう。

                 <8>

 私は待っている。:諦めるでもなく、受け身でもない。
私はタオル掛けを引きちぎり、棍棒のように握っている:
戦うことなく諦めることはしないだろう。
;最大限のダメージを与えるつもりだ。

 私は一番最初に言った事を繰り返す:
私は多くのことを学んだが、まだアーティチョークの習性については多くの分からないことがある。

              完

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