傲慢な自分に気づいたら親への見方が変わる
以前からずっと、親との関係について思うことをたくさん書いてきました。
良いことも、悪いことも書いてきたし、恨み言も書いていたと思います。
親に対する有り難みは冷静に考えればわかるものだったりしますが、感情的には許せない人の方が大半だと思います。
少なくとも、衣食住を用意してもらって、遊んだり、旅行行ったり、勉強したり、習い事したりでたくさんさせてもらってきた人も多いはずなのに、なぜか感情的には許せなかったりします。
50代、60代になっても自分の親に対する嫌な気持ちが離れない人がいたり、介護問題になってから、隠れていた憎しみが湧いてくるということすら聞きます。
憎しみが湧いてくるということは、相手に対して明らかに怒っていて、更にその気持ちが子供の頃から放置されてきたという証拠です。
望んだことが叶わないことで怒る→傲慢になる
私は完全に両親に怒っていましたね。
小さい頃は正直お姫様扱いされて育っていたので、段々幼稚園を卒業して、小学校に入ると、その感覚で過ごしていたら浮いてきてしまいます。
幼稚園までは、たまにルールを破って行動していたって「しょうがないよね」で終わっていたことだったのに、小学校に入ると怒られます。
親もどんどん私の世話を疎かにしてきたり「〇〇やっといてね」と頼まれごとというのか、「一人でやって」が増えてきます。
今まではやってきてもらって、甘えていたのに、
「なんで今まではやってくれていたのに、今はやってくれないの?!」と怒っているみたいなんですよね。
私は少なくとも怒りまくってました。
「ママとパパがそういうつもりなら、もう私は大学に入る頃にはきっぱり家を出て行ってやる!!」と拗ねまくっていた小学校5年生の頃をよく覚えています。
小5になるまでに何度も怒られることに納得できずに、怒っていたことがあり「ママもパパも話が通じない」「私の気持ちを理解してくれない」「私のことは嫌いなんだろう」みたいに思ってました。
優しくされたり、気を使われると逆に白々しく思えてきて
「そんなことしていらん」と拗ねまくっていたことも多いですね。
結果的に、何をされても不満だし、気に入らないし、私の気持ちを理解しようとしない親が悪いという被害妄想の傲慢な自分の出来上がりです。
親に怒っている間は全部が文句・嫌味・無神経な態度に見える
親の何を見たって、腹は立つし、口を開けば文句に感じるし、アドバイスや心配は嫌味に聞こえるし、何しても無神経に感じます。
今でも過去でも、嫌いな人をイメージするとわかると思いますが、その人が何をしても腹が立ってくるじゃないですかー。
そういうことですよね。
親が何しても腹が立つし、私を攻撃してくるし、貶したり、自信を喪失させるようなアドバイスや心配されて「余計なお世話」と思ったこともたくさんあるはず。
結局見る側の視点にまず問題があるし、自分の怒りや未消化の気持ちを堪えたままで親を見るからもっと腹が立ってくるという話なんですよね。
7つの習慣とかでも書かれている通り、事実に対してどう認識するかで、現実はゴロっと変わるにもかかわらず、小さい頃の記憶も怪しい時代のことを明確に思い出せないから、長年自覚がないままその歪んだ認識を持ち続けてしまうと言うことなんですね。
母親とかなり和解できた
完全に和解できたかは、会って過ごさないとわからないことですが、母親にもこのことを話して「私めっちゃ怒ってたわ」と伝えました。
今までツンツンイライラしてたことが多かったですけど、自分が怒っていたことに気づいたら、素直になるのも難しくないんだなと思いました。
色々してもらっていたし、迷惑もたくさんかけていたし、他の兄弟以上に気にされていたと思いますが、めちゃくちゃ母親が鬱陶しく感じていましたし、確かに過干渉でした。
ただ、私も母親に過干渉になられるくらい、母親の行動や発言のほとんどに腹を立てて、気に入らないと思っていました。
嫌いな人が近くにいると、めっちゃソワソワしたり、気になったりするじゃないですか。母親は私が嫌いなわけではなかったけれど、私が母親を気にしているように、私を気にしているので過干渉になるんですね。
とりあえず、母親の気に入らないところはめっちゃ紙に書いて、「母親なんだからもっとこうしろ」「あの時私に嫌な思いさせた!」とか思いつくだけ書きました。
その後でやっと「めっちゃ凝った手料理作ってもらってたな」「めっちゃ私の習い事に時間割いてもらってたな」と自然と思えるようになってきました。
大人になったら、子供の頃には気づけなかったことに気づけるようにもなりますし、親の意図と子供の頃の自分の感情が食い違って勘違いしていただけだったかも?とか、親には親なりの事情や考えがあったのかも?と考えれば、親が必ずしも全部悪いし、私が被害者だとは思わなくなるはずです。
「自分を大切にして」という欲求が満たされないと・・・
誰でも「私を大切にしてほしい」って思っています。
丁寧に扱われない、好意的な反応が返ってこない、嫌なことを言われるのは全部大切にされていないと感じますね。
親が怒ることも、他の大人に怒られたり、友達にいじめられたり、何かしら大切にされなかったと思う出来事があるから、それを相手に責めるか、自分自身を責めて自傷したり、自殺願望さえ持つことがあります。
その上、大切にしてもらえていないという不満から、よっぽど物理的被害を与えてくる相手でなければ、反抗的になったり、攻撃的になってしまうし、思っていても言えず、心の中でいつも不満を抱えてしまうことになります。
でも、その「大切にしてほしい」という欲求を他人に求めていると、「どうして大切にしてくれないの?!」と怒り続けることになりがちです。
「もっと大切にしてよ!」と怒っているから、他人もまた責められていることに「大切にされていない!」と不満を感じて、嫌な態度を取られてしまうという残念なことになってしまいます。
泣きっ面に蜂とはよく言いますが、嫌なことがあって心が荒れている時に更に嫌なことを言われたり、されることって経験したことないですか?
私は昔よくあったので、相手を責めまくっていたんだと思います。
こうやって、怒って、大切にしろって責めるということは、他の人をコントロールしようと思っていることでもあるし、上から目線のつもりはなくても上から目線になってしまうんですね。
相手をコントロールしようとして、更に見下ししている(相手の自主性を奪っている)ので、やっぱり同じように「責められる」ということをされて、ずっと大切にされることができなくなってきます。
相手を責めなければ大切にされてくる
親でも、誰にでも同じことで、相手に対して怒って相手を責めたり、逆に自分責めをしている人は、その怒っていて傲慢になっている自分に気づいた方がラクになります。
相手を責めることで得られることは、思った結果ではなく、同じように責められる(大切にされない)という結果です。
そうやって自分が傲慢になる、勝手な被害者意識を高めることを繰り返していると、良いことも悪いことも全部を跳ね返して「私にはそんなものいりません」と言っていることと変わらないので、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いと言えるくらい、なんでも全てが悪いことのように思えてきます。
大切にされていたこと現実には起こっていたのに、そういう大切にされてきたことに気づかないということも大きな勘違いです。
自分の認識というものは、絶対ではないですし、今までの「〇〇とはこういうものだ」と思っていた認識は変えることができます。
自分が子供の立場から、親の立場になって「親に対する認識が変わった」と思う人がたくさんいるように、自分が気づかなかっただけで、いろんな捉え方、認識の仕方があるんだとわかれば、自分の思い込みが嬉しい出来事すらも気づかせなかったんだとわかるかもしれません。