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第4回ショパン♡ショパン 番組備忘録とラジオ裏話♬


第4回 2024.5/7(火)




☆番組裏話 はじめ☆


「誕生日の謎の時」に話題になる、
「ショパンが自分の生まれ年が分からなくなった時に見る金時計」の話から始まって

この日はショパンファンが大好きな「シャファルニャ通信」についてお話しました

読んでいるこっちが恥ずかしくなるような内容が、なんとも中学生っぽいなぁと、ニヤニヤしながら読んでいたシャファルニャ通信の話を、人に話す日が来るとは思っていなかったwww

ショパンには本当に可哀想だけど、全世界の人がいつでも読める黒歴史😂



そしてヤンとヤンとヤンについてを話す日が来るとは!

これはもう本当に混乱したのです🤯

ヤン.ビャウォブウォツキは第5回ラジオで登場する、寄宿生で貴族で絵とピアノが好きなイケメンの大親友で、膝の骨結核で23歳で亡くなった。

ヤン.マトゥシンスキは(寄宿生と書いてあるものとそうでないものがある)お医者さんになって、パリ時代のショパンと2年間ルームシェアして、結核で33歳で亡くなった。

使用人のヤンさんはショパンが亡くなる4年前に、ジョルジュ・サンドの別荘にいて、ショパンの身の回りのお世話をしてくれていたけれど、ジョルジュ・サンドとショパンのすったもんだに巻き込まれる。

3人とも時期は違うけれど、ショパンと一緒に暮らしたり、ビャウォブウォツキは大親友でマトゥシンスキは親友だとか、2人とも早くに亡くなるし、名前もフルネームはパッと見では覚えられないから「ヤン」しか覚えていなかったりで…

?友達が医者兼使用人?とか勘違いしたり…😂
ビャウォブウォツキは、書いてある本と無い本があるので、頭の中がゴッチャになって、マトゥシンスキの亡くなった年齢がよく分からなくなったりw

同じ混乱をしているショパンファン、
きっといるはず😂

ヤンさんが多い謎も解けたのでこの回はとても収穫の多い回でしたwww




ショパン♡ショパン
ほんじょうFM 
89.3MHzラジオはこちらのアプリで全国どこからでも聴けます↓↓↓


📻毎月第2(火)朝9時~生放送 (生放送は月に1回です)同日夜9時に再放送あります♬

📻毎週(水)朝夜9時~再放送第1回から順次再放送しています♪


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第2(火)と毎週(水)の朝夜9時は
ショパン♡ショパン


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第4回 番組備忘録


•フリデリク.ショパン10歳…当時ヨーロッパで世界一の歌姫と称されていたソプラノ歌手のアンジェリカ.カタラーニの前で演奏し、演奏に感動したアンジェリカ.カタラーニから金時計を賜った。
フリデリクにとって偉大な歌手から金時計を賜ったことは大切な思い出となり、生涯この金時計を手放さなかった。
この金時計には「マダム.カタラーニ10歳のフリデリク.ショパンに贈る」とフランス語で彫り込まれていて、現在はワルシャワショパン協会が所蔵している。

•フリデリクのお父さんのミコワイは、フリデリクの神童ぶりに浮かれること無く、13歳の時にワルシャワ高等中学校という普通の学校に入学させる。
それまでの勉強は家庭教師やミコワイ父さんが教えていた。(ミコワイ父さんはワルシャワ高等中学校のフランス語やフランス文学の先生)


•音楽に関しては
6〜12歳…ジヴニー先生
(ミコワイ父さんの友人のヴァイオリニスト)
ピアノ、音楽の基礎、楽しさを学ぶ

ピアノの腕はもう十分ということで
シヴニー先生は手を引き、

12歳〜…エルスネル先生
(ミコワイ父さんの友人で、ワルシャワ音楽院の校長先生)
作曲法を学ぶ
    

•エルスネル先生はフリデリクをワルシャワ音楽院に入学させたがったが、ミコワイ父さんは当時の神童を持つ父親としては信じられない位に聡明な人で、
「一流の音楽家になるには、音楽ばかりに熱中せず、様々な勉強に励んで、バランスの取れた成長をする事が大切」という考えがあり、それは叶わず、フリデリクは普通の学校に入学した。




神童を持つ他の父親の話

•ベートーヴェンの父…モーツァルトみたいにして一儲けしようと考えていた。アルコール依存症で酔っ払って真夜中に帰ってきては、息子ベートーヴェンを叩き起こしてピアノの猛特訓をさせていた。難聴の原因も父親の暴力だったと言われている。

•モーツァルトの父…教育熱心で、モーツァルトの才能を世間に知らせようとヨーロッパ各地を興行していた。

•フランツ.リストの父…ヨーロッパ中を演奏旅行で連れ回した。

•パガニーニの父…息子の才能に目をつけ、猛特訓させて儲けようとしていた。ギャンブル依存症でパガニーニの演奏で得た収入でギャンブルをしていた。


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•フリデリクは普通学校に通っていた3年間位、正式な音楽教育を受けることは無かったが、エルスネル先生から音楽理論書を貰って、個人的に作曲の指導を受けていた。



①ポロネーズ第14番 嬰ト短調



(演奏:アナトール.ウゴルスキ)
1822年頃(正式年は不明)
12歳頃のフリデリク.ショパン作曲

エルスネル先生の指導の元、
作曲されたポロネーズ

この曲は1999年に
ピアニストの中村紘子さん(1965年ショパンコンクールで入賞。日本人2人めの入賞者)のデビュー40周年リサイタルでも演奏された。

ショパンの子供時代の作品はプロの演奏会では取り上げられる事がほとんど無いので大変珍しい。
中村紘子さんがNHKのN響アワーで司会を務められた時にエンディングで一時期用いられていたことがあったので、思い入れのある一曲ということで取り上げられたのかもしれない。




•フリデリク.ショパン学生生活
ワルシャワ高等中学校で歴史(ポーランドの歴史が好き)や文学を学び、大変優秀な成績を上げて、賞状を2回貰っている。音楽だけでなく学業もできた。

クラスの中でも人気者の1人で、活発なグループの中心にいた。陽キャ。
スクールカースト制度の一軍の存在。

ウィットに富んだ会話をし、絵も上手だったので漫画を描いたり、音楽ジョークをピアノで弾いたり、先生や有名人のモノマネをして皆を楽しませていた。

特にモノマネの才能は群を抜いていて、表情や外見をも変えて本物と見紛われることもあった程。何年か後にフランスの有名俳優が「ショパンは音楽家になったことで俳優としての才能を無駄にした」と語った。

ジョルジュ.サンドやフランツ.リストもショパンのモノマネは絶賛していた。




•フリデリク学生時代の友達
ミコワイ父さんの経営する寄宿舎の友達

ユリアン.フォンタナ…すでにラジオに何度か登場。ショパン亡き後、未発表曲をショパンの意に反して出版してくれた人。幻想即興曲が聴けるのもフォンタナのおかげ。

ティトゥス.ヴォイチェホフスキ…今後エピソードがいっぱいある

フォンタナとティトゥスはショパン好きの間では超有名人。

ヴィルヘルム.コルベルク…次回登場

ドミニク.ジェヴァノフスキ…今回登場

ヤン.マトゥシンスキ…主にパリ時代にエピソードがある(本によって寄宿生だったり、そうでなかったり)

ヤン.ビャウォヴウォツキ…今回少しと、次回はしっかり登場




•ショパンの周り、ヤン多過ぎ問題

伝記本に出てくる3人のヤン
◈ヤン.マトゥシンスキ
◈ヤン.ビャウォヴウォツキ
◈ポーランド人の召使いヤンさん

ポーランド人にヤンさんが多いのか検証
日本の書類の記入例で使われる「山田太郎」のような名前が、ポーランドでは「ヤン.コヴァルスキ」コヴァルスキはランキング2位の苗字。ヤンもランキング上位の名前。

•ポーランド豆知識
ポーランドには名前の日(名の日)というお祝いの日がある。1年365日ないし366日それぞれにキリスト教聖人の名前が振り分けられていて(1日2〜3人)カレンダーや手帳の日付欄にも小さく書いてある。

自分と同じ名前の聖人の日を祝う日で、年に何回か同じ名前の日があるので、一般的には自分の誕生日のすぐ後の日を自分の名前の日と決めて、毎年「誕生日」と「名前の日」と2回お祝いする。ポーランドは信仰心が強いので、名前の日の方がむしろ盛大。

フリデリク.ショパン…
誕生日は3/1
名前の日は3/5

ポーランドでは名前をつける時にキリスト教聖人の名前の中から選ぶのが一般的で、ある程度名前の種類が限られてくる。




②Op.33-2 マズルカ 第23番 ニ長調


(演奏:ウラディーミル.アシュケナージ)
1838年 フリデリク.ショパン作曲

映画「愛と哀しみの旋律」のワンシーンで、
召使いヤンさんがポーランド民謡をヴァイオリンで陽気に弾いていて、それにインスピレーションを受けたショパンがジョルジュ.サンドの別荘で作曲した曲として使われた曲です。




•シャファルニャ通信
ショパン好きの間では超有名なシャファルニャ通信。
1824年フリデリク14歳の夏休みにポーランドのシャファルニャという田舎にある、ドミニク.ジェヴァノフスキの実家の領地に療養も兼ねて(フリデリクは虚弱体質で喘息持ちだった)遊びに行った際、フリデリクの家族宛に書かれた手紙の事。

当時ワルシャワで広く読まれていた新聞「ワルシャワ通信」を真似て、フリデリクが新聞記事のように日々の出来事を書いたもので、題字やレイアウトも凝っている。

フリデリクはジェラゾヴァ・ヴォラという小さな村で生まれたが、生後半年後に首都ワルシャワへ引っ越している為、都会育ち。都会育ちのフリデリクが田舎暮らしで見聞きしたものを独特の風刺の効いた文章で、面白おかしく詳細に記している。

シャファルニャ通信の中でフリデリクは自分のことを「chopin(ショパン)」のアルファベットを並べ替えて「pichon氏(ピション氏)」と言う名前で記事に登場させていたり、今で言う中二病的な感じで書かれていて面白いwww
きっとフリデリクのご家族はこの手紙が届くのを心待ちにしてニコニコしながら読んでいたに違いない。




•フリデリク.ショパンの優秀さを如実に表したシャファルニャ通信の検証

新聞を使用した教育や、学級新聞なるものが200年前にあったのか調べた。ヨーロッパについてははっきり分からなかったが、

日本の日刊新聞の始まり…1870年

その45年後
1915年から日本が新聞を授業で使い始めた

…これをふまえて…

ヨーロッパの日刊新聞の始まり…1650年(この当時は新聞は貴族だけの物)

大衆に読まれるようになったのは
19世紀(1801〜1900)頃

フリデリク.ショパン1810年誕生

大衆に読まれるようになったのは
フリデリク.ショパン子供の頃と予測される

授業で使われたとしても
フリデリクが完全に大人になってからか、
亡くなってから。

新聞記事みたいに書くという前例の無いことをフリデリクは14歳で普通にやっていた!
音楽だけでなくとても優秀な人だった。




•シャファルニャでは療養も兼ねての滞在だったので食事療法もしたが、大半の時間は友達のドミニク.ジェヴァノフスキと野山を駆け回ったり、乗馬、射撃など、年相応の子供達の遊びをして過ごした。

ちょうど同じ頃、寄宿舎の友達のヤン.ビャウォヴウォツキが病気の療養でシャファルニャの隣の領地の実家に帰って来ていたので、馬車でお見舞いにも行った。このヤン.ビャウォヴウォツキについては次回のラジオで。

•ミコワイ父さんの寄宿舎の友達は地方領主の子供達なので、お金持ちのお子さんばかり。




③Op.7-4 マズルカ 第8番 変イ長調



(演奏:ウラディーミル.アシュケナージ)
1824年 14歳のフリデリク.ショパン作曲

この曲はシャファルニャでの滞在中にお祭り(収穫祭)に行き、農民がヴァイオリンを弾いて民謡を合唱したり、歌い手や踊り手に代わる代わるなっている様子を見る機会があった。


貴族社会で暮らしているフリデリクがポーランド土着の農民達の素朴で民族的な音楽に初めて触れることが出来て、深く感銘を受けて作曲された。

フリデリクは貴族ではないが、学校の入っている宮殿で暮らし、貴族の前で演奏したり、友達は貴族の子供だったりと、貴族社会で暮らしていた。

•シャファルニャでの経験は今後生涯通しての作曲にも強く影響していく。

•子供時代に作曲した曲は、ショパンの死後出版されたものが殆どだが、このマズルカ8番は14歳で作曲した7年後、ショパン自身によって出版されているので、この曲はショパン自身が作曲を決意した中で最初に作曲された曲。

•フリデリク.ショパンは自分の作品には大変厳しい批評眼を持っていたにもかかわらず出版されたので、この曲は高い音楽性を持った曲と言える。




④Op.71-1 ポロネーズ 第8番 ニ短調



(演奏:アナトール.ウゴルスキ)
1825年頃(正式年は不明)
15歳頃のフリデリク.ショパン作曲

献呈先…ティトゥス.ヴォイチェホフスキ(寄宿舎の友達。特に仲良かった友達なので、友情の印として贈られたと思われる)

この曲はショパンの死後、やはり寄宿舎の友達のユリアン.フォンタナにより出版された。

フリデリク学生時代に仲の良かった友達2人が関わっている曲なのでショパン好きにはたまらない一曲。



ショパン♡ショパン
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ショパン好きはもちろん
よく知らない方もぜひお聴き下さい😊



☆番組裏話 おわり☆


ティトゥス.ヴォイチェホフスキについて、話す話すと言いながらなかなかその回まで辿り着けない状態がずっと続いています…

伝記本ではワルシャワ時代はあっという間に終わるから、当初の予定ではとっくに登場するはずでした😂
ワルシャワ時代のエピソードが意外とたくさんあって、どうして伝記で書いてくれないのかなぁと思うようなエピソードばかり🥺

次回の第5回ではまさにそのどうして書かないのかと思うエピソードの筆頭「ヤンとエミリアの死」についてお話しした回です。



今回のラジオでポーランドの「名の日」について、全然知らなかったのでとても勉強になりました✨️

伝記本では「誕生日」と間違えていたり、「名前の日」「命名の日」「名の日」とか色々な呼び方をしていました。ラジオで話す時に「名前の日」が一番聞いて分かりやすいかなと思ったので、そう呼びました。

誕生日関連でお祝いを2回してもらえるのは、羨ましいですね✨️

それでは
ショパン♡ショパン
ぜひお聴き下さい🥰



中華料理ちゃいなちゃいな


普段は埼玉県本庄市で
「中華料理ちゃいなちゃいな」
という飲食店を経営しています。


お近くいらした時は
ぜひお立ち寄り下さい✨️


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