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子どもの希望や選択を、どこまで尊重すべきか

「ぼく絶対お医者さんになります!」
「絶対◯◯大学に行きたいんです」

たまに、わりと早い段階で、将来の進路を決めている子どもたちに遭遇します。ただ、小学生の早い段階でこのように言っていると、若干の心配があったりします。

それは時に純粋な意思、ある時には本人が周りからの評価を意識しての意思。またある時は、親の言動から少なからず影響を受けていて、子どもは自分に魔法をかけるかのように念じているようなことも…

まあ、子どもにとっては親は神、家は世界。
やはり家族の影響って大きいなあ…と、いつも思います。

さて、いち講師として、この思いにどう切り返すか?

たとえどんなにすっとんきょうな夢を言われたとしても、仮にそれが適性じゃないと感じたとしても、一度はその思いを、まっすぐ受け止めたいです。

「ほえええ、そうなんだ。」
「それって、どういう所がいいの?」
「どういうきっかけで、そう思ったの?」

あくまで、私たち講師は彼らの人生の傍観者でしかなく、自分のとるにたらない信念や正義を経験値の低い子どもに振りかざすことは避けたいと思っています。

・・・

ただ問題はここから。

「先生はどう思う?」と聞かれた時です。

この先生はどう思う?は、純粋に私の意見を聞いている場合と、「私の夢、間違ってないよね?」と子どもが自分の背中を押して欲しい場合に分かれます。

でも、わたしにとって大事なのは、そのどちらかにかかわらず、感じたことをシンプルに答えること。講師が深読みをしてしまっても、それを実際の答えに投影させすぎない、ということです。

「うん、いいんじゃない?まずはやってみたら?」
という言葉が浮かんだら、そう答えてもいいと思います。

これは、子どもに対して無責任になったりしないか?と心配になるかもしれないですが、子どもの判断を一度受け止め、激励してみるということは、人としてのリスペクトをもった基本的言動ですし、子どもの自尊心を損なわないこととして大切なことです。

もし「その夢はちょっと厳しいような気がする」と感じた時は、どうするか?

子どもとの関係性にもよりますが、そう感じた理由も添えて、子どもにその意見を伝えてみるのも良いかと思います。ただ、大人の意見はその内容以上に、子どもへの圧力が大きいことが多く、子どもに有無を言わせない状況に追い込む可能性もあります。なので、「先生はそう感じたけど、〇〇ちゃんはどう思う?」と必ず子どもにも一考の余地を与える返し方が必要かなと思います。

・・・

つい先日、わたしが所属するまなぶてらすにて「高専指導のプロから学ぶ受験対策」という研修を受けました。

高専の仕組みや、授業内容、その後の進路の話など、とっても有益な内容だったのです。が、衝撃だったのは「高専に向いている子」の話。

私の中では高専といえば、「優等生」「数学が得意な子が多い」「ロボコン」みたいな、非常に解像度低めな認識だったのですが…

子どもの成績のみで高専への適性を判断するのは非常に危険だということでした。「教科書の公式や解法を覚えてテストでそこそこいい点をとってきたような子は向いていない」と。しかも高専は5年制、赤点のラインも厳しいため留年者も多く、もし中退すると何年目でも「中卒」扱いになってしまう。

むしろ成績よりも「物事を突き詰めて追求するのが好き」「いちいち先生に質問をして授業を止めてしまうような子」などは向いていることが多いそう。

私自身、中学生も指導担当する身として、高専を勧めるということがかなり慎重になる必要があるなと痛感しました。

しかし、実際に。

子どもから「高専に行きたい!」と言われた場合で、その子の適性が怪しいなと感じた場合、一体どう対応するべきか…

ついこの間得た知識を振りかざし「あなたみたいな優等生タイプ、高専に向いてないと思うけど?」とは言うのは、やはり適切ではないでしょう。

一度は「へーすげえ、そうなんだ!」と受け止める。でもその上で、実際の高専をよく調べてみては?と勧めるしかないでしょう。ありがたいことに、高専はオープンキャンパスなども盛んに行われており、OBOGなどからお話を聞くことも可能だそう。リアルな経験値から、自分で判断してもらうしかないなって感じます。

行くのは自分ですからね。判断するのも、自分なのです。

・・・

講師は、あくまで生徒の人生の傍観者であり、観客でしかない。でも、何かできることがあれば、惜しみなくエールを送り、求められれば自分なりの意見もお伝えしたいなって思っています。

みなみ

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