見え隠れする富岡製糸場
冨岡製糸場。日本の二面を映し出す。
入り口に入ると見えてくるのは工場では珍しい前面に設置された窓。フランスの技術により建てられた煉瓦造り。煉瓦造りの中にも木材が入り混じるこの建物は日本の葛藤の化身にも見える。色褪せながらもその丈夫さに安心感を覚えるレンガ。表面からどんどんと剥がれ、触れてしまったら朽ちてしまいそうでありながらも建築物を支える木材は、不安を煽りながらも、時の流れや記憶、哀愁がそこには詰まっている。
ここで作られた生糸は世界中の貴族、王族に好まれ、日本の誇るべきものの一つになっている。しかし、ここで日本が誇るは普及率、労働力、土地。工場に入り左に向かうと見えるは三棟の建物。一つは役員として務めるフランス人のお宅。その隣に見える小さめの学校の様にも見える二階建ての建物。それは学校などという大人数のためのものではない。ここで働く従業員に教えることを生業とするフランス人教師五人のお宅。さらに奥に進むと幾つもの教室が入っている建物。外から「洋裁室」という看板が見える。今度こそ学校の様なものだと思ったが、どうやら最初はこの工場を立てるにあたって大きな役割を果たしたフランス人の自宅だったらしい。それに比べて日本人の従業員の部屋は、先ほどの建物を見た後に見ると、ぎゅうって巨人の手で握り潰されたかの様な敷き詰まった狭い部屋の群衆。
結局はフランスの技術が日本に伝えられてきたもの。フランス人の役員がこんなに良い在宅に住んでいたのを知ってしまうと。どうしても日本人は使うコマにしか見えない。フランスが日本の土地と労働力を使って自国の技術を奮っている様に感じてしまった。
決して悪いことではない。けれども、なんだか悲しくなってしまった。日本人が救われない様な、世界遺産に登録されたのだからまだ救われたというべきなのだろうか。
こうしてこの悲しみを含みながら滲み出る日本人の血と汗の結晶を見ると、今の日本に感激を覚える。特に自動車。日本の技術でここまでの安心と信頼を得て、普及率もここまで上げられたのだ。
私はただのしがない十九歳、美大生であるがゆえに、こんな大口を叩ける身分でもない。でもこんな身分であるからこそ、弁えず自分勝手に発信できる。今のうちに大口を叩かせてもらう。