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地球Eye


昨日はもうすっかり冬だなとつい呟いてしまうほど寒かったのに、今日はそのことがまるでウソだったみたいに暖かい。

ホットかアイスか、自販機の前で決めあぐねたあげく、両方のボタンを押してあとは運に任せる。そんな様子で、季節は秋と冬を気まぐれに選んでいるようだった。

「はいこれ。ホットのほうが良かった?」

公園のベンチに座る彼女に、ぼくはふたつ買った缶コーヒーのひとつを渡した。

「いや今日はどう考えてもアイスやろ。ありがとう」

怒っているのか感謝しているのか分からない彼女の横に腰を降ろす。缶のタブをはじくと軽快な音が鳴った。一口飲む。ふぅと少し大きめの息をはくと、心地よい風がぼくたちを通り抜けていった。

休日の午後、公園にはたくさんの子どもがいる。

今日がいちばん素敵な日だと言わんばかりに百点満点の笑顔でスベリ台をすべる子。交代々々に背中を押しあってブランコで遊ぶ子。

砂場には歩きたてほやほやぐらいの小さな子どもが、大人顔負けの態度でずでんと座り、土俵入りする力士のごとく砂をまき散らしていた。

「コーヒー、ウマいな」

彼女は遠くを見つめながら言った。彼女は何でも思ったことを口に出すクセがある。それは居酒屋に入るや否や「何かこの店、臭くない?」と確実に従業員へ聞こえる音量で言ってしまったりと、良い方にばかりではないのだけど。

「あ、ボール」

彼女が突然そうつぶやいたのでぼくは辺りを見渡した。すると公園のはしっこの方でサッカーをしていた少年たちのボールが、ぼくたち目掛けてころころと転がってくるのが見えた。そしてそれはぼくの足にゆっくりとぶつかり、止まった。

「すんませ~ん!」と大きな声をあげながら、少年がひとりこちらに走ってくる。少年をここまで走らせるのも可哀想なので、ぼくはベンチから立上りボールを蹴り返した。少年は再び大きな声でお礼を述べ、にこりと笑った。

「あのボールと地球って、どっちが丸いんかな」

少年たちが遊ぶボールを目で追いながら彼女が言った。

「そらボールのほうが丸いやろ。何かのテレビで地球は楕円形って言うてたで」

「ふーん。そうなんやぁ」

彼女はまるで感心のないふうに言った。君から聞いてきたのに何だその態度はと思いながらも、まあいつものことかと自分の機嫌を自らとり戻し、ぼくは彼女の横に座りなおした。

「そうか。えらいのはひとじゃなくて、地球なんかもしれへんな」

青いキャンパスを流れる大きな雲が、太陽とぼくたちの間に割り込む。陽の光が途切れた公園には、すこし肌寒く感じる空気が広がった。

「なんの話よ?」ぼくは言った。

「いや、昨日ツイッター見てたらな『生きてるだけでひとはえらい』って呟いてる人がおってん。んでな、そのツイートには1万以上のいいねがついててん」

コーヒーを啜りながら彼女は言った。

「一万!?凄いな」

話の筋が見えたわけではなかったが、ぼくは素直な感情を返答した。一万なんて普通のひとが貰えるいいねの数じゃない。ぼくが昨日呟いたツイートなんて3いいねだった。わりに良いこと言った。これはそれなりの反響が期待できるぞ!と思ったのに、だ。

「生きてるだけで、人間はほんまにえらいと思う?」

ぼんやりと公園に置かれていた彼女の視線が、じっとぼくの方へ向く。その瞳は、宇宙から見下ろす地球のような、どこか儚い美しさを纏っていた。

「生きてるだけでひとはえらい。それは正しいと私も思った。そう言われて救われるひとは必ずおるやろうし、誰かに生きる希望を与えることもあるやろうとも思った」

彼女の目に見とれていたぼくを置き去りに、彼女はそう続けた。そしてまた、公園にいる子どもたちの方へ視線を戻して言った。

「でも、ほんまにえらいのは、もっと別の何かな気もしてな。例えば、私らを生かしてくれてる酸素とか、オゾン層とか」

「なるほど。だから地球がえらいってことか」

彼女の話にピンと来たぼくは言った。

「そう。ここが地球じゃなかったら、私らは息をすることもできへん。ここでコーヒーを飲むこともできへんし、昼寝することもできへん。何がえらいとか考えることもできへんし、誰かを好きになることもできへん」

彼女はそう言いながら目をつぶった。

「そう思ったら、ひとが生きれる環境をつくって、今も尚それを維持し続ける地球がまずえらいよなぁって」

彼女を真似てぼくも目を閉じた。

木々のざわめく音が聞こえる。それだけじゃない。鳥の羽ばたく音。公園を走り回る軽快な足音。そして、子どもたちの陽だまりのような笑い声。命が響き合うそれらは、まるでオーケストラのようにぼくのなかへ優しく流れ込んだ。

「地球はえらい。確かにそうかもなぁ」

しばらく瞑っていた目を開き、ぼくは言った。

「せやろ?地球に感謝せなあかんなぁ」

彼女も目を開きながら言った。

大きな雲に遮られた太陽は、いつのまにか、また顔を出している。光をめいいっぱい浴びる公園は、その何もかもが喜びに満ちているようだった。

「ひとが生きれる地球えらい」ぼくは言った。

「ひとが生きれる地球えらい」彼女も言った。

ふたりはお互いを見合った。

彼女は薄い三日月のように目を細めた。




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