骨折
とうとうやってしまった。私ではなく、小学生の娘なのだが。
娘はどうやらその日、サルコウジャンプを練習していたらしい。着地失敗しちゃったの?と聞いたら「ううん、着地どころか、飛び上がろうとした瞬間、前のめりにすっ転んじゃった」なのだそうだ。なんでやねん。すっぽ抜けってやつだろうか。
まだ体が小さく軽いので、いつもは転んでもアザ一つできずにケロっとしているのだが、この日は手首が痛いと泣いていた。しばらくアイスパックで冷やしていたのだが、青アザも腫れもないし、親の私は、あーもう大丈夫、大丈夫、なんて言っていた。でもクラブのスタッフに、「子どもの怪我って分かりにくいから、念のため病院で見てもらった方がいいかもしれませんよ?なんともないって分かるだけでも安心するし」と言われて、それもそうだと、念のためかかりつけ医(GP)に連れて行った。かかりつけ医も「念のためレントゲン撮っておきましょう」と言うので、レントゲンを撮った。
ちなみに、私がいる南半球の国は実はコアラの国なのだが、ここは医療が完全に分業制になっていて医者と検査機関が別れているので、一箇所ですべてすませることができずに、ちょっとめんどくさい。こちらの医療システムは日本とはかなり違っていて、どんなことでもまずはかかりつけ医に行く。自分で直接、耳鼻科や眼科、整形外科に飛び込んだりすることができないのだ。そしてかかりつけ医に行ってから、さらにレントゲンやCTは専門のレディオロジーの検査機関に、血液や尿検査はパソロジーと呼ばれる検査機関に行かなければならない。それでも、レントゲンくらいならその日にすぐやってくれるし、かかりつけ医もレントゲンもすべて国民保険で無料でカバーされているので、文句はないのだが(その代わり税金が高い 涙)。
かかりつけ医はある意味やり手の手配屋みたいなもので、状況を判断して、内科の診断以外はすべて紹介状を書いてその道のスペシャリストたち(専門医)に患者を送ってしまう。だからレントゲンの診断も、まずはかかりつけ医に診てもらってから紹介状を持って検査に行かなければならない。検査は専門の機関で専門の技師がX線写真を撮り、専門の医師がきちんと診断して、結果をかかりつけ医に報告する、という流れになる。これは一見まわりくどくて面倒なシステムなのだが、その代わり、専門医は細分化された自分の専門の分野の患者だけを診るから専門の知識を磨いて精度の高い診断や処置に専念することができるし、かかりつけ医はそれぞれの専門医の診断結果やその人の病歴をすべて把握しているから何かあった時に総合的に判断することができるのだ。
そして何かあったら、何でもいいからとりあえずかかりつけ医に行けばいいのである。これは整形外科かな、どこの整形外科がいいのかな……などと自分で悩む必要はなく、かかりつけ医がケースごとにどの専門医に診てもらえば一番良いのか判断して、紹介してくれるのだ。ちょっと高いが予約がとりやすくて最新の設備のあるクリニックだとか、予約がとれるのは数か月先だけど有能な専門医だとか、画質は低めだけど無料でエコーをやってくれる検査機関だとか、医療業界にもやはりいろいろあるので、希望を伝えれば適切な相手を選んでくれたり、どんな選択肢があるのか教えてくれるのである。これは便利だ。
そして、その日の夕方にかかりつけ医(実はママ友)からX線検査の結果について電話があった。「buckle fracture(ひび)があったから、すぐに固定した方が良いと思うよ。もう夕方なので病院の救急(公立は無料で数時間待ち、私立は待ち時間が短いが有料)に飛び込むか、明日まで待って私立の〇〇クリニック(有料だが有能)に何とか当日予約を入れてもらってね」とのこと。この時点まで、「念のためいろいろ検査しとくけど、どうせ大したことないだろう~」と思っていた私は、頭からさーっと血の気が引いた。うわ……ひび入ってたか……。あぁぁぁぁ念のために診てもらっておいて良かった!
結局、その日の夜は私がいつもローラースケートで使っている手首のプロテクターをつけて手首を動かさないようにして寝かせて、翌日私立のクリニックに連れて行くことにした。アイスノンも手の位置に置いておいたが、寝返りをうったらどこかへ行ってしまいそうな上に夜中に溶けてしまうだろうし、痛みが少しでもやわらぐかな?と冷湿布もしておいた。湿布は少し前まで日本から持ってこないと手に入らなかったのに、最近はこちらでもどの薬局でも買えるようになった。ママ友なかかりつけ医に「湿布ってどう思う?」と聞いてみたら「したいならしてみれば?」とのこと。湿布文化のないこの国の医師としては、湿布という物体はまぁ別にたいして可もなく不可もなし、という感じなのかもしれない。
そして翌日。朝イチで〇〇クリニックに電話した。最初は明日まで予約が取れないと言われたのだが、受付のお姉さんに「じゃあ明日までこの手首のプロテクターしておけばいいかなぁ。それとも公立病院でとりあえずやってもらって、明日そちらにお邪魔した時にもっといいギプスにやり直してもらえばいいかなぁ」などと相談しているうちに、「よし、分かった。じゃあね、今朝10時半の予約に押し込んであげるから!」と男前な判断をしてくれて、その日にギプスをしてもらうことができた。あぁ、お姉さんありがとう!
余談だが、ギプスっていうのはどうやらドイツ語らしい。英語では cast と言って、アメリカ英語だと「キャスト」イギリス英語だと「カスト」になる(コアラの国ではカスト)。べりべりっとマジックテープ(英語:ベルクロ)で着脱できる固定器具は splint(スプリント)だ。
うちの娘はスプリントではなくカストの方、つまりギプスをつけることになったのだが、最近のギプスってすごいことになっていて、ものすごく驚いた。専門医が技師に「この子、ギプスお願いね」と言って引き渡してくれた後、技師のおじちゃんが数種類のギプスを持って来て「どれにする?」と聞いてくるのだが。無料の昔ながらの白い石膏のギプス。肌に触る部分には柔らかい布+ファイバーグラスのギプス。そして肌に触る部分は柔らかいガーゼのような質感のプラスティック繊維を使ったウォータープルーフのファイバーグラスのギプス、などがあった。ファイバーグラスのものなんて、赤、黄色、緑、青、黒と色とりどりの見本が並んでいる。
ギプスはとにかくお風呂が本当に大変なので、ちょっと高くても迷わずウォータープルーフのギプスを選んだ。120ドル(1万円くらい)だった。このギプスなら、シャワーやお風呂のあと屋外で20分、屋内なら40分~1時間くらいですっかり中まで乾いてしまうし、なんとこのままプールに飛び込んで泳いでもOKなのだそうだ。すごい。これから夏を迎えるこの国ではギプスの中が蒸れてきてかなり不快になりそうので、ざばざば洗えるのはかなり嬉しい。ただし、皮膚の弱い人には向かない素材なのだそうだ。
娘は、ギプスで固定してもらった途端に痛みが全くなくなったそうで、今はほぼこれまで通りの生活を送っている。ただし、バイオリンが弾けなくなったのでしばらくレッスンを休まなくてはならなくなったし、学校の吹奏楽バンドでトロンボーンを吹いていたのだが、こちらもしばらくお休みだ。バイオリンは市の青少年オーケストラみたいなところにも所属しているのだが、来年のためのオーディションが終わった直後だったので本当によかった。オーケストラのバイオリンって、上手い人順に座席が決まっていく、なかなかシビアな世界なのでね。
ローラースケートも、ギプスが取れるまで休みます、と連絡しておいた。ところが昨日、どうしても私も行きたい、とごねるのである。数日休んだだけで、もう滑りたくて仕方がないらしい。うちのオットに「私はしばらく休んだ方がいいと思うんだけど」と相談したら「転んで痛い思いをしたのに、怖がるどころかもっと練習したいという気持ちになったのは、大切にしてあげた方が良いんじゃないか。馬から落ちたら、またすぐ馬に乗れってことわざもあるし(Get back on the horse)。ただしジャンプとスピン練習はしばらく禁止。絶対にまた転んで悪化させないように注意すること」ということで、条件付きで練習を再開させることにした。
クラブに連れて行くと、みんなが「俺も昔、ナショナル(全日本みたいなやつ)の前に膝にヒビ入っちゃってさー。でも悔しいから結局出たよ」とか「私も去年、手首にギプスしたまま試合出たよー」などと言って、娘を励ましてくれた。うちの娘はまだ試合に出るレベルじゃないので、そこまで無理して頑張らなくてもいいんだけどな、とは思いつつ、みんなの話を聞いてスポーツに怪我はつきものなんだなぁと思い知る。実は私も、怪我をさせてしまって、親としてかなり落ち込んでしまっていた。「もうローラースケートなんて、危ないからやめさせた方がいいのかな」とも考えた。でも、みんなが娘を励ます様子を見て、私までちょっと気が楽になることができた。それに、無気力でゲームばっかりやっている子どもに育ちがちなこの時代に、何かを怪我してでもやりたいと言う娘の気持ちは、オットの言う通り大切にしてあげなくちゃいけないよなぁ。レッスン中に、コーチが娘に簡単なジャンプだけやらせようとしたら、ボスが出てきて「治るまでジャンプ一切禁止!」って忠告してくれる場面などもあって、安心してよさそうだし。
ただし、今後は見た目がなんだろうが、プロテクター重装備でいってもらうことにする。
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