約束という名の担保
ずるいだろうか。
私はいつも、ちょっとだけ遠い日の約束をする。
一週間後だと近いし、一か月後だと遠くなる。
だから、だいたい2~3週間後に約束を入れる。
例えば。
いっしょにおでかけする約束ができると、ほっとする。
少なくとも、約束した日までは今の関係性でいられるから。
“その日”が来るのは楽しみで仕方がない。
あれをしよう、これを食べたい、ここにも行こう。
とっておきの日を過ごせるようにたくさん調べたりもする。
でも一方で、この時間がずっと続けばいいのに、
いっそのこと、その日が来なければいいのに、とさえ思ってしまう。
自分勝手とはわかっていながら、その不安はぬぐえない。
こんなことを正直に伝えたら、わかってくれるだろうか。
それとも、あきれられるだろうか。
ただ「馬鹿だなあ」と笑ってさえくれれば、救われるのに。
私は弱虫でずるいから、「約束」することでつなぎとめようとする。
「約束」という名の見えない糸に絡まって、うまく身動きがとれなくなっているのは自分なのだと薄々気づきながら。
約束をしなくなったとき。
ほっと安心するのだろうか。
それとも空っぽになってしまうのか。
自由になったと身軽に感じるのかもしれない。
それを確かめる日は、まだまだ遠そうだ。