“The Cat's Table” by Michael Ondaatje (2)

“The Cat's Table” by Michael Ondaatje (2)https://www.newyorker.com/magazine/2011/05/16/the-cats-table?utm_source=nl&utm_brand=tny&utm_mailing=TNY_Classics_Daily_111820&utm_campaign=aud-dev&utm_medium=email&bxid=5d511f1405e94e04fb17fc64&cndid=58111023&hasha=147479763ad381df1ed7045869a00456&hashb=4afa6b7c3f7259e2335fe0c08783cef1005dd06f&hashc=1b8c6d4e670158ff22e0cd86e73dbbb16c3c128f61c53e0d761b254de4dd11c0&esrc=NYR_NEWSLETTER_TheNewYorkerThisWeek_217_SUB_SourceCode&utm_term=TNY_Classics

(2)
時にはベッドの上にあるライトをつけて本から描き写した世界地図を見たりした。
地名を書き込むのを忘れたので、地図を見ても、コロンボから西や北に向かっていることしかわからなかった。
 たまには、暗くなる少し前に、誰もいないCデッキにいる事もあった。
僕の胸の高さにある欄干の方へ歩いて行って、船の横を流れる海を見た。
時折、海は僕を引っ張ってゆくかのように僕の背の高さまで上がってくることもあった。
怖いと思ったり孤独だと思ったりしたが、身動きしなかった。
この感情は、僕がパッタ市場の狭い通りで迷子になった時や学校の新しい校則に自分を合わせようとするときの感情に似ていた。
しかし、どんなに怖くても、海に飛び込もうと思ったり、海から連れ戻されることを期待したりする感情が半ばするまま、じっと動かなかった。
 眠る事は、友達に会いたい少年にとっては刑務所だった。
船に日が昇るのをじりじりして待った。
寝室に横になって、ラマディンがそっとノックするのを待った。
もし僕がドアを開けないと、彼は芝居じみた咳をする。
なお、無視していると、僕のあだ名の「ミナ」をそっとつぶやく。
ラマディンと僕は階段でカシアスとおち合って、裸足で一等船室のデッキに行く。
一等船室は夜間灯が点滅して消されるまでは、朝の6時には警備員はいなかった。
僕たちは服を脱いで、金ぴかの一等船客用のプールにそっと飛び込むのだった。
 僕たちの夜の探検はいつも成功するわけではなかった。
最初の夜の探検の時、プロムナードデッキの陰に隠れて、たまたま通りかかった男の人がどこに行くのか知るためだけに、後をつけた。
僕は顔に舞台用の化粧を施していないが、その男がハイデラバード・マインドだと分かった。
驚いたことに、白い服を着て手すりにもたれているエミリーのところに行ったのだ。
ハイデラバード・マインドの影になって全部は見えなかったが、彼はエミリーの指を彼の手で包んでいた。
彼らが話しているかどうかは分からなかった。
影に身を潜めて待っていると、エミリーのドレスの紐を引っ張って、彼女の肩に顔を伏せた。
彼女は空の星を見るかのように顔を上に反らせた。
 当時、この航海が新聞で知られるようになったのは、慈善事業家のヘクター・デ・シルバ卿がこの船に乗っているからだった。
彼は2人の医者と宗教家と弁護士と彼の妻と娘、を伴って乗船していた。
彼らは上級階にいたので僕たちと会うことはほとんどなかった。
船長と一緒のテーブルで食事をする事も無かった。
宝石やゴムや不動産で富を築いたヘクターは、致命的な病気に犯されていて、彼を救ってくれる医者を見つけるためにヨーロッパへ行こうとしているのだった。
イギリス人の専門家は一人として高給をもらってもコロンボへ来て治療を喜んで引き受けるという者はいなかった。
 最初は僕たちはヘクター卿の病気を気に留めなかった。
彼が同じ船に乗っていることすらキャットテーブルの面々は知らなかった。
彼は大金持ちで有名だったので、僕たちには関係ない人だと思っていたのだ。
しかし、彼の旅行の目的を知って興味を引いたのだった。
それはこんな風に起こった。
ある朝、ヘクターが彼の家のバルコニーで友人と朝食をとっていた。
聖職者のバッタラミューが家の前を通った時、ヘクターが「マッタラバラが通って行くよ」と冗談を言った。
マッタラは「しょんべん」と言う意味で、バラは「犬」と言う意味だ。
これは洒落としては出来が良いが、適切な言い方ではない、特にお坊さんに対しては。
聖職者はこの無礼な言い方を聞き留めて、立ち止まって、ヘクターに向かって「マッタベラをあなたのところにさし向けましょう」と言った。
魔術使いでもあるその聖職者はまっすぐお寺に帰り、ヘクターを呪うマントラを唱えた。
 次の月、ヘクターが家の階段を降りていると、階段の下で彼を出迎えようとしていた彼のペットの犬が、いつもは大人しいのに、彼の首に飛びついた。
ヘクターは犬を引き離したが、犬は彼の右手にかみついた。
二人の召使いが犬を捕まえて犬小屋に連れて行った。
その朝、犬は、台所で召使いの足元で走り回ったり、ほうきを追いかけたり、明らかに変な動きをしていた。
そして最後に階段の下でご主人を待っていたのだ。
24時間後に狂犬病の症状を呈して死んでしまった。
つまり、それまでに「マッタラバラ(ションベン犬)」はメッセージを発していたのだった。
コロンボ7地区の著名な医者が一人ずつ診察にやってきた。
結局、ヘクターは英国行の船に乗る決心をした。
彼は、コロンボの医療が村の魔術や占星術を信じているのとは違って、ヨーロッパの進歩に信頼を置いていた。
彼はパイプウニに足を刺された時におしっこをかけると痛みが消えると言うような民間療法を知って大人になった。
狂犬病には棘リンゴ(シロバナヨウシュチョウセンアサガオの実)を牛のションベンにつけたものを砕いてペースト状にして飲むように言われた。
その24時間後、冷水浴をしてバターミルクを飲むように言われた。
田舎はこんな治療法だらけだ。
10のうち4つには効いたが、彼には効かなかった。
 僕たちはコロンボ港を出港するときの、大富豪がストレッチャーに乗せられて、タラップから運び入れられるのを想像した。
実際にそれを見たかどうかは別にして、僕の心から消し去ることはできない。

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