8月31日の夜に
8月と9月をまたぐのは、なんでこんなにも「隔たり」を感じるのだろう。
8月31日も9月1日もさほど変わらない一日を過ごすだけだとわかっていながら、こうして今日も、ずるずると8月31日を引っ張ている。
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考えてみれば、私は何かをまたぐのが苦手だ。
年をまたぐのも、月をまたぐのも、日をまたぐのも
なんなら家を出るのも、ずるずると引っ張てしまう。
日をまたぐ前にお風呂に入ってしまえば、食器を洗ってしまえば、
彼からのメッセージに返信してしまえば、電気を消してしまえば、
いろんな「~してしまえば」を試してみたけど、大して効果はなかった。
それは大人になって始まったことではなくて、
学生の頃も本気を出せば2時間で終わってしまう数学の課題の残りや
読書感想文、一言日記の天気を書くスペースなど
たいてい何か1つ、終わりそうで終わらせないものを残していた記憶がある。
終わってしまうのが怖いから?
始まってしまうのが面倒だから?
変わってしまうのが嫌だから?
いろいろ考えてみたところ、それはきっと、
「変わることを強いられている、ような気がする」からじゃないかって、最近思うようになった。
変わらないものがあれば安心するし、そこにいれば安全だ。
一方で、誰に求められているわけでないのに、「変わること」や「進むこと」が正義なのだと言われているような気がする。
そして、一番そう強いているのは、他の誰でもない、自分自身なのだとも。
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きっと明日の朝になれば、いつも通り支度をするし
むしろ今日の夜をずるずると引っ張ってしまったことに、後悔さえするのであろう。
それでも私は、まだ洗濯物も干していないし、こうして今もパソコンの前に座って文章を書いている。
これは私の小さな反抗なのだから。