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7.ショパン♡ラジオ パガニーニの思い出 番組備忘録.裏話♬


ショパン好きにもあまり知られていないエピソードや、ショパン全曲を作曲順にご紹介♬埼玉県本庄市の中華料理ちゃいなちゃいなのみな美がお届けしているラジオ番組の備忘録です♪




🎼 番組裏話 はじめ♪ᵕ̈*⑅


この第7回から、ワンオペ放送が始まったのです😵‍💫大変だ!

今まではミキサー室ではなく、マイクだけあるお部屋で話してて、曲やCMを流したり、音の調節したりとかは、やっていただいていたのですが、この日からミキサー室で1人ぼっち放送になりました😂

ショパンラジオの前の時間に、サタナイのヤスオさんが仕事がお休みとのことで、急遽番組を放送しにいらしていて、緊張しまくっていた私を励まして下さいました🥺✨️

50分位にヤスオさんの番組が終わって…

いよいよ…😱わー!どうしよう…
初めてのミキサー室にいざ入り、教えて頂きながら準備して…これが全然覚えられない😨💦アセアセ

刻一刻と放送時間が迫るなか、焦りながら準備😥💦アセアセ

いや、ホント覚えられない💦アセアセ😰

教えていただいている現場を、音声でも記録しておいたので、帰って復習しようと聞いたら、

「不安だー(泣)不安だー(泣)アセアセ😱💦」と
超パニクっていたwww🤣


でも番組始まる時間になったら
凄い別人www
何事も無かったかのように始まったw
プロじゃん、私✨️www😂ウケる

でも話ながら、このボタン何だったっけかなぁ?とか、この後どうするんだっけ?とか…
超絶上の空で話していた😂アセアセ😨💦

ノートに話す内容をまとめてあるのですが、今日ほどノートを作っといて良かったなぁと思ったことはない🙂‍↕️💦

番組始まった時に幻想即興曲が流れて、それが約4分半で終わるのですが、そこからマズルカのCDをBGMとして用意してあったのですが、

BGMへの切り替えってどうやるんだったっけかなぁ…と話ながら思い出していたのですが思い出せず😨…BGM無しになったり💦アセアセ😨

もうテンヤワンヤw💦

でもこの日は祝日だったので、
あららさんからもメッセージをいただいて、
とてもホッとしました☺️🩷

そしてこの日は音楽イラストレーターの
やまみちゆかさんをご紹介する予定があって、しかも聴いて下さるとのお返事もいただいていたから、どうにか気持ちを整えて、しっかりご紹介しなくちゃ!と
めちゃくちゃプレッシャーwww😂アセアセ💦


なんとか心を落ち着かせてw
やまみちゆかさんをご紹介して、パガニーニの思い出変奏曲を無事に流せてホッとしました☺️

BGMの流し方が結局最後まで思い出せないまま、終了…😞


家に帰り、次は1ヶ月後なので忘れないようにしないとなので、撮ってきたミキサーの写真と音声記録とを照らし合わせてめちゃくちゃ復習。次回リベンジ…



第7回 番組備忘録


*変奏曲について
クラシックの楽曲形式の一つ
英語ではバリエーションと呼ばれる

ある1つのメロディを色々とアレンジして、アレンジしたものを繋げて、一曲にしたもの

最古の変奏曲は1538年(16世紀)ナルバエス作曲「牛を見張れによる変奏曲」ギターのような弦楽器の曲で、500年近く経った現在でも、クラシックギターの主要な曲として演奏されている。



有名な変奏曲はモーツァルトの「きらきら星変奏曲」
きらきら星の有名なメロディは元々はフランス民謡で、モーツァルトが作曲したものではない。
元々あるメロディをモーツァルトが12種類の色々な弾き方にアレンジして遊び心満載の変奏曲として完成させている。

「きらきら星」の歌詞がつけられたのは、モーツァルトが亡くなってから。
童謡として日本に広まったのは更にもっと後の事。

元々は「お星さまの歌」ではなくて
「ああ、お母さん、あなたに申しましょう」という当時流行っていた、恋愛の歌。
娘さんがお母さんに好きな人の事を打ち明ける歌。



歌詞はAh,vous dirai-je, maman
<原曲歌詞>※日本語訳
↓↓↓

ねえ!言わせてお母さん

何で私が悩んでいるのかを
優しい目をしたシルヴァンドル
そんな彼と出会ってから
私の心はいつもこう言うの
「みんな好きな人なしに生きられるのかな?」

あの日、木立の中で
彼は花束を作ってくれた
花束で私の仕事の杖を飾ってくれた
こんなこと言ったの「きれいな金髪だね
君はどんな花よりきれいだよ
僕はどんな恋人より優しいよ」

私は真っ赤になった、悔しいけど
ため息ひとつで私の気持ちはばれちゃった
抜け目のないつれなさが
私の弱みに付け込んだの
ああ!お母さん、私踏み外しちゃった
彼の腕に飛び込んじゃった

それまで私の支えは
仕事の杖と犬だけだったのに
恋が私をだめにしようと
犬も杖もどこかにやった
ねえ!恋が心をくすぐると
こんなに甘い気持ちがするんだね

↑↑↑

「もう彼なしでは生きられない!」
「彼にこんな事言われて嬉しかった!」
「恋するとこんな気持ちになるんだね!」

という感じの
ノロケ話がてんこ盛りの恋バナの歌w



「きらきら星変奏曲」と呼ばれているが
正式名は
「フランスの歌曲『ああ、お母さん、あなたに申しましょう』による12の変奏曲」
『ああ、お母さん~』の部分の訳が
『ママ、聞いてちょうだい』
『ああ、お母さん、聞いて』
色々な言い方がある。…長いな



ショパンはモーツァルトを敬愛していたので、
きっとこの変奏曲も弾いていたと思います。

変奏曲特有の傾向で「元にするメロディは必ずしも作曲家自身によるものとは限らない」というのがあり、「他の人のメロディ」や「流行りのメロディ」を、特に許可を取ることもなく、「変奏曲」として再構成することが多かった。特に過去の作曲家のメロディを借りて自分の作曲スキルをアピールする事が多かった。



ショパンもモーツァルトのオペラ「ドン.ジョヴァンニ」の「お手をどうぞ」というデュエット曲のメロディを使って「ラ.チ.ダレム変奏曲」を作った。
ショパンの場合は作曲スキルをアピールするとか、自己顕示欲を満たす為というよりは、敬愛してやまないモーツァルトの、好きなメロディを使って純粋な気持ちで作曲した。




①ドイツ民謡「スイスの少年」による変奏曲 ホ短調

1824~1826作曲(正確な年は不明)
(演奏:ウラディーミル.アシュケナージ)


この曲は1829年にショパンがウィーンのハスリンガー社(楽譜出版社)にソナタ1番、ラ.チ.ダレム変奏曲、スイスの少年変奏曲の3曲を持ち込んだが、ウィーンではショパンは無名だった為にハスリンガーに見下されて出版してもらえなかった。

翌年1830年にラ.チ.ダレム変奏曲だけは出版してもらえたが、ソナタ1番とスイスの少年変奏曲は出版してもらえず、家族宛の書簡に「そのうち懲らしめてやります!」と腹立ち紛れに書いていて、そして同じ手紙の中でラ.チ.ダレム変奏曲の代金を支払ってもらえていないとも書いてある。

そして「ハスリンガーは僕を親切に軽くあしらって、僕の曲をタダでせしめようとしている。僕の曲を低く評価することで、僕がそれを真に受けて、タダでくれてやるとでも思っているのだろうか?もうタダの時代は終わったのだ。きちんと払え!悪党めが!」と激怒しています。

フリデリク.ショパンは普段は穏やかでとても丁寧な人だけど、激昂することも多く、後の作品ではその激昂ぶりをそのままに投影した曲もあれば、密かに垣間見える曲もあり、それがまたショパン曲の魅力の一つでもある。

ハスリンガー社の対応は新人作曲家に対する、よくあるやり口だったが、潔癖なショパンはそれが許せなかった。12年後にショパンが有名になってからハスリンガーの方から「ソナタ1番とスイスの少年変奏曲を出版したい」と言ってきたが、それを断った。

出版に至らなかった理由はハスリンガーの態度もあったかもしれないが、それ以前に作曲当初は力作だったとしても学生時代に書いた曲だったので、今更出版する気にならなかったのではないか。

結局生前には出版されずショパンが亡くなってから2年後にハスリンガー社から出版されることになった。



1824年フリデリク.ショパン14歳の夏休みは、寄宿生のドミニク.ジェヴァノフスキの実家があるシャファルニャヘ行きました。そしてワルシャワの家族宛の手紙の中で、フリデリクはミコワイ父さんに

「※フェルディナンド.リースの ※ムーアの歌曲による「※4手のピアノの為の変奏曲」の楽譜を買って持ってきて欲しい」と頼んでいます。

※フェルディナンド.リース…ドイツのピアニスト兼作曲家。ベートーヴェンの愛弟子でマネージャーの仕事も任されていた。ベートーヴェンの難聴をフォローする役目も担っていた。

※ムーア…トマス.ムーア。アイルランド詩人。民謡に自身の書いた詩をのせて歌曲集を出した。
「夏の名残のバラ」は日本でも有名なトマス.ムーアの曲。NHKの朝ドラ「らんまん」の劇中歌としても使われた。また、この曲は「庭の千草」という名でも日本では親しまれていて、こちらは朝ドラ「ひよっこ」の劇中歌に使われた。

※4手のピアノ…一台のピアノを4つの手で弾くので、ピアノの連弾のこと。

連弾は概ね、高音パートがメロディ、低音パートが伴奏。伴奏がガタつくと演奏に支障が出るので、大抵は伴奏パートの方を上級者が弾く。(ピアノ教室だと生徒はメロディで伴奏は先生とか)

そして伴奏パートがペダリングも担う。ペダリングはメロディに合わせて踏む事が多いので、伴奏パートを弾きつつ、メロディに合わせてペダルを踏むので難しい。(独奏の場合、ペダルは自然に手と連動して踏んでいるが、連弾の場合は自分の弾いている伴奏とタイミング違うところで踏まないといけないので難しい)


フリデリクの頼み事を簡単にまとめると、
「流行りのピアノの連弾楽譜を買ってきて欲しい」ということになります。

この連弾楽譜はドミニク.ジェヴァノフスキの継母と一緒にフリデリクが連弾するために取り寄せています。

ドミニクの継母のジェヴァノフスカ夫人は21歳。ドミニクは13歳。ジェヴァノフスキ家は貴族なので色々な事情があるだろうが継母と年の差が8歳😮というのは驚きが隠せないw

フリデリクはこの時14歳なので年頃のフリデリクからすれば、「友達のお母さんと連弾した」というよりは、「年上の綺麗なお姉さんと連弾した✨️」という感じで、青春のいい思い出となったのだろうと思われる🥰

この連弾の経験が2年後、フリデリク自身の連弾曲を書くきっかけとなった。

1826年「4手の為の変奏曲ヘ長調」「4手の為の変奏曲ニ長調」の2曲作曲するも、「~ヘ長調」は友達のティトゥス.ヴォイチェホフスキに献呈されているということまで分かっているが、楽譜紛失作品となっている。「~ニ長調」だけがショパン唯一の連弾曲として残されている。おそらくこの「~ニ長調」の連弾曲もティトゥスと連弾を楽しんだに違いない。



②4手のための変奏曲 ニ長調

1826年作曲
(演奏:ウラディーミル.アシュケナージ…父
   ヴォフカ.アシュケナージ…息子
   親子で連弾している✨️)

連弾曲をアシュケナージ親子で弾いていたという新事実に初めて気付いてハッとしました!


他の曲の演奏も錚々たるピアニストの方々ですので、過去回の備忘録をぜひ今一度チェックしてみて下さい✨️とても豪華です!

なんというレアなCDだったのでしょうか!
改めて実感
因みに、番組でかけているCDは「THE CONPLETE CHOPIN DELUXE EDITION」という、ショパンの全曲集です。


ショパンの「ピアノ曲の全曲集」は割りとよくあるのですが、ショパンは歌曲の作曲もしていて、それも全て収録してある全曲集はなかなか無いのです。

ちょっとお高かったのですが、「ショパンお食事会ワークショップ」の為に、どうしても買いたくて買って、その後コロナ禍になり、ワークショップ中止が続いたので一人で楽しんでおりました。

今まさにラジオでメチャメチャ役に立っております。こんな素晴らしい物をショパン好きの皆様と共有できて幸せの極みです!歌曲も順番が来ましたらラジオでご紹介していきますので、楽しみにしていて下さい🥰



備忘録に戻ります♬

この曲はいくつかのページが失われていて、ショパンが作曲した完全なものではない。
現在知られているこの曲はポーランドのショパン研究所のヤン.エキエル氏が、紛失箇所を仮の形で補ったものを弾いている。
そして不幸中の幸いで、連弾曲だったということで、紛失ページが伴奏パートだったり、メロディパートだったりで、両方のパートが共に失われていなかったので、仮の形で補うのが困難ではなかった。こういう事情があるので、出版元によって補足箇所に顕著な違いがある作品となっている。

そして、この曲の元となったメロディはヴェネチア民謡の「愛しいお母さん」という曲。
この曲にトマス.ムーアが詩をつけてアイルランド民謡として発表した。当時のポーランドでは、この曲は「ムーアの曲」と呼ばれて親しまれていた。(どんな歌詞だったかは現在不明。メロディだけが残った)



「ムーアの曲」は様々な国で、様々な作曲家達によってがアレンジされた。その一番有名だったのはヴァイオリンの巨匠パガニーニのアレンジ。パガニーニはこの「ムーアの曲」を使って「ヴェネチアの謝肉祭変奏曲」を作曲した。



パガニーニは1828年~1834年にかけてヨーロッパ中を演奏旅行していて、ショパンの住むワルシャワにもやって来た。ショパンはその演奏会で「ヴェネチアの謝肉祭変奏曲」をパガニーニ自身の演奏で聴いて、その圧倒的な演奏技術に深く感動して、

既にショパンは「ムーアの曲」を使って「4手のための変奏曲ニ長調」を作曲していたが、また同じ「ムーアの曲」を使って、今度は「パガニーニの思い出 変奏曲イ長調」を作曲した。



ショパンが聴きに行ったパガニーニのワルシャワでの演奏会は11公演あって、ショパンはそのほとんどを聴きに通った。そしてパガニーニの歓迎会がショパンの通うワルシャワ音楽院で行われ、その時にパガニーニが書いたメモ書きが残されていて、そこには「若きピアニスト、ショパン」と記されている。

ショパンは内気で人見知りなので、きっとエルスネル校長先生が紹介してくれたのだろうと思われる。



ショパンが深く感銘を受けたニコロ.パガニーニは19世紀を代表するヴァイオリニストで、超絶技巧的な演奏で見る者を圧倒させた。演奏技術が高過ぎて「悪魔に魂を売った」とまで噂されるほどで、目つきが鋭く、病弱で痩せていて、肌が浅黒かったという見た目が、パガニーニ悪魔説に拍車をかけた。

実際は子供思いの優しいパパ。
とても堅実的な人。



マスコミの発達していない時代にもかかわらず、パガニーニの凄さはヨーロッパの隅々まで知れ渡り、一般の愛好家だけでなく、ショパンの他にもフランツ.リストや、シューベルトとか歴史に名を残す事になる音楽家達も、こぞって演奏を聴きに行った。

シューベルトはとても貧乏だったが、パガニーニを聴くために私財を売り払ってまで聴きに行った。

フランツ.リストはパガニーニの演奏を聴いて「僕はピアノのパガニーニになる!」と誓いを立てた。実際にリストは後にピアノの超絶技巧でヨーロッパを熱狂の渦に巻き込み、スーパーアイドルのようになる。

フランツ.リストの代表作になっている「ラ.カンパネラ」という超絶技巧の曲は、元々はパガニーニの曲。



そしてショパンは、パガニーニの「24のカプリース」というヴァイオリンの超絶技巧曲集に刺激され、ショパンも自分自身のピアノテクニックを伝える為の「練習曲集」の制作に着手し始めた。

ニコロ.パガニーニはこの当時の音楽家たちに多大な影響を与える存在だった。



♡パガニーニ漫画のご紹介

ニコロ.パガニーニについては 「クラシック作曲家列伝」の著者で音楽イラストレーターの「やまみちゆか」さんがパガニーニの漫画を描いていらしていて、そちらがとても分かりやすくて面白いのでオススメです!

ぜひ読んでみて下さい




③パガニーニの思い出 変奏曲イ長調

1829年作曲
(演奏:ウラディーミル.アシュケナージ)

ショパンがパガニーニの演奏に感動して作られた曲。 

この曲はパガニーニのヴァイオリンの弾き方をピアノで忠実に再現しているので、ぜひ「パガニーニの謝肉祭変奏曲」と聴き比べてをしてみて下さい。


パガニーニの曲を編曲するとなると、みんなパガニーニの超絶技巧に憧れて技巧を凝らした作品が書かれることが多いのですが、ショパンのこの曲は穏やかな伴奏に美しいメロディで、まるで宝石が散りばめられたような優美な作品になっていて、生前未出版曲の中でも秀逸な作品。隠れた名曲一つ一つのエピソードからもフリデリク.ショパンが唯一無二の存在であったことが示されている。



④Op.12 華麗なる変奏曲 変ロ長調

1833年作曲
(演奏:ウラディーミル.アシュケナージ)

この曲はピアノ独奏曲の変奏曲として、唯一生前に出版された曲。煌びやかで華やかな変奏曲で、オペラ好きのショパンがオペラの中で歌われた曲を元に作られた。この当時はオペラから抜粋した曲を、サロンでも楽しめるように室内楽やピアノ曲に編曲したものが大人気で、そんな時代背景を反映した曲。


🎼 番組裏話 おわり♪ᵕ̈*⑅


モーツァルトのきらきら星変奏曲、懐かしくなって弾いてみました♪普段ショパンばかりを弾いているせいなのか、ちょっと途中で飽きてしまいました😞
…きっとショパンも弾いたに違いない!と思い直し最後まで弾きました😅長かった…



今回のラジオは本当にバタバタになってしまいましたが、次回からはワンオペ前提で用意して臨もうと固く決心しました🙂‍↕️




📻✨️ラジオはこちら


ショパン好きはもちろん✨️
よく知らない方も
曲とエピソードは素晴らしいので
ぜひお聴き下さい😊

𑁍𓏸𓈒𓂃𓂃𓂃𓂃🕊𑁍𓏸𓈒𓂃𓂃𓂃𓂃🕊


ショパン♡ショパン
ほんじょうFM 89.3MHz

ラジオはこちらのアプリで
全国どこからでも聴けます

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📻✨️毎月第2(火)朝9時~生放送 
(生放送は月に1回です)
同日夜9時に再放送あります♬

📻✨️毎週(水)朝夜9時~再放送
第1回から順次再放送しています♪

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ロマン派時代の作曲家
フリデリク.ショパンの
作曲した全曲と
曲にまつわるエピソードを

中華料理ちゃいなちゃいなのみな美が
ご紹介している番組です♬

エピソードにもよりますが
基本的には年表に沿って
作曲順にご紹介しています

伝記本に載っていない
ショパン好きにもあまり知られていない話も
お話ししています♪

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第2(火)と毎週(水)の
朝夜9時は
ショパン♡ショパン

❁.。.:*:.。.✽.。.:*:.。.❁.。.:*:.。.✽.。.:*:.。.❁

☆中華料理ちゃいなちゃいな☆


普段は埼玉県本庄市で
「中華料理ちゃいなちゃいな」
という飲食店を経営しています。


お近くいらした時は
ぜひお立ち寄り下さい✨️

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埼玉県本庄市 中華料理ちゃいなちゃいな


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