中継地 #6
朝、目覚めるたびに、新しい自分へと生まれ変わる。
そう表現すると聞こえはよいが、実態としては前日に考えていたことや決意したことを忘れてしまうだけである。
例えば「明日は早起きしよう」と決意しても、翌朝にはお約束通り二度寝してしまうような。新しい自分は早起きを望んでいなかったみたいだな、とため息をつく新しい自分。
僕はいろいろと忘れっぽく、飽き性で、次から次へとやりたいことが浮かんでくる。あまりなにかに依存するということがないから、上手くいきそうになければすぐに手を引く。
スタートダッシュの余熱で走り続けているだけで、とっくに飽きているものだってある。
だから日々の暮らしの随所に「だらしなさ」からなる悪癖が顔を覗かせている。手放しで「若い」と言えるような年齢ではないから、気をつけないといけないとは常々思っているのであるが。
ただ最近は、生活習慣を見直そうと決意するための準備を始めている。いきなり「生活習慣を見直そう」と決意するのではなく、そのための準備から着手している。
言葉遊びのような話だ。なにせ飽き性なので、適当に決意をしてしまうと続かないため、そこには入念な準備が求められるのである。
早起きをするためにはどうすればよいだろう、夜更かしを控えればよい。夜更かしを控えるためにはどうすればよいだろう、楽器の練習を早めに始めればよい。
一日という期間で為すことができるものごとは少ないと、いま一度認識すればよい。日々を積み重ねたその先でなにも成せない可能性を、いま一度受け入れればよい。
そんなふうに、自分の身体をめぐる気分というのか精神性というのか、そういったものをひとつひとつ解きほぐしていくことで、最終的に例えば早起きのような「よい生活習慣」を身につけようと目論んでいる。
染み込んだ性質、人格、人間性のようなものは一晩眠りについたところで完全に剥がれ落ちることはない。
朝陽を迎えたあとの燃えかすとしての僕が、ふらふらと歩き出した方向が、昨日までの僕が望んだものにいくらか近いものであれば及第点だ。
なにもかも覚えていられるわけではないから、きまぐれな自分を乗りこなすために工夫をしなければいけないなと思うのである。