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私はスマホフィルムを張り替えない
母が私のスマホを落とした。画面が割れてしまった。
幸い割れたのは保護フィルムだけ。もともとフィルムの端も剥がれていたり、空気が侵入していてそろそろ変え時だったからそこまで気にしていないし、母にも落とした文句は言わない。
しかし、ここまで画面を横断するヒビを見るのは久方ぶりだったから、じっくり見たくなる。本当に本体にまで傷が届いていないか、とも思いながら。
ヒビにも表情があることに気づいた。薄い一本線が入っているだけの部分、深く傷が入り込んでいるところは画面の光が乱反射して緑、黄、赤、青が細かくチラつく。その表情はスマホが地面にどう着地したのか教えてくれる。
ヒビはまるで写真のよう。傷付いた一瞬を残してくれる。落ちた瞬間で時が止まっているような感覚に陥れられる。この傷をつけたのはあの人と遊んだ帰りに道路に落としたんだっけ。この傷は勉強中に集中していたらスマホがノートに当たって落ちたんだっけ。
そう思うと、簡単に張り替えてしまうスマホフィルムは、今は亡きおばあちゃんからもらったクマのぬいぐるみと、小学生の時水泳検定に受かった時に母が買ってくれたおもちゃとそこまで変わらない。あの頃の記憶を蘇らせる。今はまだ、目が潤うほどの記憶はフィルムにないけれど。あの人と喧嘩した時についたヒビ、あの人と最後にあった日に落としてつけた傷。そのうち付くかもしれない。
肌身離さず持ち歩くスマホのフィルムは、私の人生を、私の記憶を刻んでくれるアルバムのようなもの。ヒビが入ったからといって簡単に張り替えてはいけないかもしれない。
という文言が、少し値が張るスマホフィルムを捨てない言い訳になっている。