わたしは餃子に恋をした「餃子の王さま」(浅草)
「ここの餃子、すっごく野菜食べてる〜って感じがするんですよ」
そんなこと言われたら、食べるしかないじゃん。美容室で読んだBRUTUSが餃子特集のせいで、わたしの腹はすっかり餃子っ腹になっていた。そんなわたしは万年野菜不足だ。
王さまとの出会いは3ヶ月前。その一度しか食べていないのに、あの味を忘れられずにいる。そしてカメラロールに残された数枚の写真と記憶を頼りにこれを書いている。
私にありがちなことなんだけど、本当に美味しいものに出会ったときは決まって写真が少ない。
断片的なシーンと、思い出だけ。忘れられない恋に似ている。というか、これはもう恋かもしれない。
本当は別の餃子屋さんに友人と行くつもりだったんだけど…まさかの店休日だった。
「どこいく?」
「お腹すいたから食べられればなんでもいい」
そんなことを口走ってみたが大嘘だ。なんでもいいわけない。わたしの胃は餃子以外、受け付けなくなっていたんだから。
で、冒頭の「すっごく野菜食べてる〜って感じがする」餃子屋さんに変更した。
それが「餃子の王さま」だった。
地元民もヘビロテするというこのお店。「餃子の王将」の系列…?とずっと勝手に勘違いしていたけど、創業は昭和29年。餃子の王将は一号店が昭和42年らしいので、それより昔からある。
王さまだけあって、謁見するには並ばないといけない。10人くらい並んでいたが、これでも少ないほうらしい。さすが王さま。
あまりにもお腹が空いていたので、炒飯も注文した。このお皿。いかにも町中華って感じ。余計に食欲をそそる。
レンゲを入れると、今までよくまとまってたなと感心するほどにパラリとほどけるお米たち。絶妙なサイズの具材と、これまた絶妙な塩梅のお米が口の中で再会する。こうなる運命としか思えないほどのマリアージュ。洗練された炒飯。餃子が王さまなら、この炒飯はお妃さまかもしれない。
これにて謁見のためのご挨拶は完了。
そして「王さまの餃子」に晴れて謁見。もっとダイナミックなのかと思いきや、小ぶりで綺麗に整列している。なんともお行儀がいい王さまたちだ。ここまで整列していたら、端から食べる以外に許されない。
カリッとしっかり揚がった皮は、取るときにお隣の皮がくっつかないのがいい。今どき餃子だってソーシャルディスタンスを保ったほうがいい。何を言ってるんだろう、わたし。
中には細かい野菜がたっぷり。「すっごく野菜食べてる〜」の意味が一瞬でわかった。ニンニクマシマシのコテコテではなく、肉汁ジュワ〜系でもない。焼けた肌から想像できないほど繊細で、品のある餡。いくらでもいける。
いつもならこのあたりで断面の写真を挿し込むだろう。しかし挿し込める写真がない。そのくらい、夢中で食べていたから。
「みんなで分けるから」を言い訳に多めに注文したことは言うまでもない。ただ3ヵ月後、こうやって思い出して恋文を綴っているとは思わなかった。浅草に来たら、ぜひ一度は謁見してほしい。
この日から、わたしは餃子に恋をした。
餃子の王さま(浅草)