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5.ショパン♡ラジオ ショパン17歳の悲劇 番組備忘録.裏話♬


ショパン好きにもあまり知られていないエピソードや、ショパン全曲を作曲順にご紹介♬埼玉県本庄市の中華料理ちゃいなちゃいなのみな美がお届けしているラジオ番組の備忘録です♪


🎼番組裏話 はじめ♪ᵕ̈*⑅


今回、一番の心配事は、ヤン.ビャウォブウォツキを噛まないで言えるか…🤣でした




ショパンの時代にピアノがどんどん改良されていくのですが、ピアノ以外の鍵盤楽器も色々と作られているのには驚きました。

結局幻の楽器になってしまうのは、ピアノに勝るもの出来なかったということなのか…

エオロパンタレオン、エオロメロディコンは調べたら堂々巡りしてしまって、はっきりしたことがよく分からなかったのです

色々と調べた結果、パイプオルガンとリードオルガン、そしてハーモニウムの音の仕組みが分かるようになりました😂



ショパンの3人目の先生、本によってヴュルフェルかヴェルフェルで、どちらが本当なのか、どちらでもいいのか、よく分かりませんでした

載っていない本の方が多いということもあるかもw

それでもヴュルフェルの方が多いから、こちらが正解で、もしかしたら「エとユ」は似てるので書き間違えたものが広まっていってるのかもしれませんw
ウィーンの話になったらまた登場すると思うのでヴュルフェルって紹介しようかな。ヴェルフェルは無かったことにしてwww🤭



ヴィルヘルムとのエピソードはホント好きなのです。一緒に観に行ったオペラの曲を間に入れて作曲してプレゼントだなんて…信じられない。サプライズですよ、まさに。
フリデリク、イケメンすぎる。
それもサラリと…あ、これは私の想像ですww

別れのポロネーズ…名前だけ聴くと悲しい曲なのかと思ったら、素敵エピソード✨️

だけど、フリデリク.ショパンだからこそ成り立つ、OKエピソードだけど…自作の曲をサプライズプレゼントとかw



温泉療法の時のエピソードが、
時間無くてカットしたので、これはラジオで今後話そうかなと♪



そして今日のメインディッシュ!
ヤンとエミリアの話🥲
これはもっと数々の伝記でクローズアップしてもらいたい話ですね
エミリアについては、まあまあ書かれているけど、ヤンは本当に少ないので

エミリアが受けたトンデモ治療法が怖すぎる😱ジョルジュ.サンドがショパンにしてくれたような、休養と栄養を中心とした治療法だったら、もっと長く生きられたのかな…などとも考えてしまいます



ヤン宛のフリデリクの手紙の発見は1922年で、発見の経緯が大変興味深いのです。

ロシアに対する反乱が起きた時に、
ヤンの継父のアントニ.ヴィブラニェツキが政治犯の疑いをかけられて逮捕されて(因みに、シャファルニャのドミニク.ジェヴァノフスキの父親も同じ時に逮捕されてしまう)

ロシア当局が家宅捜索して文書類を押収。
「ヴィブラニェツキ本人の手紙」、「家族宛のヤンの手紙」などに混じって、
なんと「ヤン宛のフリデリクの手紙」も押収されたのです!

その場では手紙内容まで確認せず、片っ端から押収されただろうから、フリデリクの中二病的な手紙がロシア当局にwww恥ずかしいぞ、これは。

ヴィブラニェツキは容疑を否認していたけど、捜索の途中で結核で亡くなります…もぅ、当時はいつもコレ…容疑晴らしてあげて欲しい

ですが、コレが本当に世界中のショパンファンにとっては、巡りめぐって不幸中の幸いというか…

捜査対象が亡くなってしまった為に、押収した文書類の帰る場所が無くなってしまい、1922年になるまで、ロシア当局の管理下に置かれていたのです✨️捨てないでくれてありがとう!

ショパンの手紙は贋作が多いけど、ヤン宛の手紙は、公共の機関に置いてあったので、誰の改竄の手も加えられず、紛れもなく本物なのですー✨️凄い!

…これもラジオで話せば良かったなぁwww




第5回番組備忘録


フリデリク.ショパンの才能を伸ばした先生
6歳〜ジヴニー先生…音楽の基礎
12歳〜エルスネル先生…作曲法
12歳〜ヴュルフェル先生🤭
    …ピアノとオルガン(パイプオルガン)
             

1825年 15歳
ワルシャワ高等中学校のオルガン奏者を務める。これは大変名誉な事で友達(ヤン.ビャウォヴウォツキ)の手紙の中で嬉しそうに話していた。

毎週㈰に教会のミサで演奏する事になるが、フリデリクは演奏が始まると自分の世界に入り込み、延々と即興演奏をした為にオルガン奏者から降ろされた。

ロシア皇帝の前でエオロメロディコン※¹を演奏しダイヤモンドの指輪を賜る。その翌月慈善演奏会でエオロパンタレオン※¹を、演奏した。

※¹ピアノとパイプオルガンを合わせたような楽器で文献でしか残っていない歴史上の楽器。大きさ、音色、形などは不明。

ハーモニウム※²(ハルモニウム)の原型ともいわれている。

※²パイプオルガンの代用楽器(パイプオルガンは規模が大きく、場所や費用がかかる)リードオルガン※³みたいに空気を送って鍵盤に取り付けたリードを振動させて音を出す。インド音楽でも使われる。

※³小学校にあるような足踏みオルガン




1825年 15歳 
作品番号1のロンドハ短調が出版された
第6回のラジオでご紹介



1826年 16歳
フリデリクは過労により体調を崩す。7歳からモーツァルトの再来などと呼ばれ慈善演奏会や貴族のサロンに引っ張りだこで忙しく、そして作曲への意欲も高まり毎夜遅くまでピアノを弾き、作曲していた。学校の勉強も複雑になり、フリデリクは小さい頃から虚弱体質であるのに無理な生活をしたため体調を崩してしまった。

学業と音楽の両立が難しくなり、ワルシャワ高等中学校からワルシャワ音楽院に転校した。それにより作品数も増え、音楽家としての成長をみせることになってきた。




1826年 春
3歳下の妹エミリアの病気が悪化し、医師から温泉療法を指示される。同じ頃にフリデリクも体調を崩していたので、

1826年 夏休み
ユスティナ母さん、ルドヴィカ姉さん、妹エミリア、フリデリクの4人で温泉地ドゥシニキへ旅行に行く。



①ポロネーズ第15番 変ロ短調
別れのポロネーズ



1826年作曲
献呈ヴィルヘルム.コルベルク
(演奏:アナトール.ウゴルスキ)

この曲の2つのエピソード
1、夏休みの温泉旅行に行く数日前にヴィルヘルム.コルベルクと一緒に、ロッシーニの「泥棒かささぎ※」というオペラを観に行き、オペラの劇中のアリア(歌手が1人で歌う所)の「さあこの腕の中に」にフリデリクが影響を受けて、ポロネーズ15番の中間部にアリアのフレーズを登場させている。
ヴィルヘルムがこの曲を弾いて中間部に差し掛かった時に、一緒に観たオペラを思い出させるようになっている。
フリデリクからヴィルヘルムへのサプライズソング

※泥棒かささぎ…実際にパリで起きた事件が題材のオペラ。カササギ(鳥)が金のスプーンを盗み、女中のヒロインが疑われ、逮捕され、処刑が宣告される。処刑になりそうなところで、冤罪が晴れて恋人と喜んでハッピーエンドという話

2、このポロネーズは
別名「別れのポロネーズ」と呼ばれている。

泥棒カササギのアリアが現れる中間部の楽譜に、フリデリクの字でフランス語で「Au revoir オ ルヴォワール」(さようなら)と書かれているから、そう呼ばれている。

「さようなら」といっても永遠の別れとか、寂しい意味合いではなく、「またね」「また会おうね」という意味の別れの言葉。

旅行前なので「旅行に行ってくるよ!またねー!」みたいな軽い挨拶で書かれたもの。

フリデリク.ショパンの意思では出版されていないので、ヴィルヘルム.コルベルクの為だけに作られたものではないかと。



フリデリク.ショパンは4人きょうだい
姉ルドヴィカ…フリデリクの3歳上
妹イザベラ…フリデリクの1歳下
妹エミリア…フリデリクの3歳下

♡エミリア.ショパンについて
文学的才能に恵まれ、幼い頃から戯曲や詩を書き、その内容も年齢以上のレベルのもので、フリデリクに次いで「ショパン家2人めの神童」といわれていた。

肖像画が1枚だけあるが、本人の物ではない説もある。性格は明るく陽気、人を笑わせる才能に長けていてとても賢く、誰からも好かれる子。

フリデリクととても気が合って、きょうだいの中でも特に仲良し。フリデリクと家庭劇場※¹を運営したり、文芸娯楽協会※²を作ったりした。

※¹劇を作り、お祝い事の時に上演した

※²フリデリクが会長で、エミリアは秘書。会員には学校や寄宿舎の友達がいて、それぞれが文学作品を創作して読み合った。

エミリアとフリデリクが合作で台本を書き、ミコワイ父さんの名前の日に韻文※喜劇を自宅のサロンで上演して好評を博した。

ショパン家のサロンにはミコワイ父さんの教師仲間が集っていたので観客も結構いたと思われる。

劇の題名は
「失策、あるいは見せかけのペテン師」
…どんな話だ😂

フリデリクが主役を演じた。台本は残っておらず、きっと劇の為にフリデリクが作曲したであろう曲の楽譜も残っていない。

※韻文…俳句、短歌、漢詩のように形の決まった文章




エミリアもフリデリク同様に虚弱体質で、10歳の頃から結核(この当時は不治の病)を患っていた。

13歳の時には咳が酷くなり、喀血を繰り返すようになり、この当時のありとあらゆる治療を施した。

•瀉血(しゃけつ)…体内の毒を抜くという考えの下、血を大量に抜くという治療法。モーツァルトの死因はこれなのではないか、とも言われている。

•数え切れない程のヒルを貼る

•トリカブトを貼る…昔のヨーロッパでは外用薬の鎮痛剤として使われていた。

•芥子泥(からしでい)…カラシを水で溶き、泥状にしたものを皮膚に貼ると痛みが緩和される。デメリットは皮膚に貼ると火傷のようになることもある。

•発泡膏…皮膚に貼って炎症を起こし水疱状のものを生じさせて身体の毒を抜く。


あらゆる治療を施したがその甲斐もなく、食事が摂れなくなってヤセ細り、1827年4月エミリア.ショパンは14歳の若さで亡くなる。

色々な治療を施し、見た目にも痛ましい壮絶な最期かと思われるが、17歳のフリデリク.ショパンはその最期に立ち会っている。

エミリアはフリデリクの弾くピアノを聴きながら亡くなったとも言われている。



♡エミリア.ショパンの残した詩2つ

1、死ぬことは 私の天命

  死は少しも怖くないけれど

  怖いのは あなたの記憶の中で

  死んでしまうこと

2、この地上 人の定めの

  何と悲しいこと

  苦しんで

  また隣人の苦しみを

  増すなどとは!

ラジオでは分かり易いのでこちらの訳を採用↓↓↓
  この地上 人の定めの

  何と悲しいこと

  私が苦しめば それが更に

  あなたの苦しみとなるなんて!

2の詩は病床で語った言葉をユスティナ母さんが書き留めたもの。
日本語ではこの詩の意味しか伝わらないが、ポーランド語だと、文末の言葉が韻を踏んでいる詩※になっていて、最期まで作品を作り続けた。

死の病床にあっても自分の苦しみよりも、残されるお母さんの事を心配している。

※エミリアの書く詩はグリーティングカードなど、小さい頃に書いたものも、2行ずつ言葉が並んでいて、文末は韻を踏むように書かれている。



♡エミリア亡き後に
作曲されたといわれている2曲

②Op.72-1 ノクターン第19番 ホ短調

1827年作曲
(演奏:マリア.ジョアン.ピリス)


③Op.72-2  葬送行進曲 ハ短調

1827年作曲
(演奏:アナトール.ウゴルスキ)
ソナタ2番3楽章の葬送行進曲とは別物

 



エミリアの最期と、フリデリクの最期がとても似ていると感じる。

フリデリク.ショパンはこの22年後に同じく結核で亡くなる。看取ったのはルドヴィカ姉さんでしたが(高齢でユスティナ母さんはパリまで来られなかった)

死の病床でマズルカ51番を横たわったまま作曲し、死の間際に発した、いくつかの言葉の一つに「お母さん、僕の可哀想なお母さん」と、残されるお母さんの事をフリデリクも心配していた。

エミリアもフリデリクも最期の最期まで与えられた才能を全うして亡くなった。



♡エミリアの墓碑に刻まれた詩
  (エミリアの作品ではない)

エミリア.ショパン

生涯14度目の春に うつろいぬ

実を結ぶ 美しき

望みを咲かせし 花の如く



フリデリク.ショパン17歳の時に、仲の良かった妹を亡くすという、とても悲しい経験をし、その1年後もう一つ悲しい出来事がフリデリクを襲う。




♡ヤン.ビャウォヴウォツキについて
ヤンは膝の骨結核という病気で(当時は不治の病)休学して、ワルシャワから200キロ離れた実家で療養していた。

フリデリクが夏休みに寄宿生のドミニク.ジェヴァノフスキの実家のシャファルニャに行った時に、ヤンのお見舞いにも行った。

ヤンとフリデリクの出会いは、ヤンは11歳、フリデリク6歳で5歳も年が離れていたが、2人には音楽と絵を描くという、共通の趣味があり、とても気が合った。

ヤンが遠く離れた実家で療養していた時は手紙のやりとりをしていた。残っている手紙の内容からも、ヤンとフリデリクは年の差は関係なく大親友だったと分かる。

自分の楽譜を送ったり、ワルシャワや学校の近況報告をフリデリクらしく面白く書いたり、ヤンの具合を心配したり、会えなくて寂しいような事も書かれていたが、ヤンの方はフリデリクには心配させまいとして病状を語ることはなく、フリデリクからヤンへ送った最後の手紙は1827年3月(エミリアが亡くなる1ヶ月前)

その約1年後1828年4月、ヤン.ビャウォヴウォツキは23歳の若さで亡くなった。




17、18歳という多感な時期にフリデリク.ショパンは仲の良かった妹と、大親友を立て続けに失った。

フリデリク.ショパンにとってこの身近な2人の死は、曲想にも少なからず影響していると思われる。




④マズルカ第52番 変ロ長調
 マズルカ第53番 ト長調


1826年作曲
(演奏:ウラディーミル.アシュケナージ)

2曲とも献呈ではないが、ヤン.ビャウォヴウォツキに手紙と一緒に送った楽譜の曲。



♡ショパン漫画の紹介

今回のラジオでお話した
エミリアとヤン.ビャウォヴウォツキが
主役の漫画があります🥰

フリデリクはもちろん、
寄宿舎の友達も登場します!

クリエイターのハイハイミミさんの描く水彩漫画で、創作を交えながらも史実に忠実で、

フリデリクの子供時代ってきっとこうだったんだろうなと思える部分が多く、

水彩画の優しい、柔かい感じもフリデリクの子供時代と合っていて、とてもオススメです。

ショパンをより一層身近に感じる事ができます。

漫画の中ではフリデリクもエミリアもヤンも生きていて、動いて喋って、元気いっぱい楽しく遊んでいます😆




🎼番組裏話 おわり♪ᵕ̈*⑅


今回のラジオは、多分ほとんどのショパンファンが知らない、ワルシャワ時代の友達関連の話や、妹エミリアの話が出来て、感慨無量な回となりました。

ショパン曲の最大の魅力…だと私は思っている、「憂い感」にも繋がる、最初の出来事なのではないかなと思います。



今回の放送の最後で
ハイハイミミさんをご紹介できて良かったです♪初めてXで投稿を拝見したのは、何年前だったかなぁ…確か「ショパン家の子ども達」を描きますっていう感じの投稿を見かけ、
??なんだろう🤔?って、こっそり(笑)チェックしてて…

少しずつ出来上がるページが優しい感じで、そしてフリデリクが生意気www🤣
フリデリク.ショパンて英雄的に扱われる事の方が多いので、等身大の子供らしさ全開のフリデリクに驚いた👀‼

確かに、神童といわれていたけど、普通に子供なんだよな🙂‍↕️とても新鮮な描き方✨️

そして妹エミリアに焦点を当てるって…凄すぎる!いや、これ…ポーランドの人に読んでもらいたいわ。ヤンとかティトゥスの子孫とかにもwww

ほとんどのショパン好きって、ピアノ弾いてて好きになるというのがパターンだと思うのですが、ハイハイミミさんは、なんと肖像画から興味を持たれたという稀少な存在✨️だから目の付け所が全然違うので、作品を通して新しいフリデリク.ショパンに出会えるのです😊






📻✨️ラジオはこちら


ショパン♡ショパン
ほんじょうFM 89.3MHz


ラジオはこちらのアプリで
全国どこからでも聴けます

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📻✨️毎月第2(火)朝9時~生放送 
(生放送は月に1回です)
同日夜9時に再放送あります♬


📻✨️毎週(水)朝夜9時~再放送
第1回から順次再放送しています♪


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第2(火)と毎週(水)の朝夜9時は
ショパン♡ショパン


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ショパン好きはもちろん!
よく知らない方も
ぜひお聴き下さい😊







☆中華料理ちゃいなちゃいな☆


普段は埼玉県本庄市で
「中華料理ちゃいなちゃいな」
という飲食店を経営しています😄


お近くいらした時は
ぜひお立ち寄り下さい✨️


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埼玉県本庄市 中華料理ちゃいなちゃいな


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