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恋愛における合う相手の正解

今更ながら、私は今までどうやって人と付き合ってきたのだろうと思うくらいにご無沙汰感です。

実際は約1年半前、2年前には(一瞬だけど)付き合った人がいたのですが、どっちも2ヶ月、3ヶ月ほどで別れています。
どっちも別れる時には「これは無理」という決定打があったので、むしろ慎重に考えて、その人たちとは付き合わなければ良かったなと思うくらいです。

欠乏を埋めるための恋愛

それより更に前の過去の恋愛に対して思うのは、寂しさを埋めるための依存的恋愛だったなということ。

それまで両親との関係も悪く、暴力や心無い言葉にとても傷ついていたので、自分に対して「消えたい、死にたい、役立たずで邪魔」と思っていた期間が5年以上はあったと思います。

その影響もあって、思い出すと結構最低な依存恋愛をしていたし、自分が遊ばれてるのか大事にされているのかもよくわかりませんでした。
むしろ「ボロボロに殺してくれないかな」という破滅的な気持ちだったと思います。

20歳の時に2年くらい付き合った人以降は、本当に付き合ったうちに入るのかもよく分かりません。(短期間だったり、既婚者だったり、付き合おうと言われたけど会うのは2ヶ月に1回とか、友達以上恋人未満とか)

そんな恋愛をしながら、精神ダメ、生活も大変、現状が嫌な状態で恋愛したところで上手くいかないことに気づいていました。

だから、
「これは自分で自立して、精神的な自己否定の問題を解決して、自分が納得できる仕事をして、お金に対するコンプレックスや不安を克服しないとまともな恋愛は出来ない」
と考えていました。

幸せな恋愛というのか、気持ちが落ち着いて穏やかな状態で誰かと過ごせる時間を作りたいという思いがあったので、結果、仕事を変えたり、自分の思考や環境を分析することに注力していたわけですが。


そして今、恋愛できない

今は経済的にも目先のお金に困らないくらいには落ち着いて、自営業という少し特殊な仕事をして、逆に付き合うにも同年代の男性から見た気安さはなくなったかもしれません。
むしろそこは誤算です。
(それだけの問題ではないと思いますが)

30代前半以下の男性に会う機会がそもそも少なくなりすぎましたが、付き合いたいと思う人がとても減りました。

以前はちょっとしたことで「良いな」と思いがちだったかもしれません。
自分に自信がなかったり、私に足りないものを他人に満たしてもらうことや、足りないものが欲しいという気持ちだったから、簡単に好きになりやすかったのかもしれません。

彼氏が最低なのに別れない女性って一定数居ると思うのですが、私も似たような状態だったのでその気持ちが分からなくないです。

冷静に見れないし、自分の負い目が同じくらい有ると思ってるので「私はそういう扱いをされるべきじゃない」ってハッキリ思えないというか。

話が逸れましたが、よく言われるように、
自分の目線が変わると、結果的に付き合う男性が変わるというのもそうだと思いますし、見る目変わるんだなと実感しているところでもあります。

だけど中には、
なんか分からないけど良いなとか思う人も居ます。

そういう人と付き合いたいけど、自分の中で何かブレーキが掛かるようになってしまってます。
単純に傷付きたくないとか気力が足りないだけかもしれません。

面白そうで付き合ってみたら数ヶ月で別れた人が2人も居ますけど、それから尚更人として大事な部分が出来ているかは見るようになりましたし、それなりに友達的に付き合うのが大事だなと思うようにもなりました。

あるいは、自立したら自立したで、学生時代にはなかったお互いの社会的立場とか、仕事や力関係、社交辞令も考慮し出します。

そんなこといっそ考えない方がラクかもしれませんが、なかなか難しいのです。


付き合う人を選ぶのが難しい

丁度昨日、芸能人のバービーさんが年下の教育関係のサラリーマンと結婚した報道がされていましたが、私は心底驚きました。

芸能人と一般人の結婚もそれなりに難しいとはおもっていますが、全然仕事や性格の違うタイプの人と結婚するのは、正直なところ難しいと思うからです。

生活スタイルの違いや価値観の違い以上に楽しく一緒にいられる何らかの要素があるのかもしれませんが、ネットなどでの繋がりでなければ日常で接点などあり得ない人だと思うのです。

それでも一緒に居ようと思える人に出会えたのは良かったねと思うばかりです。

でも、日常で接点のある人と付き合ったり結婚する方が一般的です。

マッチングアプリなどが流行っていたり、ネットで知り合う事は0ではないですが、
共通の知り合いも居ない、会社や住んでる環境、お互いの生きている感覚・価値観が違うことが多く、趣味などよっぽど好きなものが合えば付き合ったり結婚している人がチラホラいるなという程度。

人は自分と似ている部分が有ると感じるほど、親近感が湧きやすいのですが、全然生活が違うと多くの場合は「素敵だし凄いけど一緒に居るのは無理かも」ということにもなりやすいです。

だから全然生活が違うし、住んでる環境も価値観も違いながらも、一緒に居られるということは、違いを楽しめるなどの実生活では中々感じにくい目に見えない要素が2人の関係性を繋いでいることになるわけです。

確かに過去振り返っても、全然価値観も行動もキャラクターも違うけど、何故か仲良くいられて気兼ねない人はいました。

つまり、人間関係には偶に目に見えて分かりにくい性格や価値観、生活環境や趣味の一致以外の要素で、仲良くなったり、楽しく過ごせる人が居るということだと思います。

人の縁とはそういうものだと言われたらそれまでですが、似ていることや性格や目に見える価値観が全てではないのですね。

そんな事をニュースを見て思ったりしました。

合縁奇縁

今、付き合っている友達や仕事で繋がりのある人は全員途中で関係が切れてもおかしくなかった人だと思います。

人にはタイミングや偶然というのがよくよくあって、今一番信頼している方も以前の仕事先の事務所がその人のオフィス近くに無かったら、多分接点も薄いままだったかもしれません。

長年の友達も1人は考え方の違いをお互いに受け入れきれなくなって連絡も取らなくなったし、
高校の時からの友達も正直めちゃくちゃ仲良いとは言えないですが、お互いの付き合い方とか距離感的にラクだから、全然仕事も性格も違うけど付き合えてるのかなと思います。

勿論運良く出会ったなと思っても、良くない人とか惰性で付き合ってる人も中にはいるだろうし、付き合う人の断捨離とか一時期流行った記憶もあります。

繋がった縁に対して、時には付き合い続けるのかという判断は必要にはなりますが、
お互いがお互いに関心を持ち合って、そばにいることが楽しみや心地よさであるなら良い関係だと思います。

何の共通点もなくても、なんとなく一緒にいられてお互いに知らないことを分かち合える人というのは存在するかもしれないと思います。

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心理分析大好きみなみん
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