ぼくには書きたいことがない。
ぼくには書きたいことがない。
ゼロと言えばウソになる。実際、今も酔っ払った頭を何とか抱えて、スマホに指を滑らせ、こうやって何かを書いているわけだから。
書くことが楽しい。
そう感じたこともある。時計の短針が、数字を2、3個置きに飛び跳ねて進んでいくような、そんな感覚に陥るほど没頭して書いたこともある。
書くことが好きか嫌いか。
どちらかと言えば多分好きだ。本当に嫌いなら、一文字辺り一円が振り込まれるわけでもないこんなことに、わざわざ時間を割きはしないだろう。眠たい目をこじあけて、こんな真夜中にこんな文章を残そうとは思わないだろう。
だけれど、文章を書く、それこそnoteに美しい文字を綴りつづけるひとたちがよく言う「書かずにはいられない」みたいな、書くことは呼吸をすることと同じ的な想いを抱いた経験は一度もない。
そんな人たちとぼくの差は何なのか。
きっと、ぼくはそんな人たちと比べ、文章を深く愛していないのだろう。異性のパートナーを小手先で大事にする。ぼくが文章に注いでいる愛情なんて、きっとそんなものなんだろう。
その証拠に、いつも文章そのものでなく、その影にチラつく読者を意識せずにはいられない自分がいる。ウケを狙ったり、奇をてらったり、最低だけど、ときには著名人の名を出して注目を得ようとしたり。そんなゲスい自分が、確実に自分の内側を闊歩しているのだ。
平気で1、2週間書かないこともある。書こう書こうと思っても、結局は書かなくて、書きたいことがふと浮かんでも、今日は疲れてるからいいやとサジをなげて。
そんなこともザラにある中途半端な男が、書きたいことなんてあるはずがない。ないと言えばウソになる。でも、素晴らしいものを書きあげるひとたちの「書きたいこと」とは、似ても似つかない、同じ土俵にあげていいはずがないフェイクのようなコトバしか、ぼくの手のひらには乗っていないのだ。
ぼくには書きたいことがない。
立っていられないほどの嵐がきても、必ずそこに居座る灯台のような。どれほどクルクル回ろうと、さいごは絶対に北を指すコンパスのような。
ブレずに、心からこれだと言えるような書きたいことがぼくにはない。
それでも、ぼくはこれからも何かを書いていくんだと思う。中途半端な男が、薄っぺらい文章を綴っていくんだと思う。
それは不純なことなのだろうか。文章を冒涜する行為なのだろうか。どれだけ考えても、今のぼくには分からない。
自分さえ納得していればいいじゃないか。
そういう考え方があるのも知っている。自分も他人にはそう言う。でも、自分のこととなると、なかなかうまく折り合いをつけれない。
分かってる。全部ただのわがままだ。こんなことを吐き出しても何かが変わることはない。自分で何とかするしかない。何とかしなければ、そのことに後悔する自分が未来にいる。それも分かってる。
分かってるけど、今日は吐き出したかった。今すぐ吐きたかった。
書きたいって、何なのだろうか。
自分にその衝動が訪れることはあるのだろうか。
ぬるいハイボールが、胃に染みて痛い。
我に缶ビールを。