中継地 #5
新しいバンドを組んだ。
具体的な構想を描かない段階の話なら、何度となくその言葉を繰り返していた。そして何度となく流会を繰り返していた。
今回は、それまでの「新しいバンド」より具体的な動きを描けている。またそこにはずっと組んでいるバンドの「新しい動き」も付随している。そのため、自分のその言葉に少しは信憑性を感じることができる。
基本的にメインの作家は僕が務めるため、複数バンドを組むとそれぞれのバンドでどんな違いを出すかということから考える。
最近は個人としても楽曲を発表しているため、なんとなく頭にあるカケラをどこに振り分けるか、どんなかたちに発展させるか、そういったことを考える。
最近はあまり「表現したいこと」から歌詞を並べることがなく、自然と降りてくる歌詞や音楽から「表現すること」が導かれる。
だからたとえば「このバンドが伝えたいメッセージは何だろう?」という自問自答は難問である。かといってライブ1本分の楽曲が完成するまでには、他の媒体に振り分けられるものがあることを考えるとそれなりの時間がかかるだろう。
そんなことを考えながら、ここ数日曲作りに勤しんでいた。
方針としては、難しいことをするのではなくシンプルなかっこよさを大切にしたいと思っている。
そういえば、元々組んでいるバンドや個人で制作している音楽においては、なにかと「隠し味」を加えたがる傾向にある。
特定の「難しい」ジャンルとは言い切れないのだけど、「普通」の楽曲とは言い切れない、そんな落とし所が多いのである。
それはなぜだろう?
ひとえに「僕は一風変わった音楽が好きだから」というのはある。しかしそれよりも、既存のものの枠からまったくはみ出さないものをあえてやる必要がない、という精神が影響していると思われる。
音楽に限った話ではないが、あらゆる創作においてどうしても「一定のパターン」はある。それを様式美と捉える分野があることも確かである。
しかしそこにはまず圧倒的な技術がある必要があり、圧倒的な技術が土台となり、圧倒的な技術をもって土俵に上がる必要がある。
しかしバンドという文化の、とくに「ロックシーン」と呼ばれる領域においては、圧倒的な演奏技術というのはしばしば無視されるように思われる。
それ以外のなにがリスナーに大きな印象を与えるのかはあえて述べない。
あるいはそれはまさに「〇〇なジャンルのファン」を形成するファクターだと考えられる。
圧倒的な演奏技術も、「それ以外のなにか」もない僕は無意識のうちに、「一風変わった楽曲」を持って戦うべきであると決め込んでいたのかもしれない。
新しいバンドでは、その自己制限から解き放たれることを自分に期待する。